女神らは求めど

 その日の、放課後。少しの間をおいて私が教室に戻ると、予想したとおり、篠原アカリが一人で教室の清掃を行っていた。


 からでも何となく察せられたことではあるが、グループに潜り込んではっきりしたことが一つある。「中核メンバー三人の中で、アカリだけはその他の取り巻きと大差ない扱いを受けている」ということだ。

 もともと起用だからと重宝されていた取り巻きに過ぎないのだろう。本来ならば三人で行うはずの掃除当番を、たった一人で押し付けられている程度には、扱いが軽い。


 ――だからこそ、と私は思案する。彼女たちの間に決定的な不和を齎すには、彼女が最も都合が良いだろうと。


「あ、あれ、忘れ物っす? 」


 ぼんやりと掃除をしていた彼女が私に気付いて、はっとそう尋ねる。私はその問いに小さく首肯して、彼女にたずね返した。


「古城さんと、笹部さんは? 」


「あ、あはは、二人で帰っちゃいましたよ。」


「まぁ。ひどい人たちね。」


 そんなことないっすよー、と、アカリは何でもないように返して、またモクモクと掃除を続ける。私はわざと置いていった数冊の教科書を鞄に詰めなおすと、彼女のそばに近寄って、モップを一つ、手に取る。


「そんな、悪いっすよ」


「二人の方が、早く終わるでしょう? 」


 慌てるアカリにそう言ってほほ笑むと、彼女の顔が夕日の中でもわかるくらいに赤くなる。まるで邪気の無い少女のような、少年のような曖昧な笑みを浮かべて。


 ――私はまた、内心で舌を打つ。


 結局のところ、彼女は手足でしかない。私は、早々に結論付けた。ただ長いものに巻かれるだけの卑怯者。ミヒロやユウナのようなプライドを持たない彼女には、恥辱や不和での復讐で大きなダメージは与えられないだろう。


 ならば。私もまた、彼女をする。グループの間に芽生えた不和の火種を、大きく育てるために。


 ――やがて掃除が終わると、私たちは教室に鍵をかけて帰路に就く。二人で分担したおかげで、夕焼けの空はまだ明るかった。


「ねえ篠原さん。そのキーホルダーって……」


「あれ、これ知ってるんです?」


 私が指さしたのは、アカリの鞄にぶら下がっている、小さなキーホルダーだ。数か月前まで放送されていた女児アニメの関連グッズで、普段使いできるデザインがSNSでも好評だった。

 あのグループの中で、そういった趣味を持つものはあまりいなかったのだろう。同好の士を見つけたアカリは嬉しそうに笑う。


「あれ、すごい好きだったの。……子供っぽいかな? 」


「そ、そんなことないよ! なんていうか……」


 大声をあげて、そして我に返ったのか、アカリは尻すぼみになりながら私をフォローしようとする。


「女の子らしくて、か、かわいいな、って……あはは」


「それって、自分のこと? 」


 少しからかってやれば、ちがうっすよ、とまた声を大きくしながらアカリは必死に否定した。私はできるだけ、口元に手を当ててくすくすと笑う。

 ――好みのわかりやすい女。これもまた、サービスだ。


「ねぇ、少しだけ寄り道したいな……付き合ってくれる? 」


 私がしなを作ってそう言うと、不意にアカリの表情が固まる。降って湧いた幸運に、感情の処理が追い付かないように。


「――ありがとうっ! 大切にするね! 」


 私がアカリを連れ出したのは、学校からほど近い、うらびれたゲームセンターだ。

 アカリが取ったクレーンゲームの景品を両手にもって、彼女に抱き着く。私が彼女にねだったのは、くだんの女児アニメのマスコットを模した、小さなぬいぐるみだ。彼女好みの、ささやかなおねだり。


 急に抱きすくめられたアカリはと言えば、あからさまに顔を赤らめて、このぐらいのこと、と謙遜する。必死に平静を装っても、甘い毒に浸かった彼女の脳内は、きっと有頂天になっていることだろう。


「ねえ、お揃いにしよう? 」


「え、えぇっ? 」


 私はそう言って、私と彼女の鞄にぬいぐるみのキーチェーンを通す。アカリは二人の鞄を交互に見つめながら、ちょっと恥ずかしいね、と照れ臭そうに笑った。


 それが、私の最後の仕込みと気づかずに。私が明日からまた、に戻るとも知らずに。


 変化は、翌日から始まった。


 私はまた、何も知らないように過ごす。何も気づいていないように過ごす。

 篠原アカリの身の回りに起きる変化。表舞台には決して見えないように。現れる変化に。


「アカリ。あんた、チョーシに乗ってんじゃないの? 」


 私は気づかない。いつの間にか消えている彼女の持物のことなど。


「あんましベタベタしてんなよ、迷惑だろ」


 私は知らない。彼女だけが外された、新しいグループチャットのことなど。


「――アイツみたいに、なりたいの? 」


 私は決して触れない。彼女の体に少しずつ増えていく、小さな傷のことなど。


 相変わらず私は彼女たちを弄んだ。彼女たちの手に触れ、ほほ笑みかける。けれど、私はもう公平ではなかった。

 トロフィーは、既に渡された。女王にでもなく。その腹心にでもなく。あくまで取り巻きに過ぎなかったはずの少女へ。


 ――私の思惑通り、不和の火種は燃え広がった。


 手にしたものが女王ならば、腹心ならば、彼女たちはただただ羨望のまなざしを送るだけだろう。けれど、篠原アカリはちがう。

 順当ではないと感じさせる。公平ではないと感じさせる。だから、


 アカリは、ことあるごとに私のそばへ寄ってくるようになった。隠しきれない独占欲をにじませて。

 私もまた、彼女に従順な、女の子らしい女を装った。その優越感だけが、彼女に虚勢を張らせ続けた。

 鞄に揺れるぬいぐるみは、彼女の虚勢のよりどころとなった。私にとって、篠原アカリが特別なのだと。


 ――数週間たって。私は再び、放課後の教室を訪れる。篠原アカリへの、最期の復讐を果たしに。


 彼女はまた、一人でモップを手にもって佇んでいる。袖や、スカートの中に、生々しい傷をのぞかせながら。


「あれ、また忘れ物っすか? 」


 私に気付いて、アカリはとっさに明るい笑顔を装う。私はその言葉を半ば無視するように彼女に駆け寄ると、彼女の胸元に縋りつくように抱き着いた。

 ゲームセンターでの抱擁とは違う、を思わせる抱き着き方。彼女が私のを意識するように、ぴったりと密着する、そんな抱擁を。


「ねぇ、私には隠さないで? 」


 アカリは口をぱくぱくと開閉しながら、頬を紅潮させる。縋りついた胸元からは、早鐘を打つような鼓動が、だんだんと大きくなりながら聞こえてきた。

 ――案外、現金な女だ。


「どうすれば、あなたを慰められる? 」


 私もまた頬を紅潮させ、涙を浮かべながら彼女の顔を見上げる。その間も、私の体が放つ甘い毒は、彼女の心を蝕んでいく。

 数週間の孤独に、暴力に張り詰めた心を、毒のもたらす歓喜がかき乱す。彼女の理性を焼き、激情を掻き立てる。

 彼女の瞳から、涙が一筋こぼれた。怒りとも、歓喜とも、苦痛とも、悦楽とも取れない感情が、彼女の瞳から理性を奪っていく。私は、最期の一押しと言わんばかりに、彼女の後頭部を抱きすくめ、へとその顔を導く。


 ――甘い、甘い毒の源泉に、アカリの体が一瞬跳ねる。私は理性の灼き切れる音を聞きながら、彼女の耳元でそっと囁いた。


「全部、受け止めるわ」


 瞬間、私の体は誰かの机の上へと、あおむけに押し倒されていた。


「ふ、っぐ、うえぇ……アタ、アタシ……」


 私の胸元に、咆哮のような嗚咽を上げて、アカリが縋りつく。その姿は、母に泣きつく赤子にも、発情した獣にも似て。

 私がアカリの頭を撫でると、彼女は噛みつくように私に接吻した。同時に、ブラウスのボタンが、ちぎり取る様にあけられていく。


 ――不思議と、私も興奮していた。彼女がを求めて、一匹の雄のように猛るその姿に。彼女の心が、ケモノへと堕ちていくその姿に。


 彼女の指が、その頂点を目指して私の乳房を這う。口内を彼女と私の舌が行きかう。私は、少しも反抗することなくケモノに身を任せた。


 彼女の瞳に理性が戻ることはないだろう。きっとこれが、果実酒のもう一つの力。

 相応しくないものには、罰を。女神は一匹の獣へと堕ちていく。


 その日、篠原アカリは消えて。


 ――私は、一匹の傀儡を手に入れた。

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