15:10月7日 午後のこと -さんざんなゴルフコンペー

 段々村での初めての土曜日は、宿舎でごろごろして過ごした。特に何もしていないのに、ぐったりと疲れていた。

 スコーン、スコーンとゴルフボールを打つ音が、あちこちから聞こえてくる。皆、てんでに空き地で練習しているようだ。信士の銃のことも頭をよぎり、危なくて外出する気にはなれない。

 すでに村長からクラブ一式が届けられていた。靴は久吾屋未明に借りることになった。彼も自宅横で一心にアイアンの練習をしていたが、誘われもしない。僕は宿舎の玄関先で素振りをしただけだった。

 コースには芝刈屋が、専用の芝刈機で整備している姿が見えた。こういうところには機械を使っているのだった。


 ゴルフコンペ当日になった。よく晴れて暑いほどだ。ハーフなので午後1時集合だ。服装の規定はないというので僕はTシャツとトレパン姿で出場することにした。

 スタートは室見川助役宅の付近で、そこから東に向かって南北を行き来し、最終の九番ホールは村長邸前という盆地全体を目いっぱい使った、極めて平坦なコースだった。3017ヤード、パー35ということだ。

 スタート地点の東屋にメンバーがたむろしていた。一組は室見川助役、石切屋伸良、僕。二組は御田島妙子、室見川信士、久吾屋未明。三組は御田島村長、石切屋保良、仕立屋静作だった。

 きちんとゴルフウェアを着ているのは村長夫妻と信士だけで、残りの者は作業服姿だったり野良仕事の格好だ。クラブは各自が運ぶが、村長にだけは石切屋忠良がキャディとして付いた。

 村長は実に楽しそうだった。僕は何気なく訊いた。

「三組九人ですか。他の人はゴルフはされないのですか」

「コンペの裏方をしてもらったり、仕事をしたりです」

「日曜なのに大変ですねえ」

 村長から一瞬、笑顔が消えた。

「やるべきことをやっていないのに下手に休ませていると、ろくなことになりませんからな」

 僕が言葉に詰まっていると、傍らで騒動が起きた。信士が仕立屋静作に食ってかかっている。

「てめえ、村兵が俺よりゴルフが巧いなんてことはねえよ」

 静作は信士よりはるかに体格はいいのだが、その剣幕には圧倒されていた。

「いや、そういう意味ではないです。シュウさんがアルバトロスを出すところを見たというだけです」

 信士が「けっ」と声を発した。

「アルバトロスをやったのは俺だ。シュウはイーグル止まりだよ。で、てめえはアホウドリってわけだ」

 信士が助役の息子でなければ、殴り合いになるところだった。それにしても信士は些事であろうと、とことん拘る人間とわかり嫌悪感がつのるばかりだった。

 村長が二人を割って入った。

「もうすぐお祓いが始まるので慎んでくれ」

 ちょうど村兵のエリが運転する黒塗りの村長車が到着したところだった。後部座席から神職姿の柘榴井衛門と三月が、しずしずと降り立った。年齢が離れすぎているせいか、夫婦には見えない。

 二人は一番ホールのティーグラウンドに立つと、コースを見下ろし祝詞を唱え御幣を狂ったように振った。意外なことに三月の方が格上のようだ。僕も頭を垂れながら、これは何のためのお祓いなのか不思議に思った。先日の信士の発砲に関わることではないか、ふとそんな気がした。

 長々とした儀式が終わった途端、後ろを振り向いた三月と視線が合ってしまった。ガラス玉のような眼が、媚を売るように光っていた。顔の下半分は弛みきって垂れ下がっている。その唇は歪み、だらしなく開いた口には乱れた歯並びが見えた。

 不気味な形相だが、最初に顔を合わせた時と同じく、僕に対する微笑みと受け取れた。彼女が僕に興味を抱いていることが伝わってきて、悪寒を覚えた。

 神職が去ると村長の挨拶があった。

「始球式は平野君にお願いする」

 僕は固辞したかったが、許してもらえそうになかった。僕は村長に借りたドライバーを手にした。ひと昔前の道具なので、ひどく重い。クラブのセットは150万円で購入したと聞かされ、折ったら大変だと緊張した。

 意を決してティーグラウンドに立った。距離は普通のゴルフ場並みにあるが、フェアウェイが狭い。とにかく肩に力が入り過ぎて、第一打は芝の上を三十ヤードほど転がっただけだった。それでもナイスショットと声がかかったが、信士だけは棘のある言葉を投げかけてきた。

「おいおい、都会の会社にいたんだろ。仕事ができたようには思えんな」

 僕は照れ笑いをした。言い返せない自分が情けなかった。

 急ぐ必要はないので皆、ゆっくりとコースを回っていた。だから他のメンバーの腕前が十分に観察できたが、村長と信士以外は僕より少し上手な程度だった。信士については、プロ級といっても過言ではなかった。

 フェアウェイの狭さのせいでラフへの打ち込みが相次いだ。ラフは整備されていない、本当の草むらだ。当然、ボールを捜すのに手間取る。その作業には、小学校の低学年くらいの男の子と幼い女の子が駆り出されていた。二人とも色褪せた青い体操服姿だった。

 泣き出しそうな顔でボールの行方を追い、ラフにボールが消えると必死の表情で自分の背丈よりも高い草の中に入って行く。

「おい、余分。早く捜せ」

 皆、口々に急き立てる。ああ、あれが余分の子かと切なさを覚えていた。

 僕は打ち損じを重ねながらもフェアウェイだけはキープしていたが、とうとう三番ホールの第二打をラフに入れてしまった。すぐに男の子が無言でボールを持って来た。強情そうな顔付きだが、悲しみに満ちた眼をしていた。

「ありがとう。大変だね、蝮に気を付けるんだよ」

 僕が礼を言うと男の子の動きが止まり、その目が潤んだ。すかさず助役に注意された。

「平野さん、お礼なんかいいんですよ。気にしてはいけません。つけあがるだけです」

 それを聞くと男の子は急に頭を垂れ、僕に背を向けた。離れた所にいた妹も、兄の異変を感じ心配そうな顔付きだった。

 六番のグリーンは、微妙な起伏があって僕はパットを何度も外してしまっていた。悪戦苦闘していると、突然、額をボールがかすめて行った。後の組で信士が大笑いしている。

「悪い、悪い。珍しくミスショットだ。許せや」

 信士が初心者のようなミスをするはずがないし、第一、危険を知らせることもしないとは考えられなかった。明らかに故意だったが、僕は強いて余裕の表情を作った。これは、かえって逆効果だったかもしれない。信士は眉をひそめて僕を睨みつけてきた。

 ようやく最終ホールにたどり着いた。村長の声が響いた。

「さあ、泣いても笑ってもラスト。580ヤード、パー5だ」

 早く終わらせたいばかりに僕は打ち急いでしまった。第一打は右真横に飛び、草むらに入った。叫び声が聞こえ、誰かが倒れた気配がした。青くなって駆け込むと、余分の男の子が左のこめかみの辺りから血を流し、仰向けに倒れていた。僕は慌てて彼を抱き起こそうとした。

「大丈夫か」

 すぐに他のメンバーもやって来たが、傷ついたのが余分の子とわかると白けた顔になった。助役は傷口を見るや否や、冷たく言い放った。

「何だ。かすっただけだ。早く立て。血は自分の袖口で拭いておけ。お前の注意が足りないから、こうなったんだぞ」

 男の子は無言で僕の手を振りほどき立ち上がった。かなり前の方で、女の子が心配そうに立ち尽くしている。持ち場を離れると怒られるので動けないのだろう。

 僕は男の子に謝ろうとしたが、それを察知した助役に制止された。

「構ってはいけませんよ」

 またしても冷酷な言葉が発せられたが、少なくとも場を茶化してはいなかった。その時、信士は薄ら笑いを浮かべ、クラブをまるでバトントワラーのように弄んでいたのだった。






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