第23話『ヤマナラシとヒナゲシ』
十七年前、ロウゼンの元に弟子入りしたユウキには、二人の兄弟弟子が居た。
一人は
入門したての頃、ユウキはしょっちゅう泣いていた。修行がきつかったせいではない。転んだり、おねしょをしたり、そんな
ユウキが泣いているとダイゴとヒナゲシは、どんな時でもすぐに駆けつけて笑顔で慰めてくれた。
「ユウ坊、転んだのか?」
ダイゴは、やんちゃな顔をした少年で黒い着流しを好んで身に着けていた。
「にいちゃん……」
泣きべそをかいたユウキをたくましい腕で抱き上げ、あやしてくれた。
「しっかりしろやい弟弟子。お前は桃木ロウゼンの弟子だぜ?」
「泣き虫は破門される!? うわああああああ!!」
「落ち着けや。師匠はそんなお人じゃないぜ」
「にいちゃんに嫌われるうううううううううう!!」
「嫌わねぇよ!」
ダイゴが来ても収まらない時は、決まってヒナゲシが駆けつけてくれた。太陽のような笑顔をした美しい少女は、桜色の半着と藍色の
「ダイゴ、またユウキをいじめてるの?」
「人聞き悪いぞヒナゲシ。いじめてねぇや。一度としていじめてねぇや」
「知ってるよ」
「じゃあ言うなや!」
「ユウキ転んじゃった? 痛いの?」
「ねえちゃん……いたい……」
ユウキの左ひざがすりむけている。とはいえ傷は浅く、この程度ならむしろ泣かない子の方が多いだろう。
けれどヒナゲシは、
「ありゃまー。じゃあ、お姉ちゃんが治してあげるよ」
ヒナゲシがユウキの左ひざに右手をあてがうと、さわやかな新緑の光が放たれる。ヒナゲシは戦闘能力もさることながら、ロウゼンも認める治癒魔法の達人だった。
治癒魔法は、自身の蒼脈と治療対象の蒼脈の双方を利用し、自己治癒能力を強化する術。本来は蒼脈を持たないものへの治療効果は低く、一般人への医療行為としてはあまり用いられない。そのため主に戦場で負傷した蒼脈師の救助に使用された。
ヒナゲシのそれは、この時点で蒼脈を持っていたなかった五歳のユウキに治癒効果を発揮するほどで、かすり傷を直す程度と言っても、同じことが可能なのは、世界に数人だろう。
「これで痛いのは、もうなくなった?」
「ねえちゃん消毒してないよ!! うわああああ雑菌があああああ!!」
「ありゃまー。相変わらずこの子は、もうかわいいんだから」
ヒナゲシがダイゴからユウキを受け取り抱きしめると、ユウキは滝のような涙を流した。
「ごめんなさい!! 生まれてきてごめんなさああああああい!!」
「むしろ生まれて来てくれてありがとう、だよ。みんなユウキのこと大好きなんだもの」
「ほら、めそめそするない。修行するぞ」
ダイゴが頭をなででくれると、ユウキの臆病な心の中には、いつでも小さな勇気の花が咲いた。
「……うん。修行する」
ダイゴとヒナゲシは、ユウキにとって血よりも濃い絆で結ばれた家族だった。
――――――
ユウキが七歳になった頃、蒼脈が身体に定着した。
上手くすれば一万程度まで定着できるところ、五千足らずで止まったあたり、ユウキには蒼脈師としての才能はなかった。
泣き虫で臆病な性格も愛空わずだったが、修業はまじめにこなしている。
ロウゼンの指導は、厳しくはないが本格的であった。実戦的な技術をできる範囲で、無理をしないで覚えていく。これが桃木ロウゼンの修行方針であり、ダイゴやヒナゲシにも無理な修行を課したりはしなかった。
ロウゼンは、修行に関しては理論派かつ効率を重視する。才能があるダイゴとヒナゲシは海綿が水を吸うかのように覚えが早いので、次々に新しい技術をさずけ、才能がかけらもないユウキには習得は難しいが、蒼脈のない者でも強者に通用する切り札をあえて覚えさせとうとした。
何をやらせても中途半端な蒼脈師に仕上げては、護身術にもならない。なら実戦的な技を一つ極めさせた方がいい。
この方針は功を奏し、ユウキはロウゼンが教えた技の基礎を覚えつつあった。
「ユウキも大分蒼脈が身について来たようじゃな」
木刀を懸命に振り、ヒナゲシに挑むユウキを見つめるロウゼンの笑顔は、孫を見つめるようである。
ロウゼンを微笑ましげに見つめながらダイゴは言った。
「お師匠様、どのぐらいユウキを鍛えるおつもりなのですか? いきなり荒れ狂う破壊を教えるなんて最初は驚いたのですが……」
「あれは、自分の蒼脈量が少なくとも通用する技じゃ。弱いなら弱いなりの戦い方をすればよい。狼一匹では獅子には勝てん。が、一匹で叶わんなら群れて牙を束ねればよい。あれはそういう技じゃ。まぁそう言っても、とりあえず護身程度になればよいわい」
「お師匠様が使ったら、地形を変えるあれが護身ですか……」
護身術目的で門外不出の桃木ロウゼン最大奥義を教えるのだから困ったものだ。弟子バカもここまでくると病気である。
「とは言え、練習となると根をあげん奴じゃ。意外と強くなるかもしれん」
「ユウ坊、意外と防御が上手いんですよ。崩すのに苦労します」
「性格が現れとるのかもしれん。ネガティブに考えるってのは肯定的に捉えると、最悪の状況を想定して動けるということじゃ」
修業が終われたひと段落するとロウゼンが用意したおやつを弟子の三人で食べるのも日課だ。
草原の上にござが敷かれ、その上に茶器とお菓子が並んでいる。弟子たちが修行を終える頃になるとロウゼン自ら準備するのが日課である。
つくづく弟子に甘い師匠だが、弟子たちがロウゼンを尊敬するのは甘いだけの人物でないと知っているからだ。
弱き民の牙となり、あらゆる敵を噛み砕く強さ。どんな時でもそばに寄り添い、導いてくれる温かさ。
ロウゼンは、自分が認めたものしか弟子にしない。その基準も才能ではなかった。 ダイゴとヒナゲシは天賦の才を持っているが、それ以上に大切なものを持っているからこそ弟子にした。
ユウキを弟子にしたのも娘の命を救ってもらったからではない。ユウキの秘める勇気を感じ取ったからこそだ。
ユウキが
ダイゴとヒナゲシも、ユウキの中に眠る勇気を認めているからこそ、泣き虫で臆病なユウキに敬意をもって接しているのだ。
もっとも今となってはユウキの秘める勇気以前に、ユウキのことが可愛くて可愛くて仕方がなくなっており、あんころ餅をほおばるユウキを見て、三人はでれでれと
「あのさ、姉ちゃんはどうして師匠の弟子になったの?」
ヒナゲシは、ユウキの頬についたあんこをぬぐいながら言った。
「強くなりたい、からだよ」
「兄ちゃんは?」
「俺も強くなりてぇんだ。強くなって師匠と同じ狼牙隊で働くのが俺の夢だぜ」
「狼牙隊? 師匠のいるところ?」
「そうだぜ。狼牙隊は最強の証だ。俺は狼牙隊に入って経験を積んで、いずれは師匠よりも強くなってみせるぜ」
白熱するダイゴにヒナゲシは冷笑を送った。
「それは高望みし過ぎだよ」
ダイゴは、眉間にしわをよせてヒナゲシに詰めよった。
「じゃあお前は、師匠より強くなりたくねぇのか?」
「私は強くなりたいけど、私の求める強さは君とはちょっと違うんだよ。私は国立蒼脈師学院の先生になりたいんだよ」
ユウキは二つ目のあんころ餅をほおばった。
「姉ちゃん、先生ってなにするの?」
「子供たちに蒼脈について教える人、だよ。今の師匠みたいな感じ、かな?」
「姉ちゃんならきっとなれるよ。優しいから」
「ユウ坊、兄ちゃんはどうだ?」
「兄ちゃんも狼牙隊に入れる!」
「ああ、その通りだぜ! 俺が狼牙隊に、姉ちゃんは教師に。ユウ坊は何になりたい?」
なりたい職業。やりたい仕事。ユウキは、空を見上げてみたが、何も浮かんでこなかった。
「分かんないよ。夢とかなりたいモノとかよく分かんない」
「直に分かるようになるぜ」
「ほんと?」
「兄ちゃんが嘘ついた事あるか?」
「ない」
「だったらほんとだぜ。ユウ坊にだって夢が出来るぜ」
「どんな夢だろう?」
「それはユウキにしか分からないんだよ。だけどきっと素敵な夢だよ」
「楽しみだー」
ユウキがあんころ餅を一気にほおばり飲み込もうとする。しかし餅は喉元でつかえてしまった。
「しぬ!! しぬ!! 夢できる前に死んじゃうよー!!」
「ありゃまー」
「しっかりしろ!! 傷は浅いぜ!!」
「うわあああああユウキ!! 医者を呼ぶんじゃ!! 医者じゃ!! 医者じゃ!! 弟子が死ぬ!! うわあああああ!!」
楽しくて幸せな日々は、ユウキが八歳になった頃、終わりを告げた。
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