二十四日目

 女性の高い叫び声。リビングにいた私たちは、一斉に上の階目指して駆け上がったのだった。上がった先、バタンと閉まった脱衣所の扉の前で、ぽかんと口を開けて、牡丹が立ち尽くしていた。

「いや、今のは僕は悪くないと思うんですけどね……」

 彼の第一声はそれだった。

 というのが、三十分前の話。今は、リビングで蜜柑と牡丹が正座させられていた。腕を組んで見下ろすは、呆れ顔の薊。凄まじくくだらない理由で説教を受けることとなっていた。

 蜜柑が叫んだのは、下着姿で出歩いていたのを牡丹に見つかったからだ。どうして下着姿なんかで部屋の外にいたのかというと、バスタオルが足りなくなっていたので、下着だけのまま部屋に取りに行ったらしい。牡丹は偶然上がってきて居合わせてしまったのだとか。

 ゆえにこその牡丹の第一声である。冤罪にも程がある。

「いや、なんか最近、いないなら良いかな、って思って……ダリアだって半裸で扉全開で髪の毛を乾かしてるときあるべよ」

「あれは最近暑くなってきて、髪が乾かないからですよ」

「お前らどっちもどっちだなァ? あぁ?」

 蜜柑の言い訳に、へらへら笑って返す牡丹。薊は額に手を当て、溜め息を吐いた。酷い言い訳であるし、牡丹の件については別に知りたくなかった情報である。

 薊は椅子に着くと、二人の正座を解いた。二人がフローリングに腰を下ろしたところで、ソファに座って成り行きを見守っている私たちに目線を向けた。それから、少し苛立った声で話題を振ってくる。

「お前らもそういうことしてねぇよなァ? いくら自宅だからって気が緩みすぎなんだよ」

「あたしじゃないけどー、蜜柑がこの間窓全開にしてるのに下着で部屋にいるのは見たよ」

「一瞬だったべよ⁉」

「ミカン……アンタさァ……」

 竜胆の密告で、再び蜜柑に白羽の矢が立った。蜜柑は手と首を振りながら、わざとじゃないって、と言うのだが、わざとじゃないがさつさのほうが問題ではないだろうか。

 この中で、性自認が女性なのは蜜柑と竜胆と私だ。何が言いたいかというと、彼女らは女性なんだからもっと気を使った方が良い、たとえ別性の三人がいないとしても。悲しいくらいに女性は弱い。開いた窓から不審者に入られたら、私たちではひとたまりもないだろう。

 そして、性別が異ならざるとも、人の裸なんて誰が見たがるだろうか。私は見たくない。いくら自分の家とはいえ、他の住人を気にしてほしいものである。

 しかしながら、前より生活がおざなりになっているのは確かだ。脱いだ服をとっ散らかしておく竜胆と蜜柑、飲んだコップをほったらかしにする牡丹と竜胆──思いつく限りでおざなりなのは蜜柑と牡丹と竜胆だけだが。自粛生活とて、惰眠を貪り始めてから、薊と牡丹と雛芥子は不眠症気味。薊と私は少食気味で、竜胆は過食気味。何事も無く健康なのは、奇しくも今回の問題の中心たる蜜柑だけ。二ヶ月も続いた無秩序な生活が、この堕落を作り上げた。

 家でストレス無くくつろげないのは良くないことだが、くつろぎすぎるのも、共同生活を送る上では良くないことである。常に他人の目を気にして動いてほしいものだ。

「……だって、別に誰も見てないし……」

「僕は見たんですけど。ま、別に僕は他人がしっかりしていなかろうとどうでも良いんですけどね。怠いし」

「あのなァ。自分を律する努力をしろ。誰も見てないと思うからこそダレるんだ、常に監視の目があると思え」

「そこまで言わなくても。アザミからしたら、誰にも見られてないって良いことだと思うんだけど」

 蜜柑は薊が憂うことを逆手に取って、薊を黙らせてしまう。監視の目は、彼女らにとっては恐ろしいものだ──かつて常に他人の監視下にあると思うことで心を病んでしまったのだから。それから逃れるための自己収容生活であったはずだ。

 されど、薊は舌打ちすると、少し躊躇ったように言い淀み、だがな、と言い足した。

「人間は適度な監視が無いとだらける。自らを律することは非常に難しい。だからこそ、ボクたちくらいには監視されておけって話」

「ごもっともですね。全員がだらけたい人だと、本当に際限が無いですし。口煩いと思うかもしれませんが、人間誰しもしっかりしているところとしっかりしていないところがあるのと同じ。僕らは皆を律する側に回りますよ」

「同意ね。これを機に、生活をちゃんと整えましょう。プライバシーの点はさておき、体調面でも最近乱れが見られるようになったから」

 ようやく私も口を開く側に回ることができた。雛芥子や薊と並ぶなんて烏滸がましいけれど、私はまだマシな方だと思っているし、そうでありたいものだ。

 体調管理と言えば蜜柑が総大将である。私の話を聞くと、それもそうね、と答えた。本来生活の乱れを正すのは、蜜柑であってほしいものだが。

「他人のことに口出すばっかりで、自分のこと何もしてなかったかもね。反省します」

「偉いですよ、自省できるのは。一緒に頑張りましょうね」

 雛芥子がそんなふうに甘やかすので、牡丹と蜜柑が同時に笑い出した。牡丹に至っては、お母さんですかアンタは、と喉を鳴らして笑いながら呟く。雛芥子は困った顔で、おかしいですか、と返した。

「この歳にもなって子供扱いはさすがに酷いですよ。あーあ、さすがに恥ずかしいなこれは」

「恥ずかしいのが嫌なら、他人に口出されないような生活をしてくださいよ、まったく」

 カラカラと笑い声を上げ、はいはい、と牡丹は投げやりに言った。それから、ゲームの電源をさりげなく点けたのだった。懲りない奴である。

 一方の蜜柑は意気込んで、さっそく皿洗いへと立ち上がる。そんな彼女を追うようにして、薊もキッチンへ向かったのだった。私も何かしよう、たとえば、お風呂を洗うとか。毎日お風呂に入るようになったのは、こういう生活を始めたからだ。健康的にも、気分的にも良くなる習慣を──運動や入浴のことだ──つけるようになったのは、家でくつろぐための手段だ。なにも、何もかもが怠惰になったというわけではない。

 自分を律することは非常に難しい、薊に言われたとおりだ。だとしても、そうしようとすることに意味があるのだと思う。自分を律せるようになったそのとき、はじめて他人無しで生きていけるようになったと言えるのだろう。今は他者との関わりを断つことでそう思うようにしているけれど、いつかこれは本当のことになる。そのときはじめて、他人というものの不足を嘆かなくて済むようになるはず。

 自分の人生を生きるとは、他人に律されないこと──カントの唱える道徳的に言えば、それが真理なのだから。

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