第3話 有坂2号

 その男の実家は時計店で、よくクラブで会う有坂涼子を名乗る女から、高級腕時計の修理を請け負ったらしい。今夜もこれからクラブへ行くのでここで返す事にしていて、修理が済んだので持って来たそうだ。

 預かり証には名前だけで、住所と電話番号は書いていないという。

 そもそも、クラブで会った時に時計が止まっているのに気付いて、その場で預かったと男は言った。

「上手くいい雰囲気にすれば、住所とか電話番号とかがわかるかもって思って。へへ」

 悪びれることなく男は言って、ニタリとした。

 それで急遽、礼人は署に連絡を入れて、そのクラブに密かに張り込んで待ち構える事になった。


 うるさい。そして、人が多い。

 礼人と晴真は男の近くにさりげなく立って、接近して来る女に目を光らせていた。他の刑事も、別のところで張っている。

 しかし、なかなか女は来ない。

「今日は来ないんですかね」

 晴真は辺りを眺めながら言った。

「何日か続ける事になるかも知れないな」

 音のうるささにウンザリとしながら礼人が答えた時、地味な感じの女が近付いて来た。慣れていないのか、ビクビクとした感じだった。

 半ば「違う」と関心を薄れさせていたが、その女が男に話しかけて、驚いた。 

「あの、先生の代理のものです」

 そう言って、預かり証の控えを出す。

「え……ああ……有坂先生は」

 男があからさまにがっかりしている。

「残業です。それと明日から出張です。なので、代わりを頼まれました。お金も預かってます」

 女は顔を伏せ気味にしながらボソボソと喋っている。

「本人に確認したいんだけど、その、電話とか」

「……解剖中、です」

「ああ……」

「途中で邪魔されるの、先生は物凄く嫌がります」

「え。わかった。うん、預かり証の控えもあるし」

 男は嫌われたらたまらないとばかりに慌てて、時計を取り出した。

「あれ、有坂先生のと同じです、先輩」

 晴真が声を押し殺して言う。

 預かり証の控えと修理代金を受け取り、時計を手渡す。

 女はそれを受け取ると、軽く頭を下げ、背を丸めるようにして急ぎ足で入り口へと向かった。それを、礼人達は追う。

 外に出てからその女に声をかけると、女はビクッとしながら顔を礼人に向けた。

 その時礼人は、その大きな眼鏡が度の入っていないものだと気付いた。

「何でしょうか」

「少しお話をお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか」

 バッジを示して決まり文句を言いながら、更に女を観察していると、女は益々落ち着かない様子になっていった。

 他の刑事も出て来て、女も一緒に署へと向かった。


 女は香田佳乃、27歳。ビルメンテナンスの会社に勤めている。

 有坂涼子を名乗っていた事には素直に認めた。たまたま急病で倒れた人がいた時に居合わせ、落ち着いた様子で応急手当をし、救急隊員に容体と名前を告げて去ったのがカッコ良くて、憧れたという。

「それから時々、先生の追っかけをしていたんですが、仕事でマンションの消防用の設備点検があるんですが、その中に先生のマンションがあって、志願しました。

 無駄なものが無くて、スタイリッシュなお部屋で、素敵でしたぁ」

 香田は、うっとりとした顔で言う。

 礼人達は、ちょっと引いた。

「それで、有坂さんのマネをして、有坂と名乗ってクラブに行ったりしていたんですか」

「はい」

「この人物を知っていますか」

 花井健次の写真を出す。

 香田は一瞬ビクリと体を固くして、答えた。

「……はい。クラブで、時々会いました」

「最後に会ったのはいつですか」

「昨日です」

 そう。昨日、一緒にクラブを出て行くのを目撃した人がいるし、防犯カメラの映像にも残っている。

「クラブで会って、一緒に店を出て、公園で別れました。付き合ってくれと言われたので、断っただけです」

 じっと、礼人の目を見て言う。

 一応カメラ映像と矛盾はない。カメラに、殺したところは映っていないのだ。

 香田は、その後で誰かに花井が殺されたんだろうが、犯人が近くにいたとしたら怖いですね、と薄く微笑んだ。


 晴真は怒ったように繰り返す。

「怪しいじゃないですか!どうして帰すんです!?先生のストーカーですよ!?」

「それとこれは別だ」

 礼人は言い、嘆息した。

「香田佳乃が何か嘘をついているのは明らかだが、証拠がない。凶器も見つかっていないし、香田佳乃の家に家宅捜索に入るにも令状が下りるとは思えない」

「女神様を語るとは不届き千万!」

「お前なあ」

 同僚を何気なく見ると、晴真に同調するかのように握りこぶしを握る者達がいて、礼人は思わず二度見した。

「まあ、香田佳乃をマークだ」

 係長が重々しく言い、皆が力一杯

「はい!」

と返事した。



    

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る