第37話『絶望の訪れ』
普段学生たちが安いうまい大盛りの三拍子がそろう料理の数々に舌鼓を打つ国立蒼脈師学院の食堂は、悲鳴と轟音が支配する戦場と化していた。
己の意思に反して傀儡と化した生徒と教師は群れを成して蒼脈刀を持ち、サクラたちに襲い掛かる。
一年一組の四人は互いに背中を向けて円陣を作り、圧倒的な物量をさばいていた。
「き、気合と根性! を入れても糸が切れない!?」
「うっさいわ黄之百合先生!! 寝とけや!!」
「うおっ!?」
ソウスケの拳を顔面で埋め止めた黄之百合の身体が大きく跳ね飛ばされた。
床に転がって
「大量に来すぎやで!」
「まったくだっての!」
多勢に無勢。今までのサクラたちであれば数秒と持たずに制圧されていたはずだったが、ユウキとの修行によって身に着けた脈式仙法は、数で勝る相手に対して存分に威力を発揮している。
そして人形と化した生徒や教師たちは本来の実力を発揮できてないのも、サクラたちが生き延びている理由の一つだった。
恐らくは本来の実力の数分の一以下。戦闘能力の大きく劣る者が群れたことろでたかが知れている。
峰打ちと非殺傷性魔法を駆使する四人の猛攻は、人形を次々と気絶させていく。特に大きな役割を果たしたのがツバキの誘導魔法だ。
「蒼牙突!」
非殺傷出力の蒼く鋭い閃光が人形と化した生徒と教師を次々に打ち据えていく。
一度放った魔法を何度も利用し、複数の敵を攻撃できる誘導魔法は多対少数の戦場において驚異的なまでの優位性を誇る。
脈式仙法の修行は、ツバキに蒼脈操作性の向上という副次効果をもたらし、個人的にずっと続けてきた誘導魔法の訓練と相まって、ツバキの技は模擬戦の頃とは比較にならない精度に磨き上げられ、実戦で通用する領域に至っていた。
接近戦が得意なサクラとソウスケが人形の攻撃をひきつけ、ツバキの誘導魔法とキュウゴの干渉制御魔法がとどめを刺す。
四人の連携は本職の軍人のそれに匹敵し、数百人に上る人形の大半が無力化されていた。
「せやけどキュウゴ、人形使いとかいう敵さんの狙いよう分かったな。お前の忠告が無かったらワシらも操られとったで」
「脈式仙法教えてくれた先生と、今回ばかりはあんたに感謝ね」
「ありがとうキュウゴ。君がいなかったらどうなってたか分からないよ」
サクラ・ソウスケ・ツバキの賛辞を受けてもキュウゴの顔色は優れない。
どうしたのか?
サクラが訪ねようとしたその時、暗く
全身黒ずくめで顔立ちは分からないが、覆面から錆びた刃のような眼が覗いている。身体つきを見るに細身の男であり、気配も若々しい。
手にしているのは、刀身が短い直刀。
「なるほどなるほど」
嫌悪を
「若い狼は、十二分に牙を研いでくれたか。こちらで鍛える手間が省けた」
カラスの視線はツバキを狙いすましている。二人の間にソウスケは割って入り、蒼脈刀を上段構えにした。
一対一でカラスと戦って敵うはずもない。質力差が埋まっていないことは、ここにいる四人全員が自覚しているだろう。
サクラは、無謀な闘志を燃やすソウスケの右隣に立ち、声を荒げた。
「ソウスケ!」
「……分かっとるてサクラ。ワシもあれとやり合うつもりはないで」
「戦ってくれないのか? つまらないな」
こちらに戦う意思がなくても、逃がす道理はない。カラスにしてみれば当然の論理だ。
カラスが一歩踏み込む。サクラの全身に刃で突かれるような不快感が走った。
一歩。さらに一歩。距離が詰まるたび、死の訪れを自覚する。
「せ、生徒に手を出すな!!」
床に転がっていた黄之百合は蒼脈刀を振りかぶり、背後からカラスに振り下ろした。
糸の支配から脱したのだろう。今のサクラたちよりもさらに研ぎ澄まされた斬撃だ。
しかしカラスに到達するより速く、木之百合の胸に直刀の軌跡が刻み込まれ、鮮血が迸った。
「黄之百合先生!!」
ツバキの悲鳴に黄之百合は答えず、床にできた血だまりに仰向けで突っ伏した。
「戦えばこうなっていただろう。この男は強い。十二分に強い。単独での戦闘能力ならお前達よりも格上だ。それでも通用しない」
カラスは、また一歩にじり寄った。
「四人がかりで来るか? 何とかなると思うか?」
「干渉制御・紫電!!」
キュウゴの蒼脈刀の纏った雷が空中を蛇のようにうねりながらカラスへと突撃する。並の使い手ならば避けられない一撃をカラスはその場から動かずに直刀の一薙ぎで、たやすく迎撃してみせた
「干渉制御魔法。空気中の静電気を蒼脈で増幅し、撃ち放つ。いい技だ。まだ粗削りだが、よく鍛えてある」
「父さんには遠く及ばないであります」
キュウゴはサクラたちよりも一歩前に出て蒼脈刀の切っ先をカラスに向けた。
足取りにも表情にも恐怖の念はない。あるのは九割の憤怒と一割の軽蔑、そして僅か郷愁だ。
「みんなは退くであります。ここは自分が」
「アホ抜かせ!! 一人でどうこうなる相手やない!!」
「ソウスケの言う通りだっての!! 四人で戦いながら逃げるしかないってば」
「敵の狙いは私だ!みんなこそ下がって。私が行けば――」
「ツバキそれじゃ意味ないじゃん!!」
「でも!!」
「いいから行くであります!! この男は自分を殺せないであります!!」
キュウゴの声には確信が籠っている。
「何言うとんのや!」
「そうでしょう兄上!!」
「キュウゴ……あんた何言ってんの?」
「兄上て、どういうことや!?」
「久しぶりだねキュウゴロウ」
カラスは、覆面を取ると、絹糸の滑らかさを持ち、さらさらと宙を彩り髪と一緒に素顔もあらわになった。
大層嬉しそうに微笑む面立ちは女性のように美しく整えられており、腰まで伸びたキュウゴの面影を見ることも出来る。
「この男は、自分の兄であります。そしてアザミという外道に堕ちても、いまだに家族の情に縛られている。だからこの男は自分を殺せないであります」
「そうかな? 目的の為なら家族をも斬る。それがアザミだよ。たとえ弟であってもね」
カラスの瞳は、さびついた光をキュウゴに突き付ける。それでもキュウゴは一切怯む様子を見せなかった。
「その割には厄介な干渉制御魔法を得意とする自分に刃を向ける気配がないであります。最初に接敵した時点で真っ先倒しているはずであります」
一転、カラスの殺意に満ちた表情が壊れ、
「……キュウゴロウ。お前の言う通りだ。確かに僕はお前を殺すつもりはない。いや殺せない。たった一人の肉親を手にかけることは出来ない。父さんや母さんはもういない。だからお前まで失えないよ……しかし殺さずに制圧する方法なんていくらでもある」
カラスは、一歩近づく。サクラたち三人は退きそうになるも、キュウゴはやはり一歩も退かない。
「お前は殺さず、残りの二人は殺す。そして桜葉ツバキを連れていく」
「二人を殺させなんてしないであります!!」
「お前が怒ってしまうのダメだな。いよいよ僕が恨まれて一生許してくれなくなりそうだ」
子猫のような甘ったるい声を出しながら、カラスは心底困った風に眉尻を下げた。
「分かったよキュウゴロウ。みんな殺さない。殺さずに制圧して桜葉ツバキを連れていく。そしてお前も僕と一緒に来るんだ」
「冗談じゃないであります!!」
カラスの双眸から涙の粒が零れ落ちる。その姿は母親に拒絶された幼子のようだ。
「どうして兄ちゃんをそんなに嫌うんだい?」
「もう兄とは思っていないであります!! 紫電!!」
キュウゴの怒りを具現化するかの如く蒼脈刀に帯電する幾重もの雷撃がカラスを襲撃する。だが良喜劇が躍り出す寸前に、カラスはキュウゴの懐に潜り込み、恍惚と頬を染めた。
「兄上と呼んでくれるんだね」
カラスほどの速度を誇る相手に、接近戦の間合いで干渉制御魔法は通用しない。すぐさま蒼脈刀による攻撃を選択したキュウゴだったが、その始動速度をはるかに上回り、カラスの右人差し指がキュウゴの頬をつついた。
「本当にキュウゴロウは昔からやんちゃさんだな」
「よそ見ばっかすんなや!!」
ソウスケの渾身をもって繰り出された蒼脈刀の打ち下ろしをカラスは片手持ちの直刀でたやすく受け止めた。
「いい太刀筋だ。出会うのがあと四年遅ければ――」
カラスの放つ左拳がソウスケの右頬を撃ち抜いた。脈式仙法を覚え大幅に向上した暴力をたやすく貫通し、決定的なダメージを与えてくる。
「お前の方が格上だった」
嘘偽りのない感想であるのがサクラには分かった。いずれソウスケはカラスを超える逸材だと。
しかしそれは賞賛であると同時に今のサクラたちでは歯が立たないとの宣言でもある
ならば諦めてツバキを渡すのは。サクラの答えは否である。
「蒼牙閃!!」
サクラが蒼牙閃を放ち、
「蒼牙突!!」
合わせてツバキも蒼牙突を放つ。
二つの光がカラスへ迫るも、サクラの蒼牙閃羽田安打ち落とされてしまう。ツバキの蒼牙突も幾度もカラスを狙うも命中することは叶わない。
「この誘導性、やはり――」
カラスはほくそ笑みながら、直刀でツバキの蒼牙突を振り払った。
「素晴らしい。見込み通りだ」
カラスの笑みは、底知れない黒い情念を滲ませていた。
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