2人目 秋山 護(あきやま まもる) 19歳 男

 職業 無職


 彼はとある事が原因で家から1歩も出なくなってしまった引きこもりである。いや、正確には出られなくなってしまったのだ。


 彼の住む家は二階建ての一軒家、両親は健在で一緒に暮らしている。4つ離れた兄もいるが、東京という人が溢れた街でサラリーマンをしている。


 彼が引きこもりになったのは、中学3年の事だった。それから4年間も引きこもり続けている。


 先程も述べたが、彼は家から出たく無いわけではない。出ることができないのだ。それは中学3年のあの日突然始まった。


 元々彼は根暗で大人しい人間だったが、友達もいる普通の学生だった。しかし、黒沢と言うクラスメイトの誕生会の誘いを断った事をキッカケにクラスで孤立する事になってしまったのだった。


 黒沢は彼とは正反対で、明るく誰からも好かれていた。彼はそんな黒沢が苦手だった。


 しかし、苦手だから断った訳では無かった。誕生会の誘いを受けた前日に彼は祖父を亡くしていたのだ。祝い事に参加している気分では無かったのだ。しかし、彼はその事を説明せずにただ断ってしまったのだ。


 そして、その翌日から地獄は始まった……。


 クラスメイト全員から無視されたのだ。仲の良かった友達からも。他にも教室に入ると彼の机だけ無く、グランドに置かれている事や上履きがトイレの便器に捨てられていたり、もっと酷い内容もあった。あげればキリが無いほどに……。


 そう、彼はいじめを受けていたのだ。もちろん彼は教師に助けを求めた。しかし教師は……。


「いじめ?冗談はやめなさい。遊びだろう?面倒だから騒ぎを大きくするなよ。お前がもっとしっかりすればいいんだよ。」


 彼は教師の言葉に愕然とした。目の前に切り刻まれた教科書があるのに?ボロボロになった上履き、倒され汚れた制服。それを見て何故そんな事が言えるのか。


「本当に僕が悪いの……?」


 その日からだった。他人を見ると吐き気がし、頭痛に腹痛も。酷い時は本当に吐いてしまう事もあった。それは日を追う事に酷くなり、教師やクラスメイトだけではなく、街ゆく他人を見ても症状が出た。そして、それは家族にさえも出始めた。


 そう、彼はこの症状のせいで引きこもりになってしまったのだ。


「人が怖い、人が信じられない。怖い……、怖い!」


 二度と外へは出ない、そう思って生きてきた。はじめは家族ともまともに話しを出来なかったが、彼の両親は根気よく看病を続け、今は家族となら普通に会話できるまでに回復していた。


 そして、ある日事件は起こった。


 その日、彼はいつもの時間に起き、2階の自室から1階へと降りてきた。しかし、いつもいるはずの母の姿が無かった。


「買い物かな?何か食べ物あるかな?」


 台所へと向かうとそこには仰向けに倒れ頭から血を流している母の姿があった。


「母さん!」


 彼は直ぐに駆け寄り声をかけたが返事は無い。母は気を失っていた。彼は直ぐに救急車を呼んだ。


 オペレーターに状況と住所を伝えた。電話とはいえ他人と話すのは4年振りだった。電話越しでも吐き気と頭痛が酷かった。同時に自分が情けなかった。人をあれだけ嫌っておきながら、いざとなったら自分では何もできず、他人を頼るしかないのだから。


 母のそばで祈るように手を握っていた。何も出来ない自分が悔しかった。


 周りをよく見ると脚立が倒れ電球が割れて散らばっている。電球が切れ、それを取り替えようとした様だった。いつ頃倒れたのだろうか?どれくらい経っているのか、なぜ気づかなかったのか。そんな事を考え後悔しているうちに救急車のサイレンが聞こえてきた。




「来た!」


 しかし、サイレンはすぐに遠ざかっていった。


 この辺りは入り組んでいて救急車がこの場所を見つけられない様だった。外へ出て誘導してくるしかない。しかし……。


「どうしよう。このままじゃ……。」


 彼は外に出る決心をした。玄関へ行き4年ぶりに自分の靴を手に取った。しかし、靴は今の彼には小さく履く事ができなかった。また、救急車のサイレンが近づいてきた!彼は裸足のまま玄関のドアを開けた。


 しかし、ドアからは足が出ない。頭痛と吐き気が襲い目の前の景色が歪む。そうしてる間にサイレンが聞こえなくなった。


「うっ……、出なきゃ!母さんが……。」


 彼は力を振り絞りドアから外へと出た。玄関から数メートル進むとチラホラ人が歩いている。裸足でパジャマ姿の彼を好奇な目で見ている。激しい頭痛に腹痛、吐き気が彼を襲う。彼は口とお腹を抑えながら大通りへと向かった。


 すると向かいからストレッチャーを押しながら走って来る救急隊員が見えた。


「君!大丈夫かい?」


 隊員の1人が彼の顔色の悪さに声をかけた。


「僕は大丈夫です……。この先の、青白い家に……。母が血を流していて……。」


「君が通報してくれたんだね?分かった安心して。」


「ドアが、空いてるので……。」


「分かった!君はここにいて。」


 そう言って隊員は家の方へ向かって行った。安心した彼は地べたに座り込んだ。するとすぐに母を乗せたストレッチャーが見えた。


「さぁ、君も一緒に。」


 彼も隊員に抱えられ、一緒に救急車で病院へと運ばれた。


 病院では吐き気を必死に堪えながら治療を受ける母を待っていた。そして母の為に走り回る救急隊員や看護士、医師を見ていた。母は手術が必要らしく、手術室に運ばれて行った。


「大丈夫よ、少し縫うだけだから。命に別状は無いわよ。」


 看護士にそう言われた彼は安心した。安心したらさらに吐き気が襲いトイレへ駆け込んだのだった。


 そして、1ヶ月後。


 彼の母は血が沢山出た割には怪我は軽く、半月程で退院してすでに普通に生活していた。


 あの出来事から彼は強い決心をした。彼の母を必死に運んでくれた救急隊員。そして治療を施してくれた医師や看護士達を見て彼は心を打たれた。何も出来なかった自分に怒りを覚えた。


 そして、彼は……。


「俺……、医者になるよ!」


 夕食の場でそう言った彼に両親は驚き涙した。もちろん反対はしなかった。


「なんでもいいわ……貴方がやる気になってくるなら……。」


 と、母は言い父は、


「何も心配するな、好きな様にしろ。」


 理解ある素敵な両親である。無謀な挑戦かも知れない。それでも彼は強くなりたいと思った。今からでも遅くないはずだ、4年ぶりに前へ踏み出す勇気が湧いてきた。


 次の日、玄関には新しい靴が揃えて置かれていた。


 終わり


『踏み出す勇気は、いつも自分の中に。』


 次の人物。『黒沢省吾』

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