第35話 ユナside①


 私は少しだけ緊張していた。


 今日こそ、城の中に入る。


 私は深呼吸をし、空を見た。


 陽は高く昇っており、今日も青い空が広がっていた。

 どこか不安を煽るような陽炎かげろうがユラユラと上っている。


「闇夜が満つる所に我はあり。黄泉の扉開くところに汝あり。万物に宿りし不変なる闇よ。全てを掌握し、支配する闇よ。悪しき光から我が身を救いたまえ。『闇影あんえい』」


 詠唱を終えると、足元に丸い陰が現れる。

 『闇影』設置完了。


 これでいつでもここに戻ってこられる。


 よし、行こう。


 私は地面を蹴って跳び、城壁の上に乗った。


 北門と南門にそれぞれ二人ずつの門兵。

 今日も昨日と同じ警備であることはすでに確認済みだ。


 私は悠々と城壁を超えて、城壁内部へ侵入する。

 周囲に人影は無し。

 今日も城はほとんどの窓が全開になっていた。


 私は城の二階にあたる高さにある、両開きの窓に目をつけた。


 なるべく音を立てないように、その窓枠へと飛び乗る。


 窓から建物の中をのぞくと、そこはベッドと机が置いてある部屋だった。人は誰もいない。


 ここは……寝室かな?


 私はその部屋に入った。そして辺りを見渡す。


 上質そうな素材のベッド、机の上には剣が置かれており、床には白いタキシードが無造作に脱ぎ捨てられていた。


 誰の寝室だろう。

 タキシードが落ちていることから男性の部屋であることだけわかった。

 質のいいタキシードだし、もしかしたら国王の寝室かもしれないわね。

 痕跡が残るといけないから、あまり部屋の物には触れないように気を付けた。


 部屋には扉が一つだけあった。私はその扉に近づき、ゆっくりと扉を開く。


 顔だけを扉から出して扉の向こうを見る。するとそこには横に延びる廊下があった。

 赤いカーペットが敷いてある廊下だ。


 注意深く廊下の先まで見渡したが、どうやら人はいないようだ。

 廊下には等間隔に扉が並んでおり、私が今顔を出している扉はその真ん中あたりに位置していた。


 他の部屋も覗いてみるか。


 私は足音を殺して、廊下に出る。

 そして隣の部屋の扉に耳を当てた。

 扉の向こうからは特に物音はしない。


 いける。


 扉を開けてみよう。

 もし人がいたらすぐに『闇影あんえい』で離脱しよう。


 私はゆっくりと扉を開いた。


 中を覗き込むと、そこは先ほどと同じようなベッドと机のみが置かれた部屋だった。


 また同じような部屋か。


 部屋の中に入る必要もなさそうだったので、私はそのまま扉を閉じた。


 廊下を歩き、さらに隣の部屋の扉に耳を当てる。

 こちらも物音はしない。


 私はゆっくりと扉を開けた。

 すると、中はまたベッドと机の実が置かれた部屋になっている。


 なるほど。


 ……ここはもしかしたらただの寝室が集まっているフロアなのかもしれない。


 だとしたら恐らく他の部屋も同じようなベッドと机が置いてある部屋になっているに違いない。

 他の部屋を開ける必要はなさそうだ。

 それにもし部屋の中に人がいた時のリスクが大きすぎる。


 私は廊下をまっすぐ歩き、寝室が集まっているエリアを離れる。


 周囲に細心の注意を払いつつ、足音を消して真っ赤なカーペットを歩いた。


 ***


 廊下を突き当りまで歩くと、今度は左右に廊下が分かれている。


 どっちに進もうかな。


 そんなことを考えていると、ふと左の方から微かに足音が聞こえた。


 私はとっさに後退し、身を隠した。


 左に曲がった先に誰かいる。

 それも二人分の足音だ。


 警戒していると、話し声が聞こえてきた。


「そういえば、お前そんな剣もってたか?」

「ん? ああ、いい剣だろ? 昨日街で見かけたもんでな」

「ふーん。高かったんじゃねえの?」

「ああ……、高かったぜぇ。けどな……」


 そんな声が聞こえてくる。


 私はほんの少しだけ顔を出して声の方を覗いてみた。

 そこには白いタキシードを着た男が二人歩いていた。

 私はすぐに顔を引っこめる。


 人相までは確認できなかったが、服装は確認できた。

 そして男たちの声がどんどん近づいてくる。

 まずい。寝室に戻るつもりかも。

 ここまで来られたら終わる。


「俺がちょっと頼んだらなぁ、なんとタダでくれたよ」

「くくっ、頼んだってお前……ひでえやつだなぁ」

「何言ってんだ。お前だっていつもやってることだろ」

「そりゃ違いねぇけどよ」


 そんな会話をして、男たちは下品な笑い声をあげている。まるで人を馬鹿にするような下衆げすな笑い方だ。


 言葉遣いも悪い。笑い方も汚い。

 この男達が王族なのだろうか。


 男達の笑い声が間近まで迫る。


 仕方ないか。


 私は『闇影あんえい』を発動した。


 目の前の視界が暗転する。

 次の瞬間には、城壁の外に戻ってきた。


 事前に『闇影』を使用しておいてよかった……。


 張り詰めていた緊張が少しほぐれ、ほっと胸をなでおろす。


「本当に心臓に悪いわね……」


 思わずそう呟いてしまう。


 私は壁にもたれかかった。


 まだ情報を手に入れられていない……。


 見たのは城内にいる白服の男二人くらいだ。

 それに会話も少ししか聞けていない。


 時間があまりない。

 すぐに潜入を再開しよう。


 私はもう一度『闇影』を設置して、城壁を飛び越えた。


***


 先ほどと同じ窓から城内に侵入して探索を再開する。


 それからの探索は順調に進めることができた。


 昼の時間帯ということもあって皆外出しているのか、それとも王城が広すぎて人口密度が極端に低いせいか、ほとんど人と遭遇せずに済んでいる。


 一応ときどき城内を歩いている人を見かけるのだが、私が見かけた人は全員白いタキシードを着ていた。


 今のところ特に危うい場面もなくやり過ごせている。


 あまり人と遭遇しなかったおかげで、城の構造を把握でき始めてきた。そしてその上で気づいたのだが、恐らくこの城は、大人数の人が住むことができるようにできている。


 先ほどの寝室も、まるで宿屋のような寝室の多さだった。

 それに食事を行うダイニングも、どちらかというと食堂と呼ぶ方がしっくりくるほどの広さだった。


 なぜ大人数が住めるようにできているのか。

 これは私の推察なのだが、もしかするとこの城には王の近衛隊も一緒に住んでいるのかもしれない。

 そしてその近衛隊とは、現在数名見かけている白いタキシードを着たやつらなのではないか。

 白いタキシードを着た連中は全員腰に剣を下げていた。それとただの貴族にしては白タキシードの連中はやたら体格がよかった。あれは鍛えている者の身体だ。


 これらのことから推察するに白タキシードの男たちが王の近衛隊である可能性は高い。



 そしてもう一つ、気になる点があった。


 それはこの城のいたるところに飾られている肖像画だ。恐らく国王の肖像画だと思う。

 見た目が四〇代くらい男の肖像画なのだが、私はこの男をどこかを見たことがある気がするのだ。


 どこで見たんだっけ……。


 思い出せそうで思い出せない。

 あと少し手掛かりがあれば思い出せそうなのに。


「……うーん」


 さっきから表面上の情報ばかりで、核心に迫る情報は手に入れられていない。


 もう少し。

 もう少しな気はするのだ。


 とりあえず『闇影』の制限時間がきたので、私はいったん王城の外へ戻ってきた。

 そして『闇影』を使用しなおして、再度潜入を行う。


 だんだんと陽も低くなり始めている。

 このままでは日が暮れてしまう。

 次の二時間で何か情報を掴みたいところだった。


 私は窓から王城の中に侵入する。さすがに侵入するのにも慣れてきて、王城に入るまでの手順は流れるようにこなすことができた。


 足音を殺しながら真っ赤なカーペットの上を歩く。 寝室が集まったエリアを抜け、王城内部のまだ調査できていないエリアへと向かう。


 やはりあまり人と遭遇しない。


 少し不気味な感じもするが、好都合だ。このチャンスに一気に調査を進めよう。


 そう考えながらしばらく廊下を進んでいると、一際大きな両開きの扉へとたどり着いた。

 私の身長の倍くらいある大きな扉だ。


 ここはまだ調査していない部屋である。


 なんだか豪華な造りの扉だし、重要な部屋なのかもしれない。


 慎重に行こう。


 私は両開きの扉に近づき、耳を当てる。


 その体勢のまましばらく待ってみるが、扉の向こうからは物音一つしない。


 いける。


 私は音を立てないように、ゆっくりと扉を開く。


 部屋の中をのぞくとそこにはかなり広い空間があるようだった。やはりただの小部屋じゃない。


 わずかに開けた扉から、身体を滑り込ませるようにして中へと潜入した。


 音を立てないようにそっと扉を閉じて、部屋の中を見渡す。


 その部屋は直径五〇メートルはあるな大きな円形の部屋だった。


 部屋の奥に大きく立派な椅子が置いてある。まるで玉座だ。

 というか本当に玉座なのかもしれない。ここはもしかして……王室?


 その時だった。



「お前は誰だ?」



 左の耳元で声がした。


 一瞬にして背筋が凍り、ぞわりと全身に鳥肌が立つ。


 私は地面を蹴って正面に跳び、その場から離れた。


 振り返って、私がいた方向を見る。


 そこには派手な銀色の装束を着た男が立っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る