第19話 友人の妹の志望大学について聞く話

 ここ最近、朱莉ちゃんが元気だ。

 いや、最初から元気な子だったけれど、最近は特にそう感じる。

 何かいいことでもあったんだろうか。


「よしっ、今日のノルマ達成っ!」


 そう嬉しそうに声を上げる彼女がやっていたのは夏休みの課題らしい。

 しっかり者の彼女らしく、宿題は毎日決まった量をコツコツやるタイプみたいで、ここに来てからもしっかり取り組んでいるようだ。


 正直尊敬する。俺はギリギリに駆け込みで終わらせるタイプだったからなぁ……


「お疲れ様」

「あっ、ありがとうございますっ」


 労いになるかは分からないが、落ち着いたらしいタイミングで麦茶の入ったグラスを差し出す。

 彼女はそれを両手で掴んで飲み、気持ちよさそうに溜息を吐いた。


「ぷはぁ……染みますねぇ……」


 実際スーパーで売られているような水出しパックの麦茶だけれど、朱莉ちゃんは実に美味しそうにリアクションしてくれる。


 元気といえばこういうところも変わったか。

 最初彼女が俺の家にやってきた時はどこか真面目で、固くて、緊張しているような振る舞いも見せていたけれど、今ではまるでこの家が自分の家かのようにリラックスしている。それが良いのか悪いのか、ちょっと分からないけれど。


「先輩、ありがとうございますっ。ご馳走様です!」

「お礼を言われることじゃないよ。この麦茶だって作ったのは朱莉ちゃんだし」


 麦茶のポットを洗い、新しいパックを入れて冷蔵庫で冷やしておくのもすっかり朱莉ちゃんの仕事になってしまった。

 本当に彼女には世話になってしまっているなぁ……居なくなった後俺はちゃんとやれるのだろうか。


「そういえば課題、大変そうだね」

「ふふっ、先輩だって去年まで同じものをやっていたじゃないですか」

「いやぁ……受験が終わってからどんどん知識が抜けてってさぁ。今じゃチンプンカンプンだ」


 今もう一度入試問題を解かされてもできる自信がない。現役の受験生を前にして実に恥ずかしい話ではあるけれど、多分大学生ってそんなもんだ、多分。


「それじゃあ先輩に勉強教えてもらおうとしても難しいですか?」

「朱莉ちゃんに教えられることなんて元々ないと思うけどな」


 それこそ成績優秀で通っている朱莉ちゃん相手に、成績は並、よくて中盛り程度の俺では教師役は務まらないだろう。


「大丈夫ですよ。先輩だったら」


 そう言って朱莉ちゃんが見せてきたのは受験生のバイブルであり、買っておけばそれだけでなんだか勉強した気になれると評判の通称“赤本”だった。

 そしてそこに書かれた大学名は――政央学院大学。


「うちの大学?」

「はい。第一志望なんです」


 ちょっと意外だった。

 うちの大学の偏差値はよくて60程度。低いと55くらいの中堅大学だ。

 国公立は当然、私立でももっといい大学は沢山ある。今の彼女の学力の程がどうか分からないけれど、少し志が低くないだろうか。いや、現役の俺が言っちゃ駄目なんだろうけど。


「その、どうしても行きたい理由があって……」

「行きたい理由? まぁ、いい大学とは思うけど」


 住めば都なんてよく言ったもので、偏差値云々はさておいてもうちの大学は結構いいと思ってる。治安がいいし。

 ニュースとかで見る、〇〇大学の生徒がうんちゃらかんちゃらみたいな話題を対岸の火事として見れるというのは実に平和でいいことだ。


「あの、その……先輩」


 朱莉ちゃんは恥ずかしそうに頬を赤くし、俺の様子を伺うように上目づかいで見てきた。

 そんな仕草も、なんともまぁ、様になっている。


「私、先輩と同じ大学に行きたくて……!」

「え……先輩って、俺?」

「っ、はいっ!!」


 勢いの付いた力強い返事、そしてその前の言葉に俺は呆気に取られてしまう。

 朱莉ちゃんが、俺が理由で志望大学を決めるなんてこと、あるのだろうか。正直現実味が無さすぎて冗談にしか聞こえない。

 けれど、今の彼女の感じから嘘だと一蹴するのはするべきではないと思うので――


「そっか。なんだか、先輩冥利に尽きるな」


 そう、素直に返す。

 正直、何とも現金な話だけれど、朱莉ちゃんの言葉に悪い気がしないかと言えば嘘になる。


「っ……」


 そんな俺に、朱莉ちゃんは少し怯んだように息を呑み、顔を逸らしてしまった。ホワイ。


「あの、その、先輩。今日ってバイト無いんですよね」

「うん。一日オフ」


 カッコつけてオフなんて言ってみたけれど、大学生なんて大体オフみたいなもんだ。夏休み2か月あるんだし。

 俺はサークルにも入ってない――いや、片足突っ込んでるというか、突っ込まされているというかがあるけれど、ないったらない。

 適度なバイトと大体の暇に支配された自堕落大学生の筆頭みたいな生活を送っている。


 今も特に当てもなくインターネットを徘徊していたところで、もしも朱莉ちゃんにベッドを渡していなかったら今頃昼間から横になっていたことだろう。


「でしたら、勉強教えていただけますか……?」

「え……いや、さっきも言ったけど今の俺じゃあ力になれないと思うよ?」

「分かれば、でいいんです。その……分かればで」

「……? まぁ、そうだね。後輩が頑張ってるのをただ眺めてるってんじゃ、先輩の威厳ってのも無くなっちゃうし」


 まぁ、家事の殆どを朱莉ちゃんにお願いしているのだからそんな威厳なんてとっくに吹き飛んでいるだろうけれど。残っているのは俺が昴に貸した500円という借金くらいなものだ。むしろなんで吹き飛んでないのよ。


「それで、どこ教えればいいの?」

「あ、えと、その……い、今から問題集を解くので、引っ掛かったらで……」

「ふむ」

「あ……駄目、ですか……?」

「まさか。全然大丈夫だよ」


 朱莉ちゃんに促され、彼女の横に腰を落とす。

 こんな近くから見守られたのでは集中できないんじゃないかと思うのだけれど、朱莉ちゃんはこれでいいと言った。


(ま、受験会場なんてアウェイみたいなもんだからな。ちょっとくらい緊張する方が実践的なのかも)


 最早自分がどうやって受験勉強をしていたかもあまり思い出せないけれど、どうせ参考になるモノじゃないし、朱莉ちゃんがいいと言っているならいいんだろう。


「んー……ここはこう……、っ! あ、うぅ……」


 けれど、時々俺の方を見てはペンが止まってしまっていて、流石の俺も、この方法は逆効果なんじゃないかと思わずにはいられなかった。

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