11.後日談

夏が終わって秋の夕暮れ。

最近は以前よりもかなり日が短くなっていて、五時過ぎにはもう西の空がオレンジ色に染まっている。

俺と愛は相も変わらず、部屋で同じ時間を過ごしていた。


「おいでー、アインシュタイン」


愛が呼んで、仔犬を抱き上げる。

抱き上げられた仔犬はワウッと元気よく返事をして、俺の隣に座った愛の膝の上に収まって気持ち良さそうに喉をならす。

この仔犬、アインシュタインはしばらく前に愛が拾ってきた元捨て犬で、そのままうちで面倒を見ている。

ちなみに命名は愛。

当時、愛が仔犬を拾ってきたときはマジで死ぬかと思ったけど、人間どうにか慣れるものである。

まあアインシュタインが賢い子だったからどうにかなった部分もあるんだろうけど。

アインシュタインを胸に抱いて撫でている愛の姿はホームドラマのようで、最初はどこか遠くに見えていたけど、最近は日常の一場面に感じられるようになってきた。

これが幸せになるってことなんだろうか。

今度は俺の膝の上に乗ったアインシュタインの顎を撫でると、気持ち良さそうに舌を出す。

その様子を見ながら、少し前のことを思い出していた。

この仔を愛が拾ってきてからしばらくは世話に躾にと苦労したけど、それでもずっと二人で面倒を見ていられたので、どうにかなった。

そう、愛は高校卒業後、大学へは進まずに俺と一緒に暮らしている。


「大学行かなくて良かったのか?」


今更ながらにそう思ったのは、昔のことを思い出したからだろうか。

俺の突然の質問に驚いた顔をした愛は、それでも落ち着いた表情に戻って答える。


「特に目的もなく大学に行くよりも、優と一緒にいる時間の方が大事だもん」


平然と答える愛の言葉は少し重い。

でもその重さは人と一緒に生きるために必要なものなんだろう。

それにそう言ってくれる愛の言葉はとても嬉しい。


「優は私と一緒で後悔してない?」

「そんなわけないだろ」


言って、顔を寄せて軽く唇を重ねる。

もう何度繰り返したかわからないその行為はすっかり自然なものになっていた。


「それにお前もいるしな」


気持ち良さそうにしているアインシュタインを見ると、再びワウッと元気よく鳴き声が返ってきた。

ちょうど同じタイミングでチンッと小気味良くオーブンが鳴って、愛が腰をあげる。

最近の愛はお菓子作りに凝っていて、作業する手付きも初めの頃のたどたどしい動きからは想像もできないくらいスムーズになっていた。

人間やればできるもんだなあと、なんとなく感慨に耽ってしまう。


「はい、パウンドケーキ」


ミトンを両手につけた愛がテーブルの上にお皿を置く。

加熱された空気と共にバターと砂糖の暴力が嗅覚を刺激して、切り分ける前なのに手を伸ばしたくなる。


「熱いから火傷しないように気を付けてね」


と忠告されながら切り分けた取り皿を貰い、焼き立てのしっとりとした感触とケーキの甘味とチョコレートのアクセントで頬が落ちそうになる。


「旨い」

「よかった」


俺の反応を見て嬉しそうに笑った愛も自分の分を口に運んで満足そうに頷く。

そのまま二口三口と口に運んで、ひとまず満足すると愛が思い出したように口を開いた。


「そういえば、お母さんが結婚式どうするのって言ってたよ?」

「あー、あー、あーーー」


いきなりの質問に脳が現実逃避モードに入る。

結婚式というか、それに呼ぶ家族をどうするかという問題が直視したくない。

どうして結婚式に親族なんて呼ばなきゃいけないんだろう。

いや、愛のウエディング姿はとても見たくはあるんだけど。


「麻衣ちゃんは来たいって言ってたんでしょ?」


親もあれだが、妹なんて呼んだらどうなることか。


「どうなるの?」

「世界が滅びる」

「そんなに??」


もしくはストレスで俺の寿命が56億年くらい縮むかもしれない。

とまあ、さすがにその可能性は少ないけど、それでも面倒事にしかならないのはわかる。


「そんなことないと思うけど。お父さんだって、孫の顔を見たらコロッと祝福してくれるかもしれないよ?」


それはあんまりにも希望観測的だと思わなくもないけど、直接否定すると愛が嫌な顔をしそうなので黙っておく。

それにもし、そうなるか試してもデメリットは無いんだし。


「だから今日も」

「わかったよ」


自然な流れで顔を寄せると、二人のあいだに座っていたアインシュタインがワウッっと鳴いて動きを止める。

お互いに顔を見て笑いあって、アインシュタインの頭を撫でながら改めてキスをした。




◇◇◇




ケーキの残りは明日以降のおやつとして、愛がサランランプをかけて仕舞う。

まあ明日以降と言いつつ今日と明日で全部食べ終わるだろうけど。


「それじゃあ映画見よっか」


戻ってきた愛が再びソファーに座ってリモコンを操作する。

愛と一緒に過ごすようになって、女性向けやファミリー向けの映画やドラマを見るようになったのが変化のひとつ。

あと、ホラー映画も見るようになった。

以前はホラー映画はストーリーが微妙なことが多くてあまり見なかったけど、最近は愛に見せるといい反応をするのが面白くて(プラスかわいくて)たまに見ている。

その反応があんまりにもいいから、遊園地のお化け屋敷に連れていったらさすがにうらめしそうな顔をされたけど。

そんなことを考えながら、映画を選んでいる愛の後ろ髪を手癖で撫でる。

愛の髪は柔らかくて、撫でてるとなんとなく落ち着く。

もしかしたら愛の髪には、一時期流行ったハンドスピナーと同じ効果があるのかもしれない。


「髪伸びたな」

「洗うのも乾かすのも大変なんだから感謝してよね」

「こうやって撫でる度に感謝してるよ」


昔は首筋が見えてた後ろ髪が、今は肩甲骨の辺りまで伸びている。

愛が初めて俺の部屋を訪れてから約二年。

あの時は愛とこんな関係になるとは思っていなかった。

というか自分に恋人が出来るなんて想像してもいなかったんだけど。

それでも今は愛と一緒にいるこの時間が、自然なものに感じられる。


普通になることは最大公約数的な幸せになる方法だけれど、普通でなければ幸せになれないわけではない。

なんてことを最近は思う。

まあきっと、その幸せを維持するためにはこれから大変なことも沢山あるんだろうけど。

でも愛と一緒ならきっと大丈夫。

今は心からそう思える。

どうかこの幸せがずっと続きますように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る