第3話 待ち合わせているのは皇立第一中等学校高等科二年生

 シルベスタ・アンクシエ・デカダは、現在の本業のために、ルカフワンにある本宅を離れ、遠く離れたオクティウム市に住んでいるのだが、時々こうやって、ある日突然、父親から高速通信が飛んでくる。

 本業は、オクティウム大学の助教授である。しかも専攻は史学である。帝国史である。財団トップの三男坊としては、ろくでなしの部類に入るのかもしれない。

 とは言え、好きでやっているのだから彼は何と言われようと聞く耳は持たない。それだけは彼も主張してきたのだ。

 主張も通り、何とかここ十年ほど自由に気ままにやっているつもりではある。正直言って、別に特権カードも要らなかった。

 確かに現在の職場は、ルカフワンの「学府」で教授をやっている、会長の愛人Aである母親のコネが無かったと言ったら嘘になる。

 だがまあ、それはそれとして、地方の助教授をやっているなら別に食うには困らない。

 好きな本を手に入れるのにも、別にコレクター癖が強い訳ではない彼には大量の金が要る訳ではない。そんな奴にカードを持たせたところで宝の持ち腐れだと思う。

 だが父親はまあまあ、と彼にカードを握らせ、一年に一度くらいの割合で、それを使えとばかりに「仕事」を命じてくる。

 授業はどうしろっていうんだよ、とさすがに彼もわめきたくもなるが、天下の財団会長には、市立大学のお偉方も逆らうことはできず、デカダ助教授は、一ヶ月近くの「特別休暇」を取らされる羽目になる。

 さすがに十年もそういうことが続いていれば、上司も同僚も学生も慣れたものである。名前が名前ゆえ、彼の実家が何処であるかなど、上層部でなくとも勝手に知れるものである。彼自身別に隠そうともしていないのだから。

 旅行鞄を抱えて駅に居る彼を見かけたりすれば、「またですか~」だの「がんばってくださいね~」等の学生の悪気のない声が飛ぶ。彼は苦笑を返すしかない。

 「仕事」の内容はいろいろである。

 時には父親の代理で会議に出席することもあるし、他企業のトップと会談することもある。

 かと思えば、不審な様子のある地方の傘下の会社に潜り込んで調査しろ、と言われたこともある。

 好きではない。

 だが育った環境が環境なので、一応何でもこなせる。

 別にこなしたくもないのだが、何でも屋の素質があったのかどうなのか、何とかなってしまう。

 そしてついつい何とかしてしまう。悲しいかな、それは性分だ。

 何とかなってしまうので父親も懲りずに何かと彼を使う。

 ああ面倒だ、とシルベスタは思う。思わずにはいられない。できれば彼は一年中好きな研究をし、適当に授業し、時々調査旅行に出るといった、ごくごく平穏な生活をしたいのだ。

 ―――とは言え、降ってくる災難にいちいちケチつけても仕方がないので、とにかくそのたびに、厄介事はさっさと済ませようと決めて出かけるのだ。

 皮肉にも、その態度が結果的に「何とかなってしまう」ことになるのだが。

 そんな訳で、今回もまた、せめて物事がスムーズに運んでくれればいいな、と思いながら列車に乗り込んだのである。ただし借りた本はきっちりと鞄に入っていたが。

 ところがそう思っている時に限ってアクシデントというものは起こる。人生は皮肉に満ちている。


 当初彼は、オクティウムからルカフワン行きの列車に乗った。ところがあと特急の駅二つか三つ、というところで車掌に声を掛けられた。

 何ですかと訊ねたら、高速通信が入っているという。嫌な予感がした。

 元気な父親の声は、方向転換を告げていた。彼は最寄りのターミナル駅で途中下車し、帝国行きの大陸横断列車に乗った。国境寄りの街、フラビウムに行くために。

 さすがに列車の乗り継ぎが続くと体力を消耗する。好きな本でも何度も何度も読むと飽きる。やや意地悪な気分になっても仕方ない。別に彼は最上級の部屋などいつもは取らないのだ。


 そしてホテルのロビーにこの日の夕方、待ち合わせをしている。今回の「仕事」は人と会うことだった。

 ぱらぱらと、「資料」を彼は眺める。それはホテルに入る寸前に、局留めになっていたものを取ってきたものである。

 写真には、一人の少女が写っていた。美人だ、と彼は一目で判断した。

 判断の材料はいろいろあったが、何よりもまずその髪と目に視線が飛んだ。長い白金の髪に、濃い金色の目。珍しい。

 そしてスタイル。たっぷりとした服で隠されているとはいえ、すらりとした身体つきはずいぶんとバランスが良い。

 たっぷりとした服も制服だろうな、と思われた。水平襟は帝国では学校の制服以外には使われない。向こうの基本はハイカラーである。

 資料には、東海華皇立第一中等学校高等科二年、と記されている。

 だったら十六か十七か、と彼は思う。

 そしてまさかなあ、とも思う。「人に会え」という「仕事」の時は、いつでも何処か冷や冷やせずにはいられない。本当にただの「仕事」なのだろうか?

 時々「仕事」と銘打った「見合い」になっていることもあるのだ。もちろん仕事もある。だがその中にそういう状況が組み込まれていることもある。対談先の令嬢だの、会議の際の臨時秘書だの……

 そのたび自分から断ったり、相手に断られるように仕向けたりしてきて、とにかくそういった話は彼はことごとく潰してきた。

 だが父親は懲りずに何度でもそういう出会いを企む。

 親とはそういうものなのか、それともデカダの血を継ぐ者が一人でも多いほうがいいと思っているのか、それとも三十を二つ三つ越してしまった息子に単純に気を回しているのか――― 

 そのへんのことは彼も判らないし、別に判ろうともしていないのだが。

 だから今回も、変更して会う相手が女性と聞いて、警戒せずにはいられなかった。

 当初は男性だったのだ。

 だから鞄の中には、当初会う予定だった人物の資料も入ったままである。こちらは道中車内で飽きる程読んできた。

 エグナ・マキヤ・ホロベシ男爵。帝国で最近急激にその規模を拡大させてきた、「ホロベシ総合生活工業社団」の会長である。

 ところがアクシデントである。その男爵が亡くなった。

 ただ亡くなっただけではない。殺されたのだ。

 シルベスタはテーブルに広げられた写真の一枚を手に取り、しばらく眺めていた。確かに美人だ。再び率直な感想を述べる。だがその綺麗さに、何故か違和感が湧いた。

 何故だ?

 彼は写真をあっちに返しこっちに返し、その理由を考えてみる。そしてふとその理由に思い当たった。髪型だ。

 白金の髪は、上だけ無造作に耳の下程度に短く切っているが、下は細く長く延ばし、三つ編みにしている。整った顔立ちも、大きな金の目も確かに綺麗だが、その一点だけで、何かしら奇妙なバランスが生じる。

 そして彼はまだこの少女の名前すら見ていないことに気付き、「資料」の一枚に手を伸ばした。

 見慣れない綴りが目に飛び込む。


「イラ・ナギマエナ・ミナミ……」


 確かに珍しい名だと思う。

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