希望、小五。そのよん

「驚かせちゃったかな? ごめんなさいね」

 僕はいつから、こんなにも小心者になったのだろう。いくら突然の事だとは言え、女性に話しかけられたくらいで。全身に力を入れて、動かない。僕は荷物、僕は荷物、ばれちゃダメだ。

「もしもーし。お返事下さーい」

 執拗なまでに声をかけてくる女性は、いったい何者なのだろう。声質からして、若い女性のようだ。僕とノゾムが一緒にいるところを見られたのかもしれない。これは、まずい事になってしまった。人を呼ばれたら、作戦が水の泡だ。ママに連絡されて、ノゾムが叱られてしまう。そもそも、僕は大丈夫なのだろうか? 捨て犬と間違えられて、連れていかれたりしないだろうか?

「あ、お巡りさーん、ここに爆弾がありますよぉ」

「なにぃ!?」

 思わず声を出してしまった。頭上から、クスクスと女性の笑い声が聞こえてきた。

「嘘でーす。ごめんね。でも、やっと声が聴けた」

 心底焦った。シャレにならない嘘だ。ついて良い嘘と悪い嘘があると、教えてあげる必要がありそうだ。でも、それ以上にこの女性の事が気になって仕方がない。善い者なのか悪者なのかも分からない。

「あれ? 怒っちゃった? 本当にごめんなさい。ただ君とお話がしたかっただけなの。私の名前は、一花いちかっていうの。世界に一つだけの花で、一花。君のお名前は?」

「・・・ホップ。ホップ・ステップ・ジャンプのホップ」

 パパは希望を意味するホープと名付けたかった。そんな補足情報は、割愛した。

「ホップ君かぁ。素敵なお名前ね。ホップ君達の話を聞いちゃって、あ、別に盗み聞きした訳じゃないよ。偶然よ偶然。それでね、どうしても気になっちゃって。さっきの男の子は、君の飼い主さんでしょ?」

「違う。弟だよ」

「そうかぁ弟さんかぁ。それで、お母さんには内緒で、誰かのお見舞いに来たのね?」

「僕の妹で、ノゾムのお姉ちゃんだよ」

「そうかぁ妹さんで、お姉さんかぁ。兄弟でお見舞いって、仲良しなのね」

 その通りだ。僕達兄弟は、仲良しなんだ。優しくてのんびりした口調のイチカさんに、ついつい口が軽くなってしまう。悪い人ではなさそうだけど、どうだろう?

「イチカさんは、何者? 病院の人なの?」

「うん、そうね。一応、関係者かな? 暇を持て余して、あっちへフラフラこっちへフラフラしてるの。だから、弟さんと妹さんが来るまで、お話しましょ」

 正直、僕も一人では心細かったから、話し相手になってくれるのは、ありがたい。いつの間にか、僕はすっかり気を許してしまっていて、色々な話をした。ここに来るまでの経緯から、僕達家族の事などだ。そうさせるのは、イチカさんが本当に楽しそうに話しを聞いてくれるからだ。相槌を打ったり、大げさに驚いたり、大声で笑ったり。イチカさんみたいな人の事を、聞き上手というのだろう。

「もし、良かったらノゾミとも仲良くしてあげて欲しいよ。話し相手になってあげてくれたら、うれしいな。きっと、ノゾミも寂しくて心細いと思うから」

「そうね、私も独りぼっちの寂しさや心細さは、よく知っているからね。私にできる事なら、なんでもしてあげたいと思うよ。ホップ君は、いいお兄ちゃんだね。ノゾム君やノゾミちゃんへの深い愛情が伝わってくる。こんなにも愛されて、二人は幸せ者だね。よし、ホップ君の為にも、私が一肌脱ぎます。ホップ君とノゾミちゃんとノゾム君。君達の事がとても気に入ったの。君達の力になりたい」

 イチカさんの穏やかな声が、骨身に染みる。イチカさんと話ができて、話を聞いてもらって、少し気持ちが楽になった。僕には、ノゾミが帰ってくるのを待つ事しかできないし、そうなるように祈る他ない。ノゾミの為にできる事なら、なんでもしてあげたい。僕と同じ事を言ってくれる家族以外の人がいてくれる事が、とても頼もしくて嬉しい。

「だからね、ホップ君。君は、君達は、いつまでもノゾミちゃんの希望であって欲しい。目的や目標であり続けて欲しい」

「目的や目標?」

「そう。目的や目標は、生きる力になるの。まさに希望になるのよ。目的や目標を失った人は、酷く脆いの。心が折れる。だから、家族に会いたい、家族と一緒に暮らしたい。そういった存在であり続けてあげてね」

 目的はゴールで、目標は手段なのだと、イチカさんが教えてくれた。元気になって退院する為に、ご飯を沢山食べて、しっかり寝て、お医者さんの言う事を聞く。ノゾミが目的や目標を見失わないように、僕達家族は愛情を持って接し続ける。ノゾミに、家族から愛されている事を、実感し続けてもらいたい。心が折れない為に、諦めてしまわないように。

「イチカさん。どうも、ありがとう」

「どういたしまして。あれ? あの子がノゾミちゃんかな?」

 僕は、反射的にカバンの空いた口に鼻を突っ込んだ。確かに、ノゾミの匂いが近づいてきている。僕は、居ても立っても居られなくなって、カバンの中でグルグル回ろうとしたけど、さすがにこの空間は狭過ぎた。無意識の内に、尻尾がカバンの内側を叩いている。

「ホップ君。興奮するのも分かるけど、冷静になってね。ノゾミちゃんが、ビックリしちゃうよ?」

 ノゾミにみっともない姿を見せる訳にはいかないので、いきり立つ気持ちを強引に押し込める。まずはブン回っている尻尾を止めなくては。

「イチカさん、何から何まで、本当にありがとう。イチカさんに会えて良かったよ」

「あら? こんなに嬉しいご褒美はないね。ホップ君の気持ちは良く分かるの。だって、私とホップ君が見ている世界は、とても似ているから」

「え? それって、どういう事?」

「ホップ君の不安を少しでも、取り除いてあげたいの。だからね・・・」

 ノゾミが僕を呼ぶ声が聞こえる。もうすぐそこまで来ている。できる事なら、イチカさんをノゾミとノゾムに紹介してあげたい。

「黒い奴らは、ノゾミちゃんには、近づけさせないよ」

「え!? イチカさん!? どうして!?」

 混乱気味で叫ぶと、カバンの口が大きく開き、ノゾミの顔が見えた。ノゾミが僕をカバンから引っ張り出す。ノゾミが僕を抱きしめて、満面の笑みを見せてくれた。

「会いたかったよ! 会いに来てくれて嬉しいよ! ありがとお! 寂しかったよね? ごめんね」

 頬を寄せるノゾミの顔を舐める。僕も嬉しい、僕も会いたかった。でも、ごめんね、ノゾミ。混乱しているんだ。精一杯愛情表現を見せた後、周囲を見回した。しかし、僕達しかいない。僕達以外は、誰もいない。イチカさんの影も形もなかった。

 優しくて、おっとりした口調で、僕達の力になってくれると言っていたイチカさん。いい人なのは間違いないだろう。いや、カバンの中からでは、姿形は分からなかった。いい人? 人? 人かどうかも分からない。犬や猫や鳥だったのかもしれない。

 ただはっきりしている事は、匂いがなかったという事だ。

 奇妙な経験をしたけれど、嫌な気分は毛頭ない。イチカさんに出会えて良かった。イチカさんの言葉に嘘偽りはないだろう。きっと、ノゾミを守ってくれるはずだ。

 僕の不安も察してくれていた。黒い奴らーーー影人間の事だろう。

 僕は、ノゾミとスキンシップを取りながら、イチカさんの事が頭から離れないでいた。

 また、イチカさんに会いたいな。今度会えたら、顔を見て話したい。そして、僕の自慢の妹と弟を紹介したい。

 そんな夢に想いをはせながら、ノゾミの温もりを感じていると、心臓を鷲掴みにされたような緊張が走った。

 ママの匂いが近づいてきていた。

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