第14話 遊歩道

「あれは無いと思うんだけど…」


早々に会話を切り上げて双眼鏡を覗く彼女に武内は苦言した。


ことある毎に中田に反感を持っていた武内だったが

今回のやり取りに関しては彼に同情する。


名前を聞いたのは彼なりの歩み寄りだろう

それが分かるなら二度と会わないと思っていても礼で返すべきだ。


憲兵に本名が漏れたくないと言うなら偽名だって良かった。



「足に自信は?」


彼女は

嫌、鴉を名乗る彼女は双眼鏡を置くと武内に向かって聞いた。



鬱蒼とした森がようやく開けた先には、また鬱蒼とした森が口を開けている。

距離にして100メートル位か…


「あそこに落ちてるの見える?」


三人を集めると鴉は森の間に広がる草原を見ながら言った。


丁度、中間地点辺りに何かボロ布の様な物が雑草に見え隠れしている。


良く見ると幾つか同じような物が見えた。


「あれは春先に連れて来た人なんだけどね」


あれが人なのか!?

目を凝らしたが、ゴミが落ちてる位にしか見えない。


「他に見えるのも…死体なのかい?」


教授は平静を保っていたが眼鏡の奥は震えている。


「全員、お前の客かよっ!?」


中田は怒りではなく怯えた目で彼女を見た。


「知らない人も何人か居るわね…私の客は二人だけよ」



鴉が言うには、此処はドイツ軍の罠らしい

開けた場所に安心して飛び出した連中を

狙撃兵が狙って来るのだ。


仲間内では「遊歩道」と呼ばれる難所の一つだと彼女は言った。


狙撃される草原、死体がある所からして有効な対策もあるまい。



小学生の頃によくやった度胸試しを武内は思い出す。

川に架かる給水管の上を歩いたり堰堤の端に向かって自転車でチキンレースをしたりして勇敢さを競う。


女子はギャラリーだが、競技の内容を決める事もしばしばあった。


堰堤のチキンレースを発案したのはクラス一の美少女だった。


勢い余って自転車ごと堰堤から落下する男子を美少女が恍惚とした目で見ていた事を思い出す。


この蛮勇と徒労は全て自分の気を引く為だと彼女は理解していたのだろう。


そんな事を考えながら武内は目の前に立つ美少女を見ていた。



「他にも居るのか?…つまり、君みたいな人が?」


鴉の話に遊歩道と呼び合う仲間が居ると聞いた教授は興味を持ったようだ。


「最盛期には70人くらい居たけど今は何人かな?」


鴉は斜面に腰を下ろすと双眼鏡をリュックにしまい込んだ。


「皆は、どうしたんだ?」


教授はなおも聞いた。


彼女は言葉を濁し何人とまでしか言わなかったが、よくて五人か六人だろう。

最盛期から比べて一割にも満たない人数しか残っていないとなる。


「半分は行方不明、後は憲兵に捕まるか病死…自殺」


「もう、いいぜ!そんな話はよぅ!!」


堪り兼ねた中田が話を遮った。


「今から、ああなるかも知れねーんだぞ!?分かってんのかよ!?」


中田は子供の様に地団駄を踏みながら野原を指差す。


「何か策は無ぇのかよ!?何かさ、あるだろ!?」


職業柄だろう探求心が勝ってしまった教授に反して

中田は「ドイツ占領地域に転がる民間人の死体」と言う絶好の被写体を前にカメラを向けるどころか

震え上がってしまった。


三十過ぎの彼は継続戦争以前も知ってはいたが

関西住みだった事もあって直接の戦禍に遭った経験は無い。


カメラマンとはなったものの本雇いではない彼が

新聞社から海外の戦争地域に派遣される事は無かったし

たまに「海軍の最新鋭巡洋艦に乗り込む!」とかな提灯記事をカメラマン兼記者で書く以外は

専らエロ雑誌のヌード写真が専門だった。


今回の取材もドイツ軍が進撃を停滞させてから17年近く

戦闘らしい戦闘など無い安心感があったのだが…。


それが日常的に人が死んでいる場所だったとは思ってもいなかった。


「順番に1人1人走り抜ける以外に手は無いわね」


彼女の答えには何の策も在りはしなかった。












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