第17話 別に怒っているわけではない


 そして迎えた約束の土曜日。真白は僕より一足先にバイト先へと出かけて行った。この瞬間も誰かに見られていないかヒヤヒヤものだけど。

 米里さんが迎えに来るという、午後の二時まで適当にテレビを見たり本を読んだりして時間を使っていると、予定きっかり二時ちょうどに家のインターホンが鳴らされた。

 それを聞き、僕は上着を着て外に出る。玄関先には、白い息を零して僕のことを待つ米里さんがいた。寒さのせいか、頬が赤く色づいている。

「……よし、じゃあ行こう」

 彼女は先日スーパーで会ってしまったときと同じ青のダッフルコートに、赤を基調にしたチェックのマフラーを首に巻いている。

「う、うん……」

 普段は面倒見のいいお姉ちゃんみたいに明るい雰囲気を出している米里さんだけど、なぜか今日は借りてきた猫みたいに大人しい。休み時間教室にいれば彼女の声が聞こえない瞬間はほとんどないというほどなのに、このときばかりはあまり口を開かない。

「カフェとか行ったことないって、言ってたけど、ほんとに行ったことないの?」

 ようやく何か話したと思いきや、やや聞きにくそうにゆっくりと隣を歩く彼女は僕に尋ねた。……まあ、僕も僕で喋らなかったんだけどね。だからぼっちなんだろうけどさ。

「本当だよ。……そもそもどこかに連れて行ってくれるような家庭じゃなかったし、札幌に来てもじいちゃんはあまりそういう場所には行かなかったし。友達もいないしね」

 最後に自嘲気味に付け足して、僕がそもそも出かけるという概念に縁がなかったことを伝える。

「そうなんだ……ふーん」

 何故かその答えに嬉しそうに表情と口調を緩める米里さん。……え? そんなに僕がぼっちなのを聞いて嬉しかったの? やっぱり僕のことをディスるの楽しい?

「叔母さんのカフェ、そんなに大きいところじゃないし、土日だと席が全部埋まるってことはないみたいだから今日はゆっくりできると思うよ。どっちかっていうと平日夕方のほうが混雑するみたいだから」

 その説明はあらかじめ真白から面接が終わってから聞いてはいた。メインの客層は主婦である、ということも合わせて。これで若い兄ちゃんがメインですって言われたら仮に米里さんの紹介でも止めたけどね。

 その後もポツポツと、信号待ちに引っ掛かった際に話をするペースでなんとなく会話をして、二十分が経った。

「ここだよ」

 米里さんが指をさした先に、言われていた通りこじんまりとした隠れ家みたいな雰囲気のお店があった。一階建ての建物の周りは木々で囲まれていて、どこか森の入口を想起させるつくりになっている。不自然に空いたスペースがあるのを見ると、夏場は建物の外にも席を設けているのかもしれない。確かに、青々しく生い茂った木や花を眺めながらゆっくりするのもいいかも。

 店内も説明通り穏やかな様子で、チリンチリンとか細いベルの音を立てながら入ると、コーヒー豆の香りがまず鼻腔をくすぐって、どこか祖父の趣味と通じるような雰囲気を感じた。北欧的なインテリアってことだ。ここも木の空気を重視するテーブルや椅子に、絞り気味のボリュームでスピーカーから流れるピアノの演奏音。そして、

「いらっしゃいませー、あっ」

 ……少し薄暗い、近代ヨーロッパっぽいオレンジの照明の下で揺れる真白の銀色の髪が、とても幻想的に見えた。

 多分制服なんだと思う、綺麗にのりがかかった真っ白なワイシャツと、対比するように黒色のエプロンを身に纏っている。ズボンは家と同じだから、上だけ貸し出されているみたいだ。

「来てくれたんですね、どうぞ、お好きな席に」

 こう、家でみる笑顔とニュアンスが違うような笑みを浮かべて真白は僕らを案内する。米里さんは、窓に沿って横向きに置かれているテーブルを選択した。上着を脱いで窓横にあるハンガーにかける。柔らかい素材でできた席に座ったから米里さんはグッと体を伸ばした。すると、薄い茶色のカーディガンが伸びて、彼女の女性らしい部分が少しだけ強調されて僕は目を逸らしてしまう。……雪景色の庭綺麗だなあ。

 僕らの他にも二組お客さんがいて、ゆっくりとコーヒーを嗜みながら談笑していた。……なんか、ここだけ時間がゆっくり流れているような、そんな空気。

 さっき入る前に見た庭を窓から眺め、メニューを開く。

 まあ、予想はしていたけど高校生にとってはやや高い……。結構内装にも気を使っているみたいだし、チェーン店みたいに回転率を上げて利益を上げようってコンセプトでもなさそうだし。……仕方ないよね。

「……僕は決めたよ」

 一番お安いホットコーヒーにします。

「オッケ―。すみませーん」

 米里さんも決まったみたいで、軽く手を上げてキッチンで動き回っている真白を呼ぶ。彼女の声を聞いた真白はにこやかな表情を崩さないままこちらへやって来た。

「はい、決まりましたか?」

「えっと、私はクリームコーヒーひとつ」

 ……冬だと言うのにコールド。さすが地元民。暖房をガンガンに聞かせた室内でシャツ一枚になってアイスを舐める文化があるっていう噂は本当みたいだ。あ、ここのお店は適度な暖房です。

「僕はホットコーヒーで」

「ホットコーヒーにお砂糖とミルクはお付けしますか?」

「……ミルクでお願いします」

「かしこまりました、お待ちください」

 ……なんか、その。真白って普段からですます調で僕には話しているけど、店員と客ってなるとまた別というか。

 くすぐったい。

「……普通にちゃんと働いているのね、あの子」

「なんで少し姑みたいになってるの」

「そんなことないし」

 ……ならいいです。

「冬なのに冷たいの頼むんだね」

 メニューが届くのを待つ間、さっき思ったことを聞くことに。

「珍しい?」

「……珍しいっていうか……。ほら、こんなに外は寒いのに、冷たいのって凄いなって思っただけ」

「あー、まあ……別に温かいの飲まないわけじゃなくて、そのとき飲みたいものを頼んでいるんだ。よく内地の人に言われるんだよねー。北海道の人って冬はいつも家のなかで半袖短パンでいるの? って」

 辟易とした顔を浮かべて米里さんは僕に答える。

「いや確かにそうやって過ごす人はいるけど、いつもってわけじゃないし全員ってわけでもないし。じゃあ冬にアイス食べたらだめなんですか? って話だし。零か百かで判断されてもねえってね。東京の人だって東京の冬は寒いって言うだろうし、それでもアイスは食べるでしょ?」

 なんか……すみませんでした。

「個人的には二番目くらいに言われてイラっとするあるあるだよね」

「ちなみに、三番目は?」

 意外とこのネタが面白いかもしれない。

「北海道の人ってどこの家も牛飼ってるんじゃないの?」

 たまーに聞くなあ。言ってる奴を東京で見た。

「アホなの? 北海道だけ未だ第一次産業で足踏みしてるの? 大通公園の周りにあるあのビル街のなかも牧場か何かだと思ってるの? 食料供給止めるぞコンクリートジャングルの住人」

 でも……農業が盛んなのは札幌ではないよね、と思ったのは口にしないでおく。本当に戦争になりそうだから。

「……トップは?」

「北海道を一日で回りきろうとする残念な地理感覚の持ち主」

 即答だった。

「札幌からどこか行くだけでも重労働なのに帰ってこようとしているのを聞くとイライラを通り越してもはや憐れむよね。中学校で縮尺ちゃんと習った? 一回地図の上で関東平野と北海道を重ねてみたらどう? ちょっと横浜いこーよみたいなノリで網走釧路稚内その他諸々行けると思わないでもらいたいよね。札幌近郊で行って帰れるのはせいぜい小樽旭川千歳くらい。北広島や恵庭えにわ江別えべつは観光で行くかと聞かれると微妙だし、言っても道民じゃなきゃ伝わらないでしょ?」

 よほど何か腹に積もる経験をしたのだろうか、まくしたてるように米里さんは愚痴を並べる。

 ほんと……すみません。僕も札幌住むまで地理感覚バグってました。あと、最後の三つの都市の名前は僕も未だによくわかってません。

 米里さんは自分が語ってしまったことに気づいたみたいで、今までの早口から一転、もじもじと恥ずかしがって両手の指をちょんちょんと手元でくっつけている。

「べ、別に……面白かったから」

「そ、そう?」

 そんな北海道トークをしていると、コーヒーの準備ができたのだろう、マグカップをトレーに乗せた真白がテーブルから見える位置にやって来た。真白は続けてグラスに入ったアイスコーヒーの上に、サーバーからバニラアイスを器用に巻いて乗せている。綺麗な渦巻き……。

 あの子、器用すぎませんか?

「お待たせしました。クリームコーヒーとホットコーヒーです、ごゆっくりどうぞー」

 半透明な黒色のコーヒーのなかに、氷とアイスが揺れる。早速暖房で溶けているようだ。

「それじゃ、早速だけど。私はこれを食べたかったから。いただきまーす」

「い、いただきます……」

 僕は僕で授けられたミルクを混ぜ始める。真っ黒だったマグカップの中身は少しだけ色を薄くさせて、茶色っぽくなる。

「ん……美味しい……」

 さすがにコーヒーを入れたのは真白ではないだろうけど、飲みやすい。あまり苦いの得意じゃないからこれは嬉しいかもしれない。

「美味しいでしょ? ここのコーヒー。よかったー気に入ってもらえて」

 そう感想を漏らした僕を見て、ホッと表情を緩めた米里さんは、銀のスプーンでアイスをすくっている。

 ……冬に食べるアイスも、美味しいよね。



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