006:暁雨、早朝に川原を散歩する(22)

「おとん、今から行くんか? 俺も一緒に行こか?」


 心配げな長男が玄関先まで見送りに来ました。


 かまちに腰掛けて私が草履を履いていると、家の奥からは次男の泣き声が恐ろしげに轟いています。


 何を言うてんのか分からんなりに、弓彦はとにかく不満やというのが嫌と言うほどよくわかる声で泣いておりました。


「いや……アキちゃんはユミちゃんの機嫌を取ってやってくれへんか。それと座敷で寝てるアレやけど……」


 私はボソボソと息子に言いつけようとして、そんな指図がましいことを言うべきなのかどうか、ふと迷ってしまいました。


 しかし、結局は黙って出かけるわけにもいきません。息子に留守居を任せるのやさかい。


「アキちゃん。客間のアレな、腹減ると食いついてくるのや。どうしようもなかったら、斬ってもかまへんわ」


 何となく手持ち無沙汰で自分の帯に触れ、腰回りに何か足りん気がしました。


 水煙すいえんでしょうか。


 どうも昔からの癖で、帯刀しておりませんと、何や心許ないような。


 しかし我が家の伝家の御神刀は、今や息子のものですので、私が持って出るわけにはいかへんのです。


「え? 斬るの? 何で……」


 息子は呆れたふうに困り顔です。


「それは水煙とよう相談してな。無理のあらへんように。しょせんは物の怪や。暴れるんなら助けようがない」


 息子の技量では、そうなるかと。危ない橋を渡らせとうないのです。


「そんなん心配しいひんでええよ」


 困り顔のまま息子は苦笑しておりました。


 まだまだ駆け出しの青二才やのに、大丈夫なのやろうか、ジュニア。


 水煙すいえんだけが頼りや。


 そう思って振り返ると、水煙もそこに居ります。


 人のような姿で、車椅子に乗って、暁彦の後ろに静かに控えて居りました。


「ほな、よろしゅう頼むわ」


 思わず頼むと、水煙すいえんは、冷たくこちらを見ております。


「お前は自分の身の方を案じた方がええんやないか? 蔵から一振り持って行け」


 水煙すいえんが首を巡らし、華奢な顎で、うちの宝物蔵がある方を示しました。


「大丈夫やって! アキちゃんには俺がついてるし、ちゃあんと飛燕ひえんも持ってるさかいに!」


 うきうきと脇に控えていた茂が、自分の懐からにゅうっと太刀の柄を引き出して見せてきました。


 飛燕ひえんです。


 茂が我が家を出される時に授かった太刀や。


 神刀で、これにも神が依り付いてる。


 イタチみたいな、すばしっこい凶暴な神さんや。


 誰彼構わず斬るさかい、業物わざものとはいえ難物です。


飛燕ひえんか……」


 嫌そうな顔を隠しもせず、水煙すいえんが首を横に振っています。


雷電らいでんはまだ黙ってんのか」


 水煙すいえんは自分と同じ炉で生まれた別の神刀の名を挙げて、私の方を見ました。


 神戸の一件ののち、他家の太刀やった雷電らいでんは主人を失い、秋津家の蔵に居てる。


 霊威の高さで言うたら、我が家では水煙すいえんに次ぐ太刀や。


「あれは当分あかんやろ。今やただの鉄塊や。神やら鬼やらを斬れるもんではないわ」


 私が教えると、水煙すいえんは苦い顔でした。


「しょうがない。茜丸あかねまるを持ってゆけ」


 忌々しげに水煙すいえんはそう許し、もう奥に引っ込むようでした。


 奥の座敷からの泣き声は、未だに続いています。泣き止む気配もあらへん。


 ユミちゃんが一緒に水族館行く言うて駄々こねてんのや。


 水煙すいえんはそれが気になるようでした。


 ビシビシと微かな家鳴りがします。霊震です。ユミちゃんが暴れてるのやな。


「お前を上回る化け物やな、あのチビは」


 いつもユミちゃんを可愛がってるくせに、水煙すいえんは文句を言うて、自分の手で車椅子を操り、奥へ戻っていきました。


 口先では何と言うても、水煙すいえんには、秋津の末代が気になるのです。


「なんで太刀がいるんや、おとん」


 不可解そうに、暁彦が私に尋ねました。


「さあ。何となくやで、ジュニア」


 さて出かけるかと、私が立ち上がると、茂は私のために戸を開ける気のようでした。


 働くついでに、茂は口も軽くうちの息子に講釈を垂れます。


「何でってなぁ、あの客人を真っ二つにした奴がまだ近くに居るはずやろ。そんなこともまだ分からへんのか? ジュニアもまだまだやなあ、アキちゃん」


「お前に言われとうない」


 いひひと嬉しそうに笑う茂を、私はムッとして睨みました。


 茂が開けた家の玄関をくぐり、外へ出ると、もはや遅い夕刻です。陽は傾き、晩秋の夕闇が迫っております。


「おとん、気ぃつけてな」


 家の中から暁彦が、こちらに声をかけて来ました。


 不思議なものです。


 この子に見送られたことも、見送ったこともない、縁の薄い親子でしたが、奥で泣いている弟よりも、大きゅう育った暁彦のほうがよほど、置いてけぼりの留守番の顔に見えました。


「すぐに帰ってくるわ」


 私は微笑んで息子に言うてやりました。


「お早うお帰りやす」


 私と一緒に行くくせに、おどけた茂がそう言うて、玄関扉を閉じました。


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