初恋




――嘘みたいに綺麗だった。




 まばゆくも美しい銀の光が、怪獣を撃ち抜いて。

 それですべてが決着した。

 つい今し方、発射されたはずの火炎放射も爆弾も何もかも、幻のように消え失せて――不気味な巨大怪獣は断末魔の悲鳴すら上げず、その肉体を崩壊させていく。

 何百トンあるかも定かではない膨大な質量が塵の山となって崩れ落ち、崩れた先から蒸発していた。

 幻のように溶けていく怪獣の巨体を見上げても、恐怖や畏怖を感じることはない。


 空を見れば、血のように赤い色彩が薄れていく。

 悪夢のようにおぞましく、それでいて安らかな時間が終わるのを、ホシノ・ミツキは先輩の背中越しに目にしていた。

 怪物に襲われるのは恐ろしかったけれど、この赤い空の世界は少女にとって奇妙に心地よかった。

 まるで誰かに見守られているかのような錯覚――少しだけ、その終幕が残念だった。


 でもそれ以上に、ミツキは浮き足立っていた。

 まるでヒーローみたいな人が、本物のヒーローになる瞬間を、その目に焼き付けたのだから。

 ドキドキと高鳴る胸のうずきの正体もわからないまま、爆発しそうな心の熱を声に出して吐き出した。


「お、終わった……んですよね?」


 先輩が振り返る。白銀の鎧をまとった騎士のような姿、荒唐無稽なお伽噺そのものの力の具現。

 その勇姿を、上目遣いに見つめた。

 病的に白い頬が、かあっと赤く染まる。


「ああ、たぶんな…………ホシノさん?」


 ああ、どうしよう。

 胸がドキドキして止まらない。

 わからないことだらけ――スカルマスクがどういうつもりなのかも、怪獣が自分を狙ってきた理由も、先輩が何故シルバーナイトに変身できたのかも不明――なのに、すべてどうでもよくなってしまうぐらいに。


「……さっきの、ほんとですか? 一緒に居てくれるって」

「ああ。そのつもりだよ。少しは信じてくれないか?」


 言葉の真偽なんてとっくの昔に知っている。

 心を読めばイヌイ・リョーマの思考はいくらでも把握できた。

 この人は本心から、居場所のなさを感じているミツキの身を案じて、一緒に居てくれると言ってくれている。

 その心遣いが嬉しかったし、何より、彼と一緒に居られる時間が増えるのがたまらなかった。

 たとえその提案が、妹に向けるような感情からのものだったとしても。


「だって……先輩って都合のいい話ばっかりするから嘘っぽく聞こえるんですよ」

「参ったな……どうすれば信じてくれる?」


 眼下の地上も、山中のお堂も何もかもが燃えていて――周囲を赤く照らし出す炎と立ち上る黒煙はひどく破滅的な風景なのに、今のミツキにとってはロマンチックな背景だった。

 少女は一瞬どうするか迷ったあと、すぐに今一番して欲しいことを見つけ出した。

 かつては母親と交わしていた親愛の証である行為。

 うっとりと目を細めて、華奢な細い腕を銀の騎士へ差し出した。


「じゃあ、手……繋いでください」

「ああ、いいよ」


 なめらかで太い騎士の手の感触は、生身のイヌイ・リョーマのそれとは全然違ったけれど――壊れ物をあつかうように繊細で優しい力加減は、まるっきり変わっていなかった。

 そのぬくもりに胸が弾んだ。


――この世界には奇跡も魔法もあって、正義の味方はここにいる。


 きっと、この繋いだ手が離されることはない。

 そう信じられるだけで、胸の中によろこびがあふれかえった。

 今まで母との思い出の中に仕舞い込んでいた、ありとあらゆる幸福な記憶が、これからしたいことに変わっていくのがわかった。

 爆発しそうな歓喜の中、少女は思いつくがままに問いかけを続けた。


「先輩は……あたしの歌を、聞いてくれますか? また、よくないことが起きちゃうかもしれませんけど、それでも……聞いてくれますか?」


 自分の歌声を褒めて欲しかった。

 親しい誰かに歌を聴いて欲しかった。

 ここにいるホシノ・ミツキを、見て欲しかったのだ。


「もちろん聞くさ。ホシノさんの歌、何度でも歌わせてあげるよ」


 まるでヒーロー番組から抜け出してきたような銀の鎧の騎士は、そう言ってミツキの手を優しく握り返した。

 彼は空想上のヒーローではなく、たしかに存在する少年なのだと実感させてくれる。

 嬉しくて、愛おしくて、口の端が自然とつり上がってしまう。


「嘘にしないでくださいね。約束ですよ」

「うん、絶対だ。約束する」


 その言葉を聞いた刹那、どうしようもなく食欲がわき上がった。


――ああ、ああ!


 こんなにも美しいものがこの世界には存在していて、こんなにも愛おしい気持ちがこみ上げてきて、こんなにもお腹が減るなんて。

 ずっと、ずっと、知らなかった。

 この無味無臭の味気ない世界が、豊かな香りと味わいを秘めていたなんて。

 今まで自分が見落としてきた美しさ――美味なるものの彩りに気づいて、ホシノ・ミツキの目から涙がこぼれた。


「だ、大丈夫か?」


 慌てふためく声は正義の味方に似つかわしくない、イヌイ先輩その人の調子だった。


「だ、だいじょーぶです。あたし、その、うれしくて」

「泣かなくていいよ。これからは、それが当たり前になるんだから」


 ズルい。

 この人は本当に罪作りだと思う。

 そんなことを言われたら、もっともっと好きになってしまうのに。


「……そうだ、先輩。ちゃんと言い訳考えておいてくださいね。先輩の心を読んで口裏合わせますから」

「…………俺が考えるのか」

「正義の味方に変身して怪獣倒しました、とかベルカさんに言うんですか?」

「あ、いや、それは……わかった、考えておく」


 ホシノ・ミツキは知っている。

 この人に想われ続けている女の子が、自分でないことを。

 お伽噺のお姫様と同じ名前の綺麗なあの人、ミツキにも心を読めない不思議な少女。

 イヌイ・リョーマの心の中には、いつだってベルカ・テンレンがいた。


――そっか。こういう気持ちが、好きってことなんだ。


 生まれて初めて、人魚姫の気持ちがわかる気がした。

 叶わない想いかもしれないなんて関係なかった。

 最後に待つのが泡になって消える末路だとしても、一体どうしてこの気持ちを捨てられるだろう。

 こんなにも愛おしくて、こんなにも欲しくなってしまうのに。


――ああ、とっても美味しそう。


 きっと幸せになった先輩の心はもっともっと美味しいに違いない。

 その相手が自分でなくても構わなかった――そのはずなのに、同時にこうも思った。

 両想いになれたら、もっともっと美味しいのかな、と。


「なんだか、あたし……お腹が空いちゃいました」


 人食いサメと言われるサメの多くは、悪意や敵意から人を襲うのではない。見慣れない対象への好奇心が、彼らにとって最も親しんだ噛みつくという行為を選ばせるのだ。

 もっと知りたい、もっと味わってみたいという欲求が、この危険なコミュニケーションを捕食者に取らせてしまう。


 そういう意味において、ホシノ・ミツキの精神性は人間よりもサメに近い。

 周囲の存在の精神をこの世ならざる感覚器で味わう――それがミツキの知覚する世界を規定する、最も原始的な感覚だ。

 彼女にあるのは最初から人間とはかけ離れた捕食者の世界観であり、どれほど後天的に人間性を獲得しようとその根幹が揺らぐことはない。

 人の心は糧であり、少女はそれを喰らう生き物だった。



――本当に、先輩ってかっこいいなあ。



 無垢なる乙女は想う。

 ホシノ・ミツキはきっと、この美しいものを食べるために生まれてきたのだと。

 とくとくと鼓動を刻む心臓の熱を感じながら、少女は知った。





 初めての恋を。





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