二十二日目

 毎日毎日放映されているワイドショー。小学生並みの感想しか持てない「世間の声の代弁者」ことコメンテーターは、今日も稚拙に反政府的プロパガンダを続けている。研究者とのビデオ通話で大きな欠伸をして、都合の良いところしか聞いていない。都合の良いところだけをピックアップして、世間を怖がらせる。清々しいくらいの大根役者だ。

 今日のテーマは、ウイルスがいかにして体を蝕むか。流行病にかかるとどういう自覚症状があるか、なんてのは日々報道されているのに、いったい体をどうやって壊していくのかは話さない。分かっていないのだろうし、世間はそういうことに興味が無いのだろう。

「飛沫感染および接触感染したウイルスは、何より肺を蝕んでいく……」

 阿呆面のコメンテーターの真似をして、蜜柑が神妙な顔をする。その隣に座った竜胆が愉しそうにカラカラ笑った。

 今日もやってまいりました、蜜柑の演技集。蜜柑は──実を言うと薊もなのだが──他人の動作や口調を真似するのが非常に上手い。小説書きとして、目が優れているのだと思う。見た動きを、音を、再現する能力に長けている。だからこそ、ここまで面白い演技ができるのだろう。ついこの間のアイドルごっこみたいに。

「肺胞に至ったウイルスはみるみるうちに増殖していき、肺胞を次々潰すのです。そうして人々は呼吸することすら難しくなっていく」

「それでそれで?」

「ウイルスを退治しようと体は熱を上げるのだが、これが危ない。そうして消耗した体に、ウイルスが広がっていく!」

「そう考えると、免疫とは戦争のようね」

 蜜柑につられて、私もついつい文学的な言い回しをしてしまう。六人だけで過ごし始めてから、皆の癖が移ってしまっている気がする。

 戦争は、一回勝負。だらだらと続けるのではなく、一発で決めなければ、やがて資源は枯渇するだろう。一度の攻撃で、アリの巣の隅々まで殺虫剤を浸透させねばならない。だが、今回のウイルスは新型であり、人間が短期決戦をするだけの準備を与えてくれない。だから、熱が長引くのだ。

 熱が長引くほど、体力も気力も奪われていく。それがウイルスにとっては都合が良いのだろう。

「いかにも! 治療薬無き今、感染者は長い長い発熱に悩まされる。自覚症状が重症化するまで少ないのも、まさに完成されたウイルスと言えよう! 感染者は地獄の業火に焼かれたような苦しみを抱き、やがては死んでいく……そして、数日経ったある日、水を求めて再び目を覚ますのだ」

「途中からゾンビ映画風味にしたのね?」

 蜜柑お得意のゾンビホラー映画風の演技である。さながら研究者役のよう。我々は蜜柑の言う架空のシナリオに──外には感染者がうじゃうじゃいて、我々は生存のために自らを収容しているという筋書き──則って暮らしているから、この長い口上こそ今の我々を成す世界観とも言える。

 何にせよ。蜜柑が言うことは、ゾンビになる前まではほとんど正解に近い。

 大袈裟なようで大袈裟ではない。現状静かに世界を滅ぼしているウイルスは、B型インフルエンザのようには生易しくない。水以外の何も口にできないほどの熱と咳に見舞われ、頭痛のせいで眠ることもできないのだとワイドショーは言う。人々の恐怖心を煽るがために、わざと「感染症を他人に移してしまった愚かな患者」を前面に押し出している。しかしながらそれらは全て事実なのだ。

 自覚症状はわずかなもので、あっという間に感染を広げてしまう。そんな人々を指差して、愚かだ、と言う世間様には迎合したくはないが、患者の語る内容は決して嘘ではない。

 私たち三人は、感染を恐れて外へ出ない。蜜柑は時折参加するだけで、基本的には買い出しは薊と牡丹の仕事だ。シェルターで生活しているのに、シェルターを空にしてどうする? もう一ヶ月も離れていない白い壁の城を家にいて守るのも、我々の仕事だ。かつてアテネは疫病で滅んだと聞く。真っ白な壁に囲まれた都市は、疫病が広がるのに一役買った。そうしてアテナイは滅ぶ。だったら、どうして我々がそのような歴史を繰り返すだろうか。

 ツッコミを入れられて一度着席した蜜柑の目の前で、彼女が真似したヒステリックなワイドショーはまだ続いている。治療薬はまだなのか。ワクチンはまだなのか。いつまで戒厳令は続くのか。どうして国民のせいにするのだ、などと被害妄想に駆られたコメンテーターが嘆く。ついこの間、総理は我々に感謝を告げたばかりだというのに。

 彼女の演技よりもはるかに、世間の方が騒々しく騒ぎ立てている。こんなに怖い目に遭いますよ、こんなに辛い思いをしますよ──次から次へと症例を並べ、感染症から奇跡的に復活した芸能人を視聴率稼ぎのアクセサリーとして使っている。少し痩せこけた顔をした芸能人が、皆で口を揃え、後悔の念を口にする様は地獄絵図だ。それを見て声を荒らげるコメンテーターも、あまりにも滑稽だ。

「それにしてもホント、この病気怖いねー。軽症でも三週間は苦しむらしいし……体中が痛くて眠れないのなんて、一日あっただけで病んじゃうもん」

「リンドウみたいな多感な視聴者のために、そういう情報を流しているんじゃないかしら。三十九度の熱は酷いもの」

「ちぇっ、なんか良いように扱われている気がして嫌だな。自分の意志で引きこもってるのに」

「とはいえ、メディアの無意識への働きかけは素晴らしいものさ。ほら、劣悪な人間に虐められてた人々が、ある人物の登場で助けられる番組ってあるべ?」

 私と竜胆の思考が止まる。あるけど、と竜胆は答えた。そんな話、シンデレラや白雪姫を始めとする、童話ではよくある話だ。ヒーロー物だってそうだ。だから、番組に限った話ではないと思うのだが──とにかく、蜜柑は誇らしげに鼻を高くして続けた。

「あれは、前半部分で視聴者を不安や恐怖、怒りで満たすことに意味があると思うね。もちろん、政治家批判でもそうなんだけど。散々憎悪させておいて、あとから自分たちの味方となるような人を登場させる。そうすると人間はその寛大さや素晴らしさに涙を流して喜ぶのさ。そうして人々の好意を集めるのさ」

「かっこよく言っているけど……また『二分間憎悪』の話ね?」

「よく分かってるじゃない。そういうことだから、何気なくカタルシスを求めて見ている我々に、救い主様の顔が焼きつく、それがワイドショーの強さだよ。きっとこの愚かなコメンテーター、ネットでは賛否両論で、好きな人はとことん好いているんだと思うよ」

 へー、と竜胆が真面目な顔で相槌を打つ。そこまでかっこいいことは言っていないのだが。

 蜜柑の言うことは的を射ている。人間の作ったカタルシス生成装置に乗せられて、我々は恐怖を感じたり、安心感を覚えたりしている。決して悪いことではなくて、世界がゾンビだらけにならないようにマスコミ・メディアも必死なのだろうし、もちろん功を奏してはいるのだ。私たちが捻くれていて、そういうプロパガンダを忌み嫌っているだけなのだ。

 数々のバラエティ番組が感染症を大きく取り上げたなら、人々はその脅威を自覚するだろうし、スタジオ外から出演者が参加していれば、視聴者にもその行為を促すことになる。要は、影響力の強い人には、そうやって真実を──もしくは、都合の良い部分を──伝える力があるということだろう。

 私たちのような、しょせん小さなポリス・アテーナイに住む哲学者には、そんな力は無い。せいぜいそういうソフィストに騙されないよう用心することくらいしかできない。城の外にはバルバロイがいっぱいだ。だから我々は哲学の庭で──という名の、物の増えた狭いリビングで──過ごしている。常に何かを考えながら。常に何が正しいかを考えながら。感情ではなく、理性で動こうと努力する。

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