かみさまの星のふるさと

日和かや

第1話 悪だくみ

「開発?」


 小学校からの帰り道、たまたま一緒になった叶夢とむから、小さい頃遊び場にしていた星子ノ山ほしごのやまの話が出た。

 茜色の夕焼けが、市街地の外れに位置する緑色の小さな山を照らしている。

 叶夢と卓也たくや、そして陽菜ひなは幼稚園の頃からの友達で、六年生ともなると同性同士で遊ぶことの方が多くなるため、三人がそろうのは久しぶりだった。


「うん。星子ノ山を大きな公園にして、いろんな施設を作るんだって」

 最近地方ニュースでよく言われている話だ。

 昔よく一緒に遊んだ場所だっただけに気になっていた叶夢は、あまりニュースは見ないと思われる二人に伝えた。

「あー、知ってる。うちの父ちゃん、その現場に入るようなこと言ってたな。しばらく収入が安定するって喜んでたぜ」

「え。そしたら星子ノ山の神様はどうなるの?」

 ノスタルジックな気持ちなどないような卓也とは対照的に、陽菜は初めて聞いた話に不安げな表情をした。

「なんだよ。星子ノ山の神様って」

「おばあちゃんが言ってたよ。星子ノ山は神様の山だって。うちにいたチィも神様のこどもだったんだけど、おばあちゃんが神様から頼まれてうちで面倒みてただけなんだって。だから五年前にいなくなったのは、神様の所に帰ったからなんだって」

「それは」

 死んだんだろ、とは言えなかった。


 鍵しっぽが特徴的な白い猫。

 三十年近く陽菜の家で飼われていたチィとは、二人とも顔見知りだった。

 陽菜は、大人たちからなぐさめに言われた話を全く疑っていないようだ。

 もう彼女だって小さなこどもではない。

 けれども、それを言われてしまった時の陽菜の心が分かるだけに、それについては何も言えなかった。


「うそくせー。いるわけねえじゃん。神様なんか」

「いるもん。知らないの? 流れ星にかけた願い事は、星子ノ山の神様が叶えてくれるんだよ」

「――星といえば」と叶夢が今朝のニュースを思い出した。

「今日の夜、流星群が見られるって言ってたよ」

「じゃあ見てて。流れ星はみんな星子ノ山の神様の元に帰っていくんだから」

 そんな夢見がちな女の子の陽菜を、卓也はちょっとからかってみたくなった。

「へー。そんなら星の落ちていく所に行けば、カミサマに会えるんだな」

「え⁉︎ 待って待って。まさか行かないよね。夜中の十二時とかそんな時間なんだよ!」

 叶夢の親も陽菜の親も、深夜にこどもを山へ連れて行くことをよしとするような人たちではない。

 陽菜と卓也の性格をよく知ってる叶夢があわてた声を出すのを聞いて、二人はうつむき、考えるようにあごの下に手を当ててボソボソとしゃべりはじめた。

「十二時かあ。うちはもうみんな寝てるなあ」

「俺ん家も完全に寝てるぞ」

「うん、みんな寝てるよね。行くなんて無理だよね」

 ほっとした叶夢が胸をなで下ろそうとしたその時、ギクリとするような言葉が、あっさりと卓也の口から出てきた。

「だったら抜け出しても気付かれないな」

 口のはしを持ち上げて、上目づかいに叶夢と陽菜を見ている。

 そしてそれと同じ目で、陽菜も二人を見上げた。

「あたしのお父さんとお母さんは、十一時前には寝るんだよ」

「俺の父ちゃんは朝えーからもっと早く寝るし、簡単には起きねえよ」

「じゃあ、十一時半にいつもの橋の所で」

「ちょ、待っ、え? 二人共――⁉︎」

 叶夢が二人の悪だくみを止める言葉を思い付けないまま、結局どうしてだか自分まで夜中に抜け出さなければならない状況が出来上がってしまっていた。



「陽菜」

 スーツ姿の男性が、道の向こうで手をふっている。

 逆光で顔は見えないが、それが陽菜の父親であるというのはすぐに分かった。

「卓也くんも叶夢くんも、ちょっと見ないうちにどんどん大きくなるな」

 横断歩道を渡って彼の近くまで行くと、卓也と叶夢の頭を「いつも陽菜と遊んでくれてありがとう」と、小さなこどもにするようになでたのだった。




「陽菜ちゃんのお父さんて、格好良くてあこがれちゃうよね」

 大手企業に勤めているという彼は、スタイルも顔も申し分のない、テレビドラマに出てきそうな落ち着いた大人の男性だった。

「うちの父ちゃんもあんなだったら母ちゃんに逃げられなかったのにな」

 別れ道で手をつないで去っていく二人を見送っていると、卓也の口から思わずといったような言葉がはき出された。

「卓……」

「じゃあな叶夢。今晩十一時半だぞ。遅れんなよ」

言いながら、築四十年のアパートの外階段をカンカンと音を立てて上っていく。

「えええーっ! ホントに行くのー⁉︎」

 ほんの少しもれた本音を拾うすきも与えないように、卓也は二階の自宅へと消えた。




 玄関の前で、卓也は先ほどなでられた頭が気になり何度も髪を直すしぐさをした。

 直すといっても、寝ぐせも付かないような短髪なのだが。

「ったく、いつまでもこども扱いすんなよな」

 誰も聞いていないのに言い訳めいた独り言をつぶやいて、鍵の掛かっていない玄関の扉を開けた。

 日雇い労働者である父親は、今日は休みらしい。

「ただいま」

 いつものように返事のないまま台所を抜けて部屋のふすまを開けると、ランニングシャツにトランクス姿の大男が豚のようなイビキをかいて大の字で寝ていた。

 転がっているビールの空き缶、食べかけのスルメジャーキー、開いたままの雑誌。

 ビール腹をむき出しにしてボリボリかいている姿を見ると無性に腹が立って、どうせ朝まで起きないだろう父親の腹を思い切り踏みつけてやった。

 眠ったままつぶれたカエルみたいな声を出すのを聞くと、少しだけ気が晴れた気がした。






 懐中電灯とスポーツタオルとポケットティッシュ。

 それから、五百ミリリットルのスポーツドリンクに、もしもの時のためのばんそうこう、念のために腹薬も。

 夜の山は冷えるからカイロも必要だ。

 お腹が空いた時用に、お菓子も少しだけ。

 お金が必要になることがあるかもしれないから、一応財布も入れておいた方がいいかもしれない。

「卓也くんと陽菜ちゃんがちゃんと準備してると思えないから、僕が用意しておかなきゃ」

 そうしている内に、気付けばショルダーのスポーツバッグはパンパンにふくれ上がり、ファスナーもなかなか閉まらないほどになってしまった。

 ベッドの下から、新品のシューズの箱を取り出した。

 玄関から靴が消えているのを両親に見つかったら、不審に思われるとの判断だ。

 ベッドの布団の中にも大きなぬいぐるみを入れて、自分が寝ている風にした。


 ママはお風呂、パパはまだ帰らない。

 家を出るんだったら今だ。

 叶夢は買ってもらったばかりのウィンドブレーカーをはおってポケットにスマホを入れ、スポーツブランドの腕時計に目をやった。

 十時三十六分。

 まだ家を出るには早過ぎるか。

 夜遅くにあんな暗い、人気のない場所に一人でいるのは危ないだろう。

 まさか幽霊が出るなんてことはないと思うけど、何か野生の動物がいるかもしれない。

 足元が見えない所でケガをするかもしれない。

 それを考えると、もっと時間ギリギリに着いた方がいいだろうと、ベッドに腰を下ろし分厚いスポーツソックスのつま先に視線を落とした。




 小さく猫の鳴いた声が聞こえた気がして、陽菜は茂みをのぞき込んだ。

 光る目が四つ、六つ、いや全部で十二ある。

 冷たい風から逃れるように、低木に覆われた中で猫たちが寛いでいるのだ。

「おいで」

 チッチと舌を鳴らして誘ったが、猫たちの間で「どうする?」と言っているかのように視線が交わされると、一匹、また一匹と去っていってしまった。

 ガックリと諦めた陽菜は待ち合わせの橋の欄干に腰掛けて、ちらりとキャラクター物の腕時計を見た。

 時計の針は十一時五分を指していた。




 叶夢が部屋の窓を開けると、冷たい空気が家の中に入ってきた。

 風呂から上がったママは、リビングでテレビを観ながらパパの帰りを待っている。

 叶夢の部屋から玄関を出るには、リビングを通らなければならない。

 玄関を使わずに外に出るとなると、自分の部屋の窓を使うしかなかった。

 叶夢の部屋は二階にあるが、窓の少し下にあるのは玄関をおおうなだらかな屋根で、その屋根から車庫の屋根へ飛び移って、そこから塀に下りれば地面はすぐそこだった。

 平気で屋根の上も歩くような卓也や陽菜が、昔そのようなことをしていたのを見たことがある。

 懐中電灯で下を確認した後、呼吸を整え、心臓を落ち着かせようと何度も息を吸ってははいた。


 そうしてしばらく外の状況を確かめていると帰宅するパパの車が見えたので、すぐにしゃがんで急いで静かに窓を閉めた。

 家の中で「叶夢はもう寝てるのか」と言うパパの声が聞こえてきた。

 足音が部屋に近付いてくる。

 慌ててベッドにもぐり込んだ叶夢は、ぬいぐるみをかかえて、ウィンドブレーカーを見られないよう布団を肩までしっかり引き上げた。

 音を立てないようにドアノブを開ける音がする。

 うす暗い叶夢の部屋に、廊下から明かりが差し込んできた。

「ただいま、叶夢」

 起こしてしまわないようにと、小声でパパは愛息子に声をかけた。

「おやすみ」


 息を整えようと大きく深呼吸をくり返す叶夢の肩は、布団の中でどうしようもなく上下にゆれていた。

 心臓の音がはげしく鼓膜の奥からひびいてくるようだ。

 もう行かなきゃ約束の時間に間に合わない。

 でもまさか。

 夜中に抜け出すなんて、いくらあの二人だって本気で出来るだろうか。

 いや、出来るわけない。

 こんなに大変だもの。

 口で言うほど簡単じゃないって分かるはずだ。

 だから。

 だからきっと大丈夫。

 今頃二人も家で寝てるに違いないんだ。

 そんな強い願望を結論にして、叶夢はふるえるこぶしを痛いほどにぎりしめた。




「叶夢が来ないと思う人ー」

「はーい」

 橋の欄干にもたれて十一時二十八分を指す時計を見ながら、二人の小学生は残るもう一人の友人のことを口にしていた。

「じゃ行くか」

 木々のひしめく暗がりの中へ足を踏み出す卓也の後を追って、陽菜は家の非常用袋から持ち出した懐中電灯で行先を照らした。

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