1-56.殴って直そう、壊れた親父。

〇望〇


 何かが弾けたような感情で父の顔を殴り飛ばしていた。

 勝負や復讐以外で人を自分から殴るという行動は初めてだったが、戸惑いは覚えなかった。


「あんたの娘がな!

 僕の美怜がな!

 きっちり言いたいこと言ってるんだ。聞けよ!」


 三度だ。

 美怜が三度、親父に突き飛ばされた。

 だから三発は殴っていい。

 美怜と唯莉さんが唖然とした表情で見てくる。


「――っ!」


 二発目。今度は体中のバネを使い鼻に拳を打ち飛ばす。

 ベッドに倒れふす親父。


「殴ったことなんか無いし、いつも認めて欲しいと思って生きてきた。

 でも、今は殴り飛ばしてやる!

 ここに連れて来いと言ったのはあんただろ!

 欠けた自分を取り戻すんだろ!

 それで何をしたかったんだ、あんたは!

 錯乱したかったわけじゃないだろ!」


 そうか、怒っているのだ、自分は。

 お父さんにお父さんらしいところを見せて貰いたい。

 なのに情けない姿を見せられてやるせないのだ。


「美怜の話を聞いてやれ!」


 ――いや、違う。

 美怜を蔑ろにする態度に僕は怒ってるんだ。

 ソラ君に誘導され、美怜をさしたる理由も無く虐めていた女生徒達の時と一緒だ。


「僕の拳は脳裏に響くぞ?」


 三発目でイーブンだ。

 遠慮なぞはしてやるものか。

 思いっきり、全体重を込めて右拳を打ち下ろしてやった。

 お父さんの顔からくちゃっとした音が響き、僕の手に返り血が飛び散る。


「あんたはしようとしたことまで出来ないのか!」


 そしてその胸倉をつかんだ。


「ぅ――の、ぞむ?」


 突然名前を言われ、驚き、その手を離してしまう。


「……そんな顔、始めてみたな。

 自分以外のために怒る姿もな」


 前歯が何本か砕け散り、鼻がひしゃげた顔を僕に向け、こちらに言葉を向けてくれる。

 痛みがある筈なのに、その言葉は余裕がある物言いだ。


「……?」


 とりあえず、もう一発殴ろうかと構える。

 気でも狂ったのかと思ったからだ。


「ストップだ、望」

「……正気に戻ったんですか? お父さん」

「あぁ、良い気付けになったよ。

 ありがとう。

 とても痛くて死んでしまいそうだが――タバコを一服吸いたい。

 いや、とっておきの葉巻が良い」

「病室は禁煙です。

 記憶のほうは?」


 冗談を言えるぐらいにはまともな思考をしていることが出来る。

 ただ、普段、冗談も言わない人なので通常の思考かどうかは怪しいのだが。


「ハッキリしてる。

 でも痛みで記憶が飛びそうだね?」

「我慢してください、自業自得ですから。

 せめて娘でも見て落ち着いてください――暴れたら、殴ればいいことが判ったので容赦なく殴ります」

「はは、勘弁して欲しいな」


 僕の横に美怜を改めて立たせる。

 

「――近くで見てもそっくりだな、悠莉に」

「――っ」


 うんうん、と納得するようにお父さんは首を縦に振りながら、美怜をマジマジと観る。

 長年の夢が叶ったと楽しそうに、そして嬉しそうに、微笑みを浮かべる。

 発作の兆候も無い。

 美怜は緊張しているのか赤い目のままだ。


「――でも、よく見ると違う。

 どっちかというと唯莉の変装の方がそっくりだ、胸が残念なところとか。

 ――結局、悠莉は唯莉と違い少しは成長出来たが、胸のサイズは五十歩百歩だったからなぁ」

「……それゆり姉に怒られるで?

 後、流石の唯莉さんも怒るで?」


 唯莉さんが故人を懐かしむように呆れる。

 二人の間にしか判らない事だが、昔からのネタなのだろう。


「ははは、胸のことは唯莉も気を揉んでたな。

 もういい歳なんだから気にしなくてもいい気がするのだが?

 成長出来ないと言う点も、歳から鑑みれば羨ましい限りだ」

「性格だけ戻りすぎてへんか?

 ゆり姉が逝く前に戻っとらん?」

「悠莉が死んでから、どう生きていくか悩み続けてきたからな?

 何だか振り切れたみたいだ」


 なるほど、っと思う。

 冗談を言うこのお父さんが素で、今までは呪いのように死が纏わりついていたのだとそういうことだ。

 なら、僕が知らないこのお父さんの姿が正常なのだろうと納得できた。


「唯莉、色々有難う」

「……ええってことや、唯莉さんとあんたの仲やろ?

 何か起きたら殴ればええんやな?」


 唯莉さんの頬に朱が散る。

 まるで恋する乙女の様な反応も初めて観た。

 さておき、とお父さんは青筋を浮かべながら一拍置き、


「――先ずは有難うだ」


 落ち着いた様子で、美怜に笑みを向けた。


「――ぅ」


 美怜の手が僕の手を求め、握ってきた。

 強張っているのか硬い。

 記憶喪失や錯乱したお父さんへ一人で立ち向かおうとしたのに――正気になったとたんこれだ。

 度胸があるのだか、無いのだかと、関心してしまった。


「――私の不安を取り除いて、望」

「勿論だ」


 その手を強く握り返す。


「お父さん、私は美怜、

 ――貴方の娘です」


 これが与えられた家族計画の終わりだった。

 

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