第8話 兄の借金のカタになって先輩の寝顔を堪能する話

 鼻にティッシュを詰め込んで改めて兄に向き合う。

 兄は「折角の美少女が台無し……」などと呟いていたけれど、無視だ。


「それで、お兄ちゃん。私はどうすればいいの?」

「あ、ああ。それじゃあ朱莉、お前は……物になれっ!!」


 強く言い放たれたその言葉に、私は一瞬固まった。

 頭の中で三点リーダが流れる感じ。けれど、すぐに思考は兄の言葉を理解して、そして――


「ひっ……!」


 私は思わず自分の身を護るように腕で自らの身体を抱きしめつつ、兄から距離を取る。


「ちょ、朱莉、変な意味じゃないから!」

「お兄ちゃん、最低! それって身体を売れって言うんだよね!? 覚悟なんて強い言葉使って妹にそういうこと勧めるなんて最低だよ!!」

「ちげーよ!? 身売りなんて進めてないから! 妹にそんなことさせる兄だと思うか!?」

「思わない……ううん、思ってなかった。さっきまで」

「俺の株価急暴落っ!!」


 妹の身体を売ろうとする鬼畜男なんて兄業界から追放されればいい。そんな業界あるのか知らないけれど。


「朱莉、違う。俺が言ってるのは求の物になれってことで……ああ、いや、これ全然フォローになってねぇな」

「え、先輩の物!? 何その危険な響き……」

「ちょっと、朱莉さん? なんでそんなに目をキラキラさせてるのかな? 言い出したのはこっちだけど、今度はお兄ちゃんが引いちゃうぞ?」

「お兄ちゃん、続き。続きによっては評価の改善も検討するから」


 改めて正座で座り直した私に、兄は頬を引きつらせつつも、気を取り直すように咳払いをした。


「いいか、求からしてみれば、今のお前は“俺の妹”でしかない。知り合いって認識も薄いかもな」

「う……」

「けれど、だったら俺を通せばいい。俺なら……そうだな、夏休みにでもお前を求の1人暮らしの家に泊めさせることができるだろう」

「先輩の部屋に……!?」

「そしてそのきっかけだが……俺が求に借金をする」

「え?」


 いきなり、意味の分からないことを言いだしたと思った私だったけれど、兄は至極真剣な表情を浮かべていた。


「しかし、それを返すことができず、その穴埋めとして……お前を借金のカタとして求の家に派遣させるのだ!」

「それってつまり……私がお兄ちゃんの借金の代わりに先輩の物になるってこと……?」

「ああ。正直妹を質に入れるみたいでお兄ちゃんとしては心が痛むがな」


 なるほど、つまり身売りをしろという話は無かったということみたいだ。

 先輩の家に泊まれるというのは非常に、非常に魅力的だけれど、でも、本当にそんな手が通用するのだろうか?


「流石に先輩も変だって思うんじゃないかな……?」

「確かに変な口実だが、普通に泊めて欲しいって言っても通じないだろうからな。それこそ、遊びに来るからと言えば俺の家に泊めろってなるだろ?」

「う……確かにそれが自然だよね……」

「仮に俺が駄目な理由があっても、女の子が男の家に泊まるなんて良くないとか言って、知り合いの女子の家とか案内されるかもしれない。俺だって同じ状況ならそうするしな」


 兄の言うことは間違っていないし、先輩の性格を考えれば容易にそうなった未来が想像できる。

 そういう誠実なところも凄く好きなんだけれど……


「ま、あいつも押しに弱いところがあるからな。向こうが常識で来るならこっちは非常識で勝負だ。予め外堀を埋めていっちまえばいい」

「外堀……」

「きっかけは何だっていいが、借金のカタっていうのが一番手っ取り早い。俺が金を借りて返さなきゃいいんだからな! そんで、お前は俺の責任を被って荷物持ってアポなしで突っ込むってわけだ」

「押し掛けるってこと……!? そ、そんな大胆な……」

「できない、とは言わせねぇぞ? 俺だって金を返さないルーズな奴ってレッテルを貼られることになるんだ。やるんだったら、お前だって目的の為に体面を捨てる覚悟をするんだ」

「お兄ちゃん……」


 答えは出ていた。先輩とどんな関係になりたいとか、お泊りしたいとか、そういう話じゃなくて、そもそもの前提。


 先輩に会いたい。話したい。それが叶うのであれば――


「分かった。私、やるよっ!」


 こうして私達兄妹は、先輩を落とすために一世一代の狂言を披露することとなったのだ。


◆◆◆


 そして、現在。

 私はなんと、兄の描いた通りの未来を歩んでいる!

 先輩の部屋で、6畳1間という狭い空間で一夜を共にしようとしている!!

 

 まぁ、先輩はベッド。私は床に敷いた布団と、高さが離れてしまっているのだけれど。


(どうせなら先輩と同じベッドで……ううん、駄目、朱莉。お兄ちゃんに言われたでしょっ)


 先輩の部屋に居座るには先輩を押し切りつつ、反撃の隙を与えないこと、と兄は言った。

 その一つが布団。同じベッドに寝るとなると先輩は私を心配して否が応でも泊めようとはしないだろうというのが兄の見立てだ。

 だから、通販で新品の布団を購入した。既に布団を買ってしまったという圧と、同じベッド(布団)で寝ないという安心感。これを両方提供することで先輩の警戒心を解いたのだ。


「むふふ……」


 思わず笑みが零れる。

 たとえ別々の布団にいても、あの遠くから眺めるしかなかった、話せてもほんの一言二言程度だった先輩と同じ空間で寝ている事実に変わりはない。何という幸福感だろう。


 けれど、ここで満足しちゃ駄目だ。私はこの夏で、この借金のカタという立場を最大限利用して、先輩の――


「うぅん……」

「ッ!!?」


 悲鳴を上げそうになって咄嗟に両手で自身の口をおさえる。

 今の声、絞り出すような無防備な声は……先輩が寝返りを打った際に漏れた声だ。くぅ……録音しておけば良かった……!!


「すぅ……すぅ……」

(あれ……?)


 嘘だ。まさか。

 ……いや、間違いない。先輩の寝息が“大きくなっている”。


(それって、つまり、そういうことだよね……?)


 先輩を刺激しないように、ゆっくりと掛布団を払い、身を起こす。


 電気が消え、真っ暗な部屋の中でも、ずっと暗闇を見ていた分うっすら見えた――先輩の顔が。


「~~~っ!!!」


 必死に声を殺し、それでも見悶えずにはいられなかった。

 先輩が、寝返りを打って、こちらに寝顔を向けている!!!


 無防備な先輩の寝顔……まさかそれを拝める日がやってくるなんてっ!!


(写、写メ……写真に収めなきゃ――ああ、駄目。音も光も出ちゃう!)


 私はすぐさま掛布団に顔とスマホを突っ込んで、音も光も出さずに撮影ができる方法を検索する。


(アプリ? アプリがあるの……!? ああ、なんて便利な世の中にっ!)


 私はすぐさまそのアプリをダウンロードする。画面オフしたまま、シャッター音を出さずに撮影ができるらしい。

 なんだか盗撮とかに使われてそうで少し嫌だけれど……ううん、これは先輩の寝顔を手中に収めるためだ。私は正当な理由で使おうとしている!


 アプリを起動し、設定をして……よし。これで画面オフのまま撮影ができる!


 私は恐る恐る布団から出て、そしてスマホを構え……パシャリ(心の声)。先輩の寝顔を写真に収める。

 そして再び布団の中に頭を突っ込み、写真フォルダを開いて――


(真っ暗っ!!!!!)


 表示された真っ黒い画面を見て絶望した。そりゃあそうだ、今この空間には写真撮影できるほどの光源は無いのだから。

 だからといってフラッシュをたくわけにはいかないし、電気を付けることもできない。

 撮影は……不可能……ぐぅ……!!


(それならせめて、この肉眼に収めてやるっ!)


 再び布団から出て、今度はしっかり、自身の目で先輩の寝顔を収める。


(か、可愛い……!!)


 先輩のあどけなく、無防備に緩んだ表情に私は体が熱くなるのを感じた。

 あの、先輩の、こんな表情……きっと家族以外見たことないだろう。……家族!?


(そ、それは流石に飛躍し過ぎ! 落ち着きなさい、朱莉! 落ち着き――あぁ、幸せすぎる……幸せすぎて死んでしまいそう……)


 結局私は、先輩の寝顔をずっと眺めて、眺めて、眺め倒して……日が昇るまでひたすら眺め続けた。


 けれど、断言できる。

 この日、こうして過ごしたこの時間が、私の人生の中で一番素晴らしい夜更かしだったと。

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