006:暁雨、早朝に川原を散歩する(4)

 泳ぎながらで失礼します。


 桂川かつらがわもずいぶん昔とは様子が変わりました。


 もともとは度々たびたびの洪水を起こす気の荒い川でしたが、戦後しばらくして、上流にダムが建設され、日吉ひよしダムといいます。


 そのような治水工事のおかげで、私が生きておった頃に比べ、この川も大人しゅうなったのです。


 それでもなお、近年の豪雨の際には急な増水があり、川がつつみを越えるようなことも。


 今もまだまだ油断のならん川と言えましょう。


 川は神でありりゅうですさかいに、完全に調伏ちょうぶくすることなど、できはしいひんのです。


 今も濁流だくりゅうには様々なものひそむ気配がします。用もなく関わり合わんほうがええ。


 視界の悪い水の中を、カンだけをたよりに泳ぎ回るうち、弓彦ゆみひこを見つけました。


 水底みなぞこむ何かのように、息もがんと、それでもおぼれはしないようです。


 ユミちゃん、人の子やないな。


 それでも私には可愛い息子なのです。


「おとうさん」


 私が来たのに気づいた弓彦ゆみひこが、水中で振り向いてしゃべりました。


 音がしたのか、しいひんのか、分からんような声でした。


「これ、なに?」


 弓彦ゆみひこにごった水の中で、川底の泥になかばまで埋もれている人型のものを指差して聞きました。


 人や……。


 まるで眠っているような穏やかな表情で、半身が埋もれた人が横たわっています。


 まだ若者のようです。


 常人なら息はないでしょう。


 しかし、水死したもんという訳でもないようです。


 力なく青ざめて眠り、横たわってはいるものの、死んではいません。


 生きているものが弱りゆく気配が、水底みなぞこに死臭のようにただよっていました。


「助けて」


 ユミちゃんが無表情な目で私を振り返り、命じるように言いました。


 救うてやるんが当然やというような口ぶりや。


 果たして、そうでしょうか。


 生きとし生けるものの運命には、死すべき時があるはずですが、それに逆らう術法じゅつほうは、邪法じゃほうなのか。それとも違うんやろか?


 私には結局、分からへんのです。


 生きるべきか死ぬべきか、それは天がお決めになることや。


 そやから、この瀕死ひんしもんが、ここでこの私と出会ったのもまた、天が決めた運命さだめやったということでしょう。


「しっかりせえ」


 念のためユミちゃんを背後に退かせて、私は横たわる何者かの青白いほほたたきました。


 水中のことで、そうキツうたたいたつもりはないですが、泥に埋もれていた体がれて浮き上がりました。


 その時、泥に混じって水には血の臭いが……。


「ユミちゃん、見んほうがええ」


 後ろからのぞき込もうとする弓彦ゆみひこせいして、そう言うたものの、いうことを聞くような子やないのです。


 幼子おさなごの目は気になりますが、行きがかり上、これを放っといて去るわけにもいきません。


 泥の中から、そうっと抱き上げました。


「おとうさん」


 びっくりした声で、恐れる気配けはいもなく、あっけらかんと弓彦ゆみひこが言いました。


「この人、体が半分しかあらへんね」


 弓彦ゆみひこの言うとおりでした。


 側臥そくがして、泥に埋もれていると見えていた半身は、無かったのです。


 頭から真二まっぷたつにかれたように、水底みなぞこの何者かは体を半分うしのうていました。


 それでも生きてるのやから、これが人の子である訳はない。


 そないなものを、私が助ける義理ぎりがあったでしょうか。


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