第3話 切望と現実

 廊下がさわがしい。

 またママが長電話をしているんだ。

 よく覚えていないけど、せっかくいい夢を見ていたような気がするのに。

 しょうがない。

 トイレにでも行ってこようかな。


 そう思いベッドを出て廊下を歩いていると、ママが悲鳴のような声で叶夢の名を呼んだ。

「どうしてそんな格好してるの! 陽菜ちゃんの所に行くつもり⁉︎」

 叶夢は自分がウィンドブレーカーのままだということに気が付き、そこでようやく今夜陽菜たちと家を抜け出して星子ノ山へ行く約束だったことを思い出した。

 しかしどうしてママがそれを知っているのか。

 まさか本当にあの二人は家を抜け出して、家族にばれてしまったということなのだろうか。

「あ、あの」

 何とか二人をかばう言葉を考える叶夢に、ママはよくわからないことを言った。

「病院に行くのは明日にしましょうね」

 ママは叶夢の手を引いて部屋へ連れ戻し、タンスからパジャマを取り出した。

 叶夢の服を脱がし、パジャマを着せるまでの間、ママの手はずっとふるえていた。

「陽菜ちゃんなら大丈夫よ……。大丈夫。強い子だもの。きっと助かるわ」

 大人たちの会話を叶夢に聞かれてしまったと思ったママは、友達が大変なケガをしてショックを受けているだろう息子をなぐさめ元気付ける言葉を口にした。

 状況が飲み込めていなかった叶夢も、ママの言葉の端々はしばしから何が起こったのか段々とわかりはじめ、ママ以上にふるえだした。

 さっき眠っていた時よりもずっと現実ではない所にいるような気がする。

 けれどその時、彼はようやく完全に目を覚まことが出来た。




 病院の廊下で、十一歳の卓也の頬は大人の男の手で強くたたかれた。

 たたいた本人である陽菜の父親が、今まで聞いたこともない怒鳴り声で卓也に怒りをぶつけてくる。

 隣で一緒に頭を下げ、息子の頭を押さえている父の無骨な手がカタカタとふるえているのがわかる。

 自分の父親をこんなにも弱いものに感じたのはこれが初めてだった。

 弱くさせたのは自分だ。

 何もかもが苦しくて、息をするのさえ辛かった。

 時間は戻せない。

 起こってしまったことをなかったことになど出来ない。

 それを卓也はよく知っていた。

 手術なら終わった。

 陽菜の命に別状はない。

 だが、もう彼女の両眼が開かれることはないというのは確実だった。




 その部屋の窓は、夜中だというのに大きく開け放たれていた。

 風が入り込む灯りの消えた室内は、ただカーテンがゆれるのみで誰もいなかった。

 どうやって二階の自室から出たのかは覚えていない。

 気が付いたら真夜中の住宅地を走っていた。

 叶夢が向かっているのは陽菜と卓也のいる病院ではない。

 向かっているのは、神様のいる星の降る山だった。


 ――しかし、住宅地を抜けて待ち合わせの橋に着いたまではよかったが、肝心の道案内役の陽菜がいない。

 その現実に気が付いた時初めて自分がパジャマ姿だったことを思い出し、冷たい風に身をふるわせた。

 ……なんでウィンドブレーカーぐらい着てこなかったんだろう。

 それに裸足じゃないか。

 全力で走っている間も確かに足の裏の痛さを感じなかったわけではないけれど、改めて意識するとジクジクと痛みが増した。

 けれどここまで来て立ち止まっているわけにはいかない。

 どうしても神様に会って、願いを叶えてもらわなければ。

 もうすでに流星群のピークは終わってしまったようで、星の流れる様子は見られなかった。

 走り続けて乱れた息はまだ戻らないけれど、とにかく山の中へ向かい、叶夢はもう一度走りはじめた。


 土の地面は思っていたより優しくはなかった。

 凸凹しているし、小石が足の裏に食い込んでくる。

 それにするどい葉で体に切り傷を作ったり、何度か足を滑らせて転んだりもして、パジャマの膝はやぶけ血がにじんでいた。

 こんな目にあっているというのに神様の場所もわからなくて、本当に会えるのかもどんどん自信がなくなっていく。

 だからといって、帰ることも出来ない。

 何か陽菜と卓也の通った形跡でも残っていないか、泣きそうな顔で目を凝らして辺りを見回しながら進み続けた。


いたっ」

 ふと、枝が叶夢の頬をたたいた。

 普段だったら大ケガをしたとパニック起こすところだが、今はそんな気も起こらない。

 凸凹としたけもの道、道の左側の地面が切り取られたように暗い闇が深く広がっているのに気が付くと、陽菜はこのような所から落ちたのだろうかと、ぞっとした。


 そのままある程度山道を登っていくと、道がなくなってしまった。

 とはいっても、前をふさがれたわけではなく道と呼べる形状のものがなくなっただけで、進もうと思えば幾方向にも進むことは出来そうだ。

 叶夢は辺りを見渡したが、どこにも友人たちの進んだ跡が見られない。

 気持ちは全速力ですぐにでも進みたいのに、どうにも出来ないあせりだけがその場所でうず巻いた。

 じっとしてなどいられない。

 早く行かなきゃ。

 神様に会わなきゃ。

 流れ星の落ちていく所に神様がいるというが、流れる星がない状況ではそれもわからない。

 どこでもいいからと正面に向かって進みはじめ、だがしばらくすると不安になってまた元の場所に戻った。

 今度は右側の小岩の多い方面に向かってよたよたと歩きだした。

 少し危なそうな感じが、陽菜の好みそうな道だと思ったからだ。

 しかし進んでも進んでも陽菜たちが通ったようには見えない。

 神様に近づいているとも思えない。

 不安が大きくなるだけで、ついには足を止めてしまった。


 体を二つに折り曲げ、両膝に手を付けて息を荒くしていると、暗闇に小さく光るものが見えた。

 お化けかと思いビクッとしたが、よく見るまでもなく猫の目だとわかり、自分でもバカバカしいと思いながらその猫に話しかけた。

「ねえ君。どこに行けば神様に会えるか知ってる?」

 猫は何も答えない。

 わざと無視しているようにも見える。

「陽菜ちゃんチィは神様のこどもだったんだよね。だったら君も神様のこと知ってるんじゃないの?」

 話しかけてくる叶夢をうっとうしい言わんばかりにチラリとにらんできた猫は、かったるそうに伸びをしてその場から去ってしまった。


 後に残された叶夢は、ただ、むなしかった。

 猫に話しかけて答えてもらえるわけがないってことくらい、最初からわかっていたことだ。

 どうにか出来る方法があるのなら、すべてやっておきたいと思っただけだ。


「神様」

 初めは小さなつぶやきだった。

「神様、どこにいるんですか?」

 そして感情のままに声を上げた。

「お願いします。僕の願いを叶えてください。あの二人を助けてください!どうか、どうかお願いだから、陽菜ちゃんを、助けてよ……!」

 暗闇の中に叶夢の泣き叫ぶ声がこだまする。

 しかし叶夢が口をつぐむとまた静かな山に戻り、何も返ってはこなかった。

 もう一度叫ぼうかとも思ったが、もう心にその力はなく、その場にしゃがみ込んだ。

 体からも力がなくなって、目の奥が熱くなった。


 ――神様とか、魔法とか、ずっと信じたいと思っていた。

 いてほしい、あってほしいと願っていた。

 だけどいつからだろう。

 それは空想の世界のことだって、もうわかっていた。

 信じたいと思うだけで本当は存在しないって、だいぶ前からわかっていたんだ。

 だって、いい子にしてたからって願いが叶うわけじゃない。

 どんなに神様に祈ったって、みんなが幸せになることはない。

 神様がいるなら、どうして世界はこんなに理不尽で不公平で悲しいことが多いんだろう。

 つらいことは神様が与えた試練だっていうけれど、むくわれるわけじゃないし、つらいばかりで救われない人もいる。

 卓也くんのお母さんだって、帰ってこないままじゃないか。


 ――今、彼の上にひとつ、星が流れた。



 叶夢は、とぼとぼと帰り道を歩きだした。

 体のあちこちが痛い。

 せっかくお風呂に入ったのに、もうすっかりドロドロだ。

 パジャマも汚れて、ママに怒られるよね。

 今帰ったら、パパとママに見つかるかもしれない。

 せっかく僕のことを信じてくれているのに、どう思われるだろう。

 来た時よりもずっと帰り道の方が長かった。

 足が思うように動かなくて、そばにあった大木にもたれかかった。

 このまま帰りたくないという気持ちで動けないというのも事実だった。

 どうして自分はこんなにも中途半端なんだろう。

 二人を止められなかった弱い自分にも、待ち合わせの場所に行かなかった薄情な自分にも、腹立たしさがわき起こる。

 その上自分ひとりだけが「いい子」として平穏な日常に戻ろうとしていることが、何よりも許せなかった。



 その時、背後で何かが上から降りてきたような気配がした。

 猫だろう、と思い、ふり返るつもりもなく叶夢は振り返った。

 白い猫だ。

 特徴的な鍵しっぽ。

 まさか、そんなはずはない。

 真っ直ぐ見つめてくる金色を帯びた緑色の瞳。

 お前をよく知っていると語ってくる瞳。

 ボロボロの首輪にぶら下がる、黒ずんだステンレスのネームプレートの文字は…。

「チィ?」

 その白猫は、くるりと背中を向けてこちらへ合図を送るように視線を向けた後、ものすごいスピードでかけ出した。

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