第2話 調温作業


 洋菓子店『paigueペイジュ』は、東から北にかけて田園風景、南側に幹線交通路や比較的若いインフラ整備の整った開発地区を臨める、程よく閑静で、程よく便利な住宅街から少し外れた場所にある。元々オーナーの持ち家だった古い洋館をリノベーションしたという店の歴史は古いものではなく、十四・五年ほど前からの創業だと聞いている。避暑地のコテージや北欧の民家を思わすような、いかにもと言えばそれまでだが、洋菓子店らしく瀟洒しょうしゃな作りの建物だ。

 ”元民家”と呼ぶには若干じゃっかん広すぎる感のある敷地をようする店舗は、そこだけ自然林の一角を切り取ったように樹木に囲まれており、まずは出入り口から向かって正面にレジ、そして洋菓子とショコラを並べたショーケース。左手にあるレジに連なるカフェカウンターとイートインスペースとの間はわずかに格子状の列柱で仕切られてはいるものの、可動性でストッパーを外せばほぼ完全なワンフロアにすることも可能だ。列柱の向こう側、広さにして二十坪ほどの客席エリアは、積極的に太陽光を採り入れる明るい造りというよりも、日本の古い民家や隠れ家といったものを連想させる、陰影を含んだ落ち着いたデザインになっていて、春から秋にかけ天候の良い時期には店舗内にある出入り口から田畑を望む南東に面したウッドテラスへ出ることもでき、ルーフ付きのテラスでは、葉擦れの音や鳥の鳴き声、風の向きによっては近隣の保育園から漏れ届いてくる子供たちの声をBGMに、その時々に合った、店のスイーツと店のバリスタの淹れるカフェメニューを楽しむことができる。

 余談だが、『paigue』はまったくの個人資本の店舗としては珍しく、店舗の設計のみならず、研修項目にも、AED(民間でも使用可能な心肺蘇生装置)の使用法や、介助などの基礎的な知識や対応に関する講習が含まれるなど、かなりバリアフリーが意識されている。

 そんな風に、あらゆるお客様に対し心得るべきホスピタリティについて、一通りのことをきちんと教えられるのに、なぜか一部客にタメ口を聞く店員の砕け切った態度にはまったくのお咎めなしだったりするあたり、”個性の尊重”と言えば聞こえはいいが、接客に関する細かいノウハウはについてはやけにざっくりというか適当である印象が否めない。実際俺もここにきて、きちんとした接客マナーを教えられた覚えがないために、いまだに取ってつけたような怪しい敬語で客に接しているわけだが。

 それはまあ、さて置いて。

 

 バイト扱いの試用期間を含めれば、俺がここで働き始めてそろそろ一年が経とうとしている。厨房での雑用から始まって、───身長186センチと大柄な自分が越えるべき最初で最大のハードルが、作業する人の動線を邪魔しないということだったのだが───次に店の雰囲気を掴むため、フロアで接客見習い──商品の補充や、庭木の葉っぱを寄せ集めたり、倒れた自転車を見つけては立て直すなど、店内外の整備・清掃に明け暮れていた。店に来るお客さんは意外にフレンドリーな人が多く、もしくは俺がよほど腹をすかせているように見えるのか、洋菓子屋の店員なのによくお菓子をもらったりした──で、三ヶ月ほどに渡った”店内見習い業ツアー”の最後に就くことになったのが、先輩パティシエほぼ直属の補佐だった。

 その先輩パティシエの名前は、七原千彰ななはらちあきという。中性的な名前ではあるが、残念ながら男性だ。間違いなく、これまで俺の周りには居なかったタイプの。

 まだ三十歳手前という話だが、雰囲気や見た目から歳が伺いづらいのは、年齢不詳というよりも意思表示というか、存在感というか、生気そのものの希薄さによるものが大きい気がする。ぶっちゃけあまり人間っぽい感じはしない。

 七原は仕事に差し支えない程度には喋るけれど、誰に対しても、端的な受け答えと仕事上のやりとり以外に口を開くのを見たことがない。なので、とくに俺個人が気に食わないからといった理由による口の重さではないようではあるが、当然のように、面白みのあることも言わないし、ちょっとした冗談に乗ってくることもない。

 対して俺は決して無口な人間とは言いがたく、人が油断している時に見せる隙や、叩いた無駄口から舞い上がる情報やほころびの中から、他者への親しみを見出していくタイプだ。なので、無駄口を叩くどころか、どう接したところで表情も崩さずちりのひとつも出てこない、感情が見えなさすぎていっそサイボーグのように無機質な七原は、俺にとっては苦手中の苦手の人種と言えた。「とはいえこれも仕事だし、社会人なんだし」……と達観してしまうには、俺はまだ若く、拘束時間の占める割合も長すぎる。

 つい軽口を口走った際に訪れる沈黙は、いっそ異空間にでも迷い込んだんじゃないかと錯覚してしまうほどの静けさで、地上に居ながらにして、果てしない宇宙の広がりを感じることができる。圧巻の体感は、まさに異次元クラスのマンツーマン。叶うものならば是非、人にもオススメしたいくらいだ。

 …………………………って。

 これはいったいなんの苦行だ?人生最初の就職が、こんな罰ゲームみたいなことでいいのかっ?……と、日本海の荒波に向かってツッコミを入れたくなような日々だけれど、実際にとち狂って叫び出したりしない俺を褒めてくれる人は誰もいない。これがもし、せめてもし、見た目だけでも自分好みの綺麗なお姉さんだったりしたなら、少しくらいは気が紛れたりもしたのだろうか。

 

 彼にはひとつ、大きな特徴がある。特徴というか、ハンデだ。それも、肉体的な。

 彼の左腕には事故か何かによる損傷があるとのことで、そのための後遺症が今も残っているらしい。そのことは俺がサポートに就く際に事前に聞かされていたような気もするが、仏頂面を超えて仏像的な無表情と、沈黙が苦痛すぎたあまりか、途中まですっかりそのことを失念していた。

 そうでなくとも仕事中の七原の動きは無駄がなく滑らかで、そこから欠損を意識しろというほうが無理があるくらいだった。だから、ボウルが床に落ちる派手な音が鼓膜を打ち、作業が中断された時になってはじめて、「そうだった」と、初めに聞かされていた”注意事項”を思い出したのだった。

 誤ってボウルを中身ごとぶちまけてしまった時の七原の顔は、よく覚えていない。ただ、その時の俺は、掃除をするのがほとんど習い性のように身についてしまっていたので、反射のように床に転がったボウルに取りついて、お客さんに対応するのと変わらない調子で、「あ。全然大丈夫ですよ。もう片付けちゃったんで」なんてにこやかに言い、顔を上げてから相手が違うことに気付いた。しまった、と思った。無駄に愛想を振りまいてしまって。

 だから、「ありがとう」という声は、俺の鼓膜こまく捏造ねつぞうした聞き間違いなのかと思った。丁度、目に見えている映像と音声がまるで噛み合っていなかった時のように。

 無愛想な顔のままの七原の口からそんな言葉が出るとはあまりにも思いもよらなかったから、気がついた時には七原は次の仕事に移ってしまっていた。機を逃した疑問の真相は、未だ藪の中だ。

 七原の左手のこと。仕事が立て込んで注意力が落ちていたり、思ったよりもモノが重かったりするとダメなようだということは、前よりも意識をして観察したことで、あとになって気がついた。

 俺には俺の、人には見えない欠損がある。それは文字通り俺の目には見えるが、他人の目には映らない。

 不都合だったり不便がなかったわけじゃないけれど、今はそれを利用したり逆手にとる方法を知っている。自尊心の置き所さえクリアしたならば、他者の同情と優越感情を利用することは、案外容易い。用もなく振りかざそうとは思わなくても、知った時の人の反応を観察することはある種興味深くもあり、他人を知るうえでのバロメーターとしても役に立つ。あとは、相手次第で”信頼”の量を調節する。たったそれだけのことで、誰を悪者にすることもなく、”不便”が”便利”に反転する。

 単に割り切って人を区別するだけじゃない。そういう中で面白いと思えるような人間関係を築けることだって、ちゃんとある。それに、選ぶ自由があるという点では、基本的に相手も自分も対等であるはずだ。「顔がいいのも才能のうち」と言うのなら、ハンディキャップも才能のひとつになり得る。

 仕事場で、友情だ絆だなんてクサいことは言わない。だけど自分で自分のことを少しも理解してもらおうとしないことを、七原は寂しいとか、怖ろしいとは思わないんだろうか。

 七原とは、そういう話をしない。つーか、用がなければ話さない。たとえば沈黙を自分のスタイルや優位性を示すため手段にするような、無言のアピールさえ七原はしない。ただ、坦々としている。

 こんなに自分のことを話さない人間と、こんなにも長い時間を過ごしたことなんて、これまでに無かった。

 

 七原の仕事の質は高い。

 比較して見ていると、他の人間がマニュアルや基本を元に動いているように見えるのに比べ、七原の場合はどこか変則的で、タイミング、その時の温度や感じる音、情報のすべてを普通の感覚じゃわからないような微細さで拾い上げて、都度組み立て直されているように見える。だけどそう思うだけ。俺自身の知識とか経験が伴った理屈じゃないから、実際のところはなんとも言えない。

 単に効率だけを見ていたら見えないものがあるのか。七原が作ったものには、七原の手だけが持つ効力が働いている……ように思える。何でかと言うと、理由は簡単。出来上がったものを食べだけで、ピンと来る。自分でも不可解なくらいに、”これは七原が作ったんだな”と判ってしまう。

 他の人間が同じ手順で同様のものを作っても、どういうわけかそれが無い。自分自身決して不器用な方じゃないという自負はあるが、そんな自分がたとえすべての手順を詳細に真似てみたとして、似たようなものは作れたのだとしても、同じものを作る自信はない。七原はどこでどんなふうに、今持っているような洋菓子の技術やアプローチの仕方を学んだんだろうか。

 わかるのは、俺が七原を見習おうとするのであれば、専門学校で使っていたテキストなんかは、残念ながらほとんど何の役にも立ちそうもないってことくらいか。


 七原と、仕事仲間との不思議な関係。距離感のことを考える。

 『paigueペイジュ』のスタッフは、繁忙期に入れ替わる臨時雇いを除けば、俺を入れて常時で総勢十名ほど。個人店の規模としては中くらいだろうか。

 定説になぞらえれば、規模が大きければ大きいほど人間同士の関係は希薄になるのだろうし、小さければその分、個人間にかかる摩擦は大きくなる。それは何もこういった店舗に限ったことではなく、グループの単位が「学校」でも「クラス」でも、「国」であったんだとしても、集団の心理というものはあまり変わらない気がする。

 どこであろうと、集団に馴染まないものは弾かれる。いじめや排斥はいせきじゃなくたって、「尊重」や「擁護」というかたちをとった疎外だってある。

 店の人たちは、それぞれに個性が強くアクはあるけれど、基本的には「普通の範囲内」なんではないかと思う。全員を一括ひとくくりにすることは出来ないけど、どちらかと言えば「いい人たち」と言えるような。

 その中でも、やっぱり七原は異質だ。どれだけ抜きん出たものを備えていたのだとしても、ああいった、極端にコミュニケーションが上手くない人間は、集団の中では例外なく嫌な感じに孤立してしまうものだと思っていた。いわゆる、「恰好かっこう餌食えじき」というやつだ。古今東西、異質さは、「集団」が「個」へ制裁を与えるための、福音になるものだから。

 確かに、七原は馴染んではいない。仕事上での上部うわべの友好を円滑に保とうという姿勢もなく、また馴染めていない人間によくある卑屈さや、孤立への畏れも、びっくりするほど感じられない。もしかしたらそういう発想自体が無いんじゃないかっていうくらいに。

 本当のところ、最初の頃は周りの人間に対してあまりに無愛想な七原の様子に目を疑い、「え?こいつ、大丈夫なの?」と、見ているこちらのほうがハラハラして、つい仲裁に入るような真似をしてしまって、ほかの人間がなんでもないような顔をしていることに呆気に取られてずいぶんと間抜けな気分を味合わされた。さすがにもう、慣れたけど。

 人間関係ってきっと、実利的な部分より余計なもので出来ているのが大半だ。余計な部分で、人を好きになったり、嫌いと思ったりする。利用できる相手かどうかという打算だって、きっとそれよりもずっと弱い。好きか嫌いかという感情は、人に強いられたって変えられるものじゃないから。

 だけど、なんか。この店の人間には、七原に対する距離の置き方に、嫌な感じがあまりない。店の人間から七原に接する時の態度は、たいていの場合、車のギアでたとえるとニュートラルなフラットさだけれど、それはなんだか、無関心ゆえのフラットというよりも、……うまく言えないけど、奥底の方に、じわっとした尊重のようなものが隠されているように感じている。

 そんなふうに、愛想も打算も、喜怒哀楽を現すため誰かに振って見せるためのしっぽも持たない七原が嫌われていないということが、俺にはすごく変で、すごく不思議だ。

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