第19話 ひとりの理由

「……で、僕がわざわざ札幌でひとり暮らしをしている理由について、だけど」

 その後、ちょっとだけしんみりとした晩ご飯を終え、片付けも済ませ、再びリビングで僕と真白はコップに注いだ麦茶片手に向かい合う。

「端的に言えば出来ちゃった結婚だったんだ。僕の両親」

「……できちゃった結婚……?」

 ああ、その知識はないのね。まあ、普通に観察していてその言葉を学ぶ機会なんてないだろうし。

 きょとんとした真白に、僕は咳払いをしてから意味を説明する。

「天使や猫がどうなのかは知らないけど、人間は一般的に結婚をしてから子供を作ることがいい、みたいな風潮がある。さすがに結婚はわかるよね?」

「は、はい」

「でまあ、子供を作るには……猫で言うところの交尾、性交……大っぴらに言えばセックスをしないといけないといけないんだけど、大抵のカップルはそれを結婚する前に済ませることが多いわけで」

 今時嫁入りは清い身体でなんて信仰があるかどうか知らないけど、そういうものなんじゃないだろうか。って勝手に思っている。というか僕の親が事実そうなのだから。

「そ、そうなんですね……」

 真白はちょっと恥ずかしそうに視線を僕から斜め下に外す。……すみませんね、こんな話をして。

「そうなると必然的に結婚前に妊娠が発覚するってことがまま起きるわけだけど、子供を産む、育てるってなるとお金がかかるようになる。母親は一定期間生活するだけでいっぱいいっぱいになっちゃうし、そうなるとお金を稼げない。それはいけないので、事後的に結婚を済ませて父親が母親と生まれる子供を養うことにする。生まれたあとは人それぞれだけど、それが出来ちゃった結婚。あまりいい意味で使われることはない。かといって差別的な意味を強く持っているわけでもないから、言うこと自体がタブーってわけじゃないけど。……仲良くない人に使うのはあまりよくないからそこは注意して」

 そこまで話し、僕はお茶を少し口に含む。麦茶を飲んでいるはずなのに、少しだけいつもより苦く思えてしまう。

 真白も決まり悪そうにして、白い服の袖をちょこちょこっともてあそびつつ、耳を僅かに赤く染めている。

「僕の父親ははっきり言ってクズでね。どうしようもない奴だったんだ。……当時水商売をしていた母親と一回だけ関係を持って……なんてぼかして言ったら伝わらないか。一回だけセックスをした。……別に恋人でもなんでもないのに。そうしたら、母親が妊娠してしまった。それが、僕」

「そ、そんな、実のお父さんをクズだなんて」

「いいや、クズだよ。……そこは譲らない。天使の前で使う言葉じゃないだろうけど、本当はあいつを父親として認めたくない」

 僕を諫めようとした真白だったけど、僕もそこだけは曲げられないので食い気味に反論する。真白の言い分も真っ当だろうし、親を悪く言うのはよくないんだろうけど。

「で、両親は結婚をしたわけなんだけど。上手くいくはずがないよね。だって、ふたりに恋愛感情なんてなかったんだから。父親は別の女性と毎晩遊んでるし、母親は母親で父親を財布にしか思ってなくて、ろくな生活を過ごしてない。……百歩譲って母親は『僕を作らされた』身だから、同情の余地がないわけでもないけどね。妊娠で仕事を辞めざるを得なかったみたいだし。……別に水商売が悪いなんて言うつもりはない。それは母親の自由だったから」

 恐らく水商売っていう単語の意味も真白は理解していないのだと思う。でも、聞いてこないなら僕も説明しない。なんとなく、どういう仕事なのかは大まかには想像がついているだろうし。

「そんな両親だったから、育ての親は父方の祖父母だったよ。多分、両親より過ごした時間は長かったと思う。ただ、僕が小学生に上がったころにまず祖母が亡くなった。……多分、東京で僕の面倒を見てくれたことが体に障ったんだろうね。何の前触れもなくいきなり亡くなったんだ。僕が手のかからない年になったことで、祖父は札幌の家、つまりはここに戻った。小学生以降は、形式上は両親に育てられたことになる」

 でも、と僕はさらに話を続ける。

「さっきも言ったような親だから、手がかからなくなるとますます好き勝手やるようになったよね。僕の両親は。母親は毎晩どこか行って男と遊び始めるし、父親に至っては家に別の女性連れ込んだこともあったよ。僕を押し入れに閉じ込めてね」

 今思えば、もはや家でも行為に及んでいたのではないかって容易に考えがつく。そのときの僕はわけがわからないまま押し入れで過ごしていたけど。

「ご飯だってまともに食べさせてもらえない、毎日千円札をテーブルに置いて、それでどうにかする生活。いや……もはやお金を渡してくれたことに感謝すらするくらい僕の感覚はバグってたよ」

 ……お金を渡さなくても、不思議ではないような親だったのだから。

「そんな感じに年を重ねて、無事に僕が義務教育を終える中学校を卒業、って時期にようやく親が離婚した。これは前にも話したよね」

 真白は小さくこくんと頷く。

「親権は父親が取った。……取らされた、って表現が適切かもしれないけど。晴れて母親は僕という望まない子供から解放されて、今はどこかで好き勝手生きていらっしゃるんじゃないかな。正直父親とふたりで生活するのに自信はなかったから、僕は祖父の住む札幌に逃げることにしたんだ。高校進学っていういい機会だったし。……どうして札幌で暮らしているのって質問の答えについては、僕が生まれてくるのが望まれない子供であり、親と暮らすのに限界を感じたから、ってのが理由かな」

「の、望まれない子供だなんて、そんな言いかたしなくたって」

「……僕に同情ならいらないよ。こんなケース、他に掃いて捨てるほどいる。僕はまだいいほうだよ。まともに育てられた覚えはないけど、暴力を振るわれた覚えもない。食事代はさっきも言ったように出してはくれたし、家を追い出すとかそういうこともしなかった。幸い、祖父母も健在だったし。天使として同情するなら、もっとすべき環境の子がいる」

 コップのなかの麦茶を一気に飲み干して、ファミリーサイズのペットボトルのそれをもう一度注ぐ。

 暖房のせいかわからないけど、目の前に座っている真白は耳だけでなく顔も少し熱くさせて、テーブルの上に置いていた右手は微かに震えていた。

「……札幌での暮らしは楽しいよ。ほんと。祖父は逃げてきた僕を良くしてくれた。僕があまり人と関わるのが上手くないから、学校で友達もできないなかで『誰かがいる家に帰れる』ことは心の底から幸せだった。でも、それの生活も一年ともたなかったけど」

 テーブルやテレビ台の横の置き時計、和室の仏壇など家のそこらしこに残っている祖父を感じるものを眺めては、そっと呟く。

「祖母と同じようにいきなりだったよ。急に倒れて、急に亡くなった。……いや、それはまあよくある話なのかもしれない。……でも、僕が父親をクズ呼ばわりするのはここに理由があるんだよ」

 テレビラックの横、飾ってある祖父母の生前の写真を一瞥して、僕は続けた。

「真白は、葬式ってわかる?」

「は、はい」

「……祖父が亡くなったあと、勿論葬式を開いたんだけど……それの喪主っていうのを、僕がやったんだ」

「……?」

 さすがにそれはわからないか。というか、普通は僕もわからないはずなんだけど。まだ僕は十六歳だし、わかっているほうがどうかしている。

「喪主っていうのはまあ、葬式を取りまとめる役割の人って認識でいい。一般には結婚相手、この場合なら祖母。いない場合は子供、この場合は父親が務める。だから、本来は喪主も父親が務めるはずだったんだ」

 ただ……。

 僕は震えそうになる声を必死に押さえつけて、説明する。

「……祖父と父親は当たり前だけど仲は険悪でね。葬儀には参列しなかった。だから、喪主は孫の僕がやることになった。祖父母の子供は父親しかいなかったし、祖父母の兄弟は全員もう亡くなっていた。父親以外に血の繋がった家族が、僕しかいなかったんだ。……いくらなんでも、ひどい話だとは思わない? 千歩譲って僕が喪主したのはいいよ。すっげー気の毒そうに葬儀会社の人に接しられたけど。一万歩譲って死に際に立ち会わなかったのもいいよ。本当に仕事だったのかもしれないし。急だったし。十万歩譲ってまともに僕と関わらなかったのもいいよ。欲しくもない子供だったのだから。……でも、親の葬式に行かない子供がどこにいるのかよって。それを自分の子供になんの一言もなく押しつける親がどこにいるんだよって……。仲悪いのだって知らねーよ、あんたの勝手じゃねえかよ。……って、真白に言ってもしょうがないんだけどね」

 さすがに高校一年生の僕に喪主をさせるのはいかがなものか、とそのときはご近所だったり祖父の参加していた老人会から声があがった。特に仲のよかった祖父の友人が代わりに務めようかっていう提案も受けた。

 でも、僕はそれを断った。

 ……居場所をくれた祖父のために、何か返したかったから。

「僕の名前、つけたのも祖父だったんだ」

 祖父の名前は北郷優作。……僕のネーミングセンスは祖父譲りなのかもしれない。

「……親の代わりをしてくれた祖父の葬式くらいは、ちゃんと家族の誰かがやりたいって。みんな色々と手伝ってくれたし、なんとかなった。……特にお隣の米里さんの家にはよくしてもらったよ。お通夜や告別式の手伝いに、葬儀会社の人との話には全部付き添ってもらえた。……米里さんが僕のことを気にかけていると真白が思うのなら、多分一連のこの流れがあると思う。もともと気遣い屋さんな性格しているけど、葬式のときの僕は余裕なんてどこにもなかったからね。……だから、真白が思う理由で彼女は僕に接してなんかいないよ」

 そんなのは、都合のいい勘違いだ。

「僕が学校でもぼっちなのは、単に僕の性格だよ。……こんな半生過ごして、明るい性格になるなんて僕には無理だったし。別にひとりでいることを苦に思ったことはない。むしろ、親がいるときのほうが苦なくらいだったし」

 しばしの間、お互いに何も話さない時間が生まれた。真白もここまで負の感情だだ漏れにして僕が話すなんて想像していなかったのだろう。

「……ごめんね、やっぱり聞いていて楽しい話じゃなかったよね。僕、先にお風呂入ってくるよ」

 申し訳なくなった僕は、空になったコップを持って席を立つ。俯いた真白を置いて、ひとりお風呂に入る支度を始めた。

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