34:12月28日 夜のこと -夢のようなひと時ー

 僕は急いで商店街に戻ると、クリスマスにふさわしい物を買いそろえた。さすがに七面鳥はなかったが、ローストビーフ、フライドチキン、フランス産のワインとシャンパンなどが手に入った。

 軽やかにトラックは帰途に就いた。一仕事終えた解放感と今夜のささやかな宴への期待感で気持ちが昂り、会話が弾んだ。しかし舗装道路が途切れたあたりを過ぎると、碧は沈んだ面持ちになった。

「御田島村長さん、本当に許してくれたのかな」

 出かける前に碧が平身低頭していた姿が、脳裏によみがえった。

「僕が手伝いをするくらいで、そんな大袈裟に考えなくていいと思うよ」

「そうじゃないの。実は昨日、村長さんに言われたの。結婚しろって」

 僕は思わず息を呑んだ。

「誰と」

 碧は返答をためらっていたが、僕が口外しないことを誓うと吐き捨てるように言った。

「室見川助役さんの息子の信士さん。でも断ったわ」

 心臓が止まるほどの驚きだったが、平静さを装おうとして心にもないことを口走った。

「惜しいな。将来の村の幹部になる人だろ」

 碧は本気で怒った。

「だから結婚しろって言いたいの?」

 僕は自分の軽はずみな発言を後悔していた。

「ごめんよ。そういうつもりじゃなかった」

「信士さんてむごい人よ。知ってるでしょ」

「それは、そう感じることもある」

 ゴルフコンペで頭部を狙われた件を話すと、碧は憤りに満ちた口調になった。

「この際だから言っちゃうわ。あの人、これまで琴浦町で何人も愛人を作っている。すぐに別れては、次を探すのよ。何の罪かは知らないけど、裁判になったこともあるらしいわ」

 恐らく婚約不履行だろう。それにしても陰湿そのものの信士が、女性にもてるとは意外だった。碧は、カネで女性を釣っているのだと断言した。信士は村からも相当な額の手当てを受け取っているはずだが、それ以外にも金づるがあるのではないかとも言う。

「猪や蝮の売上をちょろまかしているのかな」

 僕が言うと碧は失笑した。

「あんなもの、額は知れているわ。あの人、私にはおカネの手続きは頼まないから詳しいことはわからない。とにかくそんな人なのよ。結婚してもすぐ飽きて、奥さんは人食い滝に投げ込まれて終わりだわ」

「まさか、そこまではしないだろう」

 言葉とは裏腹に、僕は十分あり得ることだと思った。信士なら転落死させるより射殺する方を選ぶような気もしていた。

 あたりは漆黒の闇に包まれた。碧は、ふっきれたように呟く。

「もう止めましょ、あの人の話。事故しそうになる」

 再び他愛のないお喋りに興じている内に、トラックは最後の急坂に入った。荷物を満載しているせいもあり、じりじりとしか進まない。碧も緊張した面持ちで、額には汗が滲んでいた。

 ようやく出入り口にたどり着いた。碧がクラクションを鳴らすと、櫓から顔が覗いた。猿かと思ったら、制帽を脱いだ山野瀬功だった。碧はトラックの窓を開け、木々の騒めきに負けじと大声で怒鳴った。

「久吾屋碧です。平野真守さんと一緒に、ただいま帰りました」

「了解」

 たちまち闇の中で、強い風に翻弄される草木の叫びに交じって、シャッターが巻き上げられる音が耳に届いた。外は零度近いだろう。僕は目を閉じた。寒気にいたぶられながら、実のところは無益な作業を強いられている余分たちの姿が、瞼の裏に浮かんだ。


 久吾屋に帰ると、積荷を店頭に並べる物と宅配する物に分けた。どの家もビールを二ダースと日本酒を一ダースは注文していた。

「これだけを年末年始に飲み切るのか。恐ろしいね」

 碧は平然と答えた。

「だって他にすることがないでしょ」

「明日、配達の応援をしようか。午後なら空いてるよ」

 翌日は土曜日だが役場の大掃除と納会があるため、午前中だけの出勤となっていた。碧は少し考えて言った。

「私だけで大丈夫。明日の大掃除は男の人がさぼるから、女の人だけが昼過ぎても居残って大変そうにしている。手伝ってあげて」

 きっと村民に変な目で見られるのが厭なのだろう。特に信士を刺戟することは避けなければならなかったから、その言葉に従うことにした。

「それから明日が、私が琴浦町に行く年内最後の日です。用事があれば言いつけて」

「では、実家に荷物を送ってもらうよ」

 碧は力なく無言でうなづいた。僕もこみあげてくる何かを感じていた。ここは無理やりでも明るく振る舞おうと決心した。

「もう8時を過ぎたよ。ひと風呂浴びて、遅ればせながらクリスマスパーティをしよう」

 かなり時間が経ってから碧は、色褪せた紺色のスウェット上下という姿で宿舎にやって来た。頬が赤らんでいるのは、風呂上がりのせいだけではなさそうだ。

「ごめんなさい。こんな服しかなくて」

「気にしなくていいよ。僕だって、こんな格好だし」

 僕は黒いアウトドア用の上下を着ていた。去年の年末、飯沢由衣子の勧めで購入したプロ仕様の服だ。高価だったが、スキーツアーで重宝するだろうと思って即断した。完全防水で襟元と袖口そしてパンツの裾を密閉できる。

 碧にとっては珍しく映る服だったようだ。

「よく似合う。ずっと着ていればいいのに」

「そうするよ」

 室内が暖まってきたので僕は上着を脱いで、紺色のフランネルのシャツ姿になった。碧は、お揃いの色の服だと嬉しそうに言った。僕たちは肩を並べて畳の上に座った。

「さあ、始めるぞ」

 ポンという音とともにシャンパンの栓が飛ぶ。それを見て碧は子供のように喜び、小さく拍手した。次いでワインを開け、買いそろえた料理を二人で紙皿に盛り付けた。何を口にしても碧には初めての味だったようで、しきりにおいしい、おいしいとどこか切なそうに言う。

 今年、流行した歌を教えると、碧もたどたどしく小声で歌った。彼女は夢見るような表情になった。

「恋人同士って、こうやって過ごすのね」

 碧は、僕に体を預けてきた。抱きしめるのを躊躇していると、彼女は顔を上げた。その眼差しは、この世のものとは思えないほど妖しかった。それから二人は、お互いの身体をえんえんと味わった。僕にとって碧は、どんな料理よりも美味だった。



 

 

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