第11話 友人の妹がスマホに対抗心を燃やす話

「ええと……落ち着いた?」

「……はい」


 座布団の上に体育座りをしつつ、膝に顔を埋める朱莉ちゃん。

 どうやら、結局1時間ほど支えていたらしく、窓からはオレンジ色の光が差し込み始めていた。

 ……なんだかまだ、彼女の身体の感触が残っている気がして凄く気まずい。


――きゅるる。


「あ……」


 不意にそんな音が鳴り、俺は咄嗟に自分の腹を押さえた。

 思えば起きてから碌に食べていなかったことを思い出す。


 俺のバイト先は居酒屋なんだけど、賄いをもらうことは滅多に無い。

 中々の繁盛店で、俺の勤務時間的にものんびり賄いを食っている時間がなく、賄いを貰わない代わりに給料とは別の食事手当をもらっているので全く文句は無いのだが。


 しかし、金を貰うだけでは当然腹も膨れず……今朝は起きてから唯一食べた、バッグに入ったままになっていたカロリーバー1本程度では身体も悲鳴を上げざるを得なかったらしい。


 なんとなく気まずいというか、恥ずかしいというか――そんな感情を抱きつつ、恐る恐る朱莉ちゃんに目を向けると、彼女は何故か自分のお腹を押さえ、目を真ん丸に見開いて俺を見ていた。


「あ、あの、これは……!」


 俺と目が合うと、朱莉ちゃんはその耳まで真っ赤に染めた。

 けれど、すぐに俺も腹に手を当てているのに気が付いて――


「あ、あれ……? 先輩も……?」

「あはは……気が合うみたいだな、俺達」

「――ッ!」


 俺も驚きつつ、咄嗟に気の利いたことを言おうとしたのだが……朱莉ちゃんの反応を見る限り、あまり気を紛らわすことはできなかったみたいだ。


「取りあえず、何か食べよっか」

「……はい」


 まぁ、話だけしてても腹は膨れないよなぁ。

 というわけで俺達は昨日の残りのカレーを食べることにした。丁度一人前ずつ残っていたカレーは例の“一晩寝かせると美味しくなる理論”に基づき、より味が深まって感じた。


 朱莉ちゃんも起きてから何も食べていなかったらしい。少し恥ずかしそうにしながらも、昨日より早いテンポでスプーンを口に運んでいっていた。


 そして食後、朱莉ちゃんは照れを誤魔化すように、砂糖を流し込んだ麦茶をグイグイと飲み干した。


「まったく、先輩は酷いです。起こしてくれれば、ちゃんと朝ご飯だって用意したんですよ? 食材も買ってあったのに……」

「でも気持ちよさそうに寝てたから」

「うっ……それでも気なんか遣う必要無いです。私はもう先輩の物なんですから」

「いや、そういう訳にもいかないでしょ、色々と」


 寝ているところを叩き起こすのは勿論、物扱いも気が引ける。

 最初は何処か硬かった朱莉ちゃんも1日で随分柔らかくなってくれたけれど、ここは一貫しているなぁ。


「そう、私は先輩の物なんです。ちゃんといつも傍に置いてくれないと困ります」

「いつも傍に?」

「そうです。例えば、先輩はいつもスマホは持ち歩きますよね」

「ああ、うん」

「スマホは持ち歩くのに私は家に置いていくなんて不公平です」


 冗談っぽい発言ではあるが、朱莉ちゃんの目は真剣だった。真剣に抗議をしてきている。


「不公平って……いや、朱莉ちゃんとスマホは違うでしょ……」

「違いありません。共に先輩の物であり、同時に、どちらがより先輩の役に立てるか常にしのぎを削っているライバル同士なのです!」

「そういう関係なの!?」

「確かに私は通話やチャットは出来ませんし、知識でも劣りますが、スマホじゃ料理や掃除はできません。私だって先輩にとって必要な存在となりうる筈ですっ!」


 謎の対抗心を燃やしつつ、瞳を爛々と光らせる朱莉ちゃんに俺はただただ苦笑するしかなかった。

 朱莉ちゃんに対して役に立つ・立たないという判断を下すことは絶対に間違っているし、どちらが大事かといえばきっと朱莉ちゃんになるのだろう。スマホはあくまで物でしかない。

 けれど、それで朱莉ちゃんの方がいいと伝えたところで、それじゃあ彼女をスマホのように何処にでも連れて歩くことができるかといえば、それは不可能だ。


 何と言えば納得してもらえるのか。必死に頭を巡らして――たった一つ、妙案を思い浮かべた。


「そうだ、連絡先を交換しよう」

「え? 連絡先、ですか?」

「うん。今日みたいなことがまた起きて、不安にさせないとも限らないからさ。いつでも連絡を取れた方がいいんじゃないかなって」

「なるほど。名案ですね」


 朱莉ちゃんは頷くと同時にスマホを取り出していた。画面を触るその指先はほんの少し震えて見える。

 けれど、話題は逸らせたらしい。口の端がひくひくと上がっているのを見る限り、機嫌も少し直してくれたみたいだ。


「先輩、バーコード出してください。私が先輩のを読み取りたいので」

「え? うん、分かった」


 言い回しに若干引っ掛かりを覚えつつ、ポケットに手を突っ込み――


「あれ?」


 無い。スマホが無い。

 いつもポケットに入れている筈なんだけど。


「先輩? どうされましたか?」

「いや……あれ? バイト先では出してないよな……」


 部屋を見回し、ベッドを覗き込む。すると……


「あ」


 枕の下にスマホが置きっぱなしになっていた。

 どうやらバイト前、寝起きで時間を確認した後、なぜか無意識の内に枕下へとスマホを突っ込んでいたらしい。

 その行動も意味不明だが、それよりも今の今までスマホを持ち歩いていないことに何故気が付かなかったんだ、俺よ。


「あの、先輩。差し出がましいことを言うようですが、」


 俺がスマホを置いていっていたことに気が付き、朱莉ちゃんが呆れたように口を挟む。

 振り返ると、じとーっとした半目を向けてきていた。


「スマホは携帯電話とも呼びますし、きちんと携帯されるべきだと思います」

「お、仰る通りで……」


 先ほどまでの会話がなんとやら――あまりに真っ当な指摘に、俺はただ小さくなるしかなかった。

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