殺し合い

 暁昴はよくしゃべった。最初、彼女はぼくらのキャンプがどのような場所なのかを訊ねた。何人ぐらいいるのか、人柄はいいのか、食事は美味しいのかなどとりとめもない内容だった。ぼくはその質問には何の意味もないと思った。ぼくは昨日隣で寝ていた人物の性別も、名前も記憶にはとどめていなかった。キャンプにいる連中はみんな生きるのに必死で、仕方がなく寄り集まっているに過ぎない集団なのだ。きっと、キャンプの中に殺人犯がいたとしても、自分たちが生き抜くために有意義な存在で、利益をもたらしてくれるのなら隣で眠っているのが殺人犯でも構わないだろう。その日を生きながらえることの出来る食糧を分け与えてくれるのなら、それで問題がなかった。食事の味なんて言うものは――美味いに越したことはないが――食べることが出来て生きながらえるか、食べることが出来ずに死んでしまうのかという問題の前には些細なものでしかない。――今日を生き延びるという問題の前にはあらゆる問題は問題ではなくなってしまう。大切なことは、目の前で起こっている事柄は自分の害になりえるのか? それだけだ。


 だが結局、ぼくはそのことを暁昴に話すことはしなかった。ぼくがどう思っているかなんてことを彼女に話したところで、やはり無意味なのだから。代わりに「料理がうまい人なら一人知っているよ」と言った。彼女は喜んだ。そしてまた、何の意味があるのかもわからない問いかけをしてきた。今度はぼくに恋人がいるのかどうかだった。くだらない。


 暁昴の声はよく澄んでいて、粉塵と霜だけの灰色の世界によく浸透していくようだった。周囲にはぼくら以外に人はおらず、とても静かだった。自然と彼女の声に意識が傾いた。彼女の声は発してからしばらく経つと、荒涼とした世界にしみ込んでいくように消えて行った。


「ねえ」と彼女は言った。「こうしてるとまるで世界にわたしたち二人だけが取り残されたみたいね」彼女は一種、からかう笑みを浮かべていた。そう言われてぼくがどう反応するのか楽しんでいるのだった。


 ここで沈黙をするのはいけなかった。沈黙しては照れているという謂われない批判を受けてしまうかもしれなかったからだ。だから逆に彼女が赤面するようなセリフを言ってやろうと思った。が、そうはならなかった。地面が微細に振動していることを感じ取ったからだった。


 振動は徐々に大きくなり、やがてぼくらの左手に存在していた半壊した建物の外壁がものすごいスピードで飛来した、コンクリート壁をハンマーのようにくっ付けた鉄筋によってけたたましい音とともに砕け散った。飛び散る瓦礫片をよけるためにぼくは地面に伏せた。異変に気が付かなかったのか、暁昴は唖然として固まっていた。ぼくは彼女の手を引いて強引に地面に引きずり倒した。


 一瞬の間をおいて、再び鉄筋が飛んできた。その鉄筋は別の瓦礫の山を突き崩した。何本もの鉄筋がぼくらの周囲に飛来した。いかに世界が壊れてしまったからと言って、自然現象で鉄筋の雨が降るなどということはない。これは間違いなく攻撃だった。最初、ぼくらを狙っている攻撃なのかと考えたのだが、すぐにそれは違うだろうと思った。ぼくらを狙って攻撃をしているのなら、鉄筋の狙いはあまりにもおそまつが過ぎたのだ。次から次に飛んでくる鉄筋は、ぼくらに命中することはなく、周囲に激突し、地面に穴を穿つだけだった。つまりは別の誰かに対する攻撃の流れ弾なのだと思った。頭を守りながら周囲の状況を確認すると、鉄筋は何本か先の通りから降り注いでいることが分かった。


 しばらくしてその方角から男の叫び声が聞こえた。ぼくは中腰の姿勢のまま、鉄筋の雨が止んだ隙を狙って、その場から移動した。すぐにこの場から離れて逃げるべきかどうか迷った。が、すぐ近くで行われている攻撃がどういった種類のもので、ぼくがどういう立場にいるのかを確認したいと思った。それが安全に避難するための最善の方法だと思えた。暁昴はどうするのかと思ったが、彼女はやはりぼくについてきた。


 戦闘はそれほど大規模なものではないだろうと思っていた。実際その通りだった。戦闘はぼくらが歩いていた通りから数えて三本隣で行われていた。戦っているのは二人の男で、一人は右足の太ももに太い鉄筋が突き刺さり、貫通していた。男は地面に這いつくばり、倒れ伏していた。男が身じろぎをするたびに、鉄筋によって太ももの筋肉が千切れ、穴の周りから血が流れ出ていた。もう一人は掠り傷程度の怪我だった。そいつの周りには鉄筋が空中に浮かんでいて、手を振りかざすたびに、這いつくばった男に向かって、鉄筋が猛然と突っ込んだ。が、這いつくばった男には突き刺さらず、代わりに不自然な軌道を描いて、あらぬ方向へと激突した。そのうちのいくつかは大きく跳ね上がるようにして、先ほどまでぼくらがいた通りの方へと跳んでいった。


 連中は超能力者だった。月が壊れ、世界が一変した要因のそのうちの一つ。生き残った人々の少なくない数が、ある日突然超能力に目覚めた。言葉にすればこの上なく馬鹿らしく、現実味が無い。しかし間違いなく超能力に目覚めた人類はこの世に存在しているのだ。が、超能力があろうと飢えて死ぬという現実の前には食料以上の価値はなかった。


 ぼくは地面に這いつくばっている男が食料を抱えていることに気が付いた。小さなドライフルーツが入っている袋だった。食べかけで、封が開いているし、量も五つか六つ程度だった。連中はそれを奪い合って殺し合いをしているのだった。連中の戦いを見て、ぼくはほっと息をついた。戦闘は大ごとになりそうなものではなかったからだ。どちらかが食料を手に入れれば――それはどちらかが死ぬということだが――その時点で戦いは終了する。


 余計な飛び火を受けぬように(何しろぼくは缶詰と小麦粉を持っているのだ)、その場から距離を取ろうとすると、ぼくの動きを暁昴が制した。


「待って。もうちょっと見ていたいの」彼女はぼくに視線を向けることなく、一心に二人の男の殺し合いを見つめていた。


「なんで? ここにいても余計な争いごとに巻き込まれるだけかもしれないじゃないか」


 彼女はぼくの問いには答える気が無いようだった。ぼくの腕を握る彼女の手が、小さく震えていることに気が付いた。それは人が殺されかけているという恐怖によるものではないだろう。彼女は眼をそらすことなく、むしろ食い入るように掠り傷を負った男が、地に這いつくばっている男を殺そうとしている様子を見つめているのだから。


 ぼくが暁昴の腕を振り払ってその場を離れる前に、あたりに鳴り響いていた地鳴りのような、鉄筋が地面に激突する音が止んだ。戦いが終わったのだ。見ると、這いつくばっていた男は、全身を鉄筋に貫かれていて死んでいた。


 彼を殺した男は、死んでもなお放されることのなかったドライフルーツの入った袋を死んだ男の腕からもぎ取った。袋は死んだ男の血によって濡れていた。男は、死んだ男がほかにめぼしい食料を持っていないか確認した後、その場を離れて行った。


「さあ、終わったぞ。早くこんなところから離れよう」ぼくは言った。


 が、暁昴は立ち上がると死んだ男の下へと歩き始めた。無警戒に、周囲に注意を配ることなく、まっすぐに進んでいた。腰にサバイバルナイフがあることを確かめて、ぼくは彼女の後を追った。争いごとがあると、それを聞き付けたハイエナのような連中が勝者のおこぼれにあずかろうと群がってくることが多いのだが、幸い、まだ周囲にその手の連中の姿はなかった。


 暁昴は死んだ男の顔を覗き込んでいた。顔がよく見えるように、血の気がなく、血にまみれた頬に手を添え、角度を調整したりもしていた。先ほどまで見せていたいやに明るく、無邪気さすら纏わせていた表情とは打って変わって、彼女の視線は真剣そのものだった。ぼくは先ほどまで生きていた男の死体と、彼女のまるで事務的なそのしぐさにひどい嫌悪感を覚え、視線を切った。


「もしかして、そいつがあんたの探し人とか?」


「いいえ。違う……と思う」彼女は曖昧な答えを口にした。


「自分が探している人間の顔を知らないのか?」


「顔ははっきりとは分からないのよ。でも、体格は覚えているし、手掛かりだってあるわ」


「探しているのは恋人でもないんだろ? あんたと探し人の関係ってなんなんだい」言って、すぐに後悔した。そんな踏み込んだ質問はするべきではなかった。彼女がどのような事情を持っていようと、ぼくには(害が及ばない限り)関係がないのだから。


 幸運にも彼女はぼくの質問には答える気がなかったようで、「ちょっとした知り合いよ」と言うだけだった。ぼくはほっと息をついた。見分を終えた彼女はもういいわ、と立ち上がった。彼女は男を探し人ではないと結論付けたようだった。


「時間を取らせちゃってごめんね。さ、キャンプに行こ」彼女は再び明るい口調で、子どものような笑みを浮かべて言った。その、スイッチを切り替えたような雰囲気の変化にぼくは気味の悪さを感じた。

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