希望、小五。そのいち

 退屈な時間だと考えてしまう事が、後ろめたい。きっと、僕が感じている退屈な時間と、ノゾミが感じている退屈な時間では、意味合いが全くの別物なのだろう。ノゾミが欲しいのは、僕のソレだと思うと申し訳ない。

 僕が感じている退屈だとか、寂しいだとかは、ノゾミに比べればほんの些細なものだ。弱音を吐いてばかりもいられない。かと言って、僕に出来る事なんか、何一つない。肝心な時に力になってあげられない。僕はお兄ちゃんなのに、情けない。こんな無力感や虚無感を僕だけじゃなくて、ママもノゾムもパパも感じているに違いない。

 昨年の夏休み明け、体調を崩したノゾミは、入院した。一時的なものだと、ママは教えてくれたのだが、もう九か月ほどが経過していた。その間、一度だけ、ノゾミが帰ってきた。しかし、またすぐに体調を崩し、病院に逆戻りになってしまった。久し振りに会ったノゾミは、頬がこけていて目の下のクマが色濃く刻まれていた。それでも、懸命に笑顔を見せてくれる健気な妹に、心臓をギュッと鷲掴みにされたように感じた。

 ママから、ノゾミも僕に会いたがっていると聞かされた。入院中のノゾミの姿の画像を見せられたが、あまりよく分からなかった。僕の姿も画像に収めて、ノゾミに見せているそうだ。

 ノゾミの笑った顔が見たい。ノゾミの匂いを嗅ぎたい。ノゾミと一緒に、また散歩がしたい。一日でも早く、昔のような日常が戻ってきて欲しい。一日でも早く、元気になって帰ってきて欲しい。僕には、願う事しかできないんだ。

 休日の今日は、僕以外の家族がノゾミのお見舞いに行っている。僕は一人で、リビングのソファでふて寝をしている。退屈だとか、寂しいとか、考えてはいけない。まるで時間が止まったかのような部屋、一人で家族を待っていると、車が停車する音が聞こえた。みんなが帰ってきた。僕は、ソファから飛び降りて、玄関まで迎えに行った。

「ただいま、ホップ! いい子にしてた?」

 玄関扉を開いたママが、僕を抱き上げ頬を寄せてきた。極力明るく務めるようにと、ママ自身が自分に言い聞かせているようであった。その笑顔もその声の張りも、元気な頃のママとは違っている。悲しい事に、僕には分かってしまう。

分かってしまうんだよ、ママ。

 だけど、そんなママの気持ちに応えるように、僕はママの頬を沢山舐める。ママの悲しみとか辛い想いを拭ってあげられたらいいのに。

「希は、元気だったよ。良かったねえ? 良かったねえ?」

 僕の脇を抱えて持ち上げるママの手に、力がこもっている。僕の足が、ブラブラと宙で揺れている。掴まれている脇ではなく、胸の奥の方に痛みを覚えた。床に下ろされて、みんなを見上げる。僕と目が合うと、ママとパパは笑顔を見せてくれる。作り物だと分かってしまう僕が、酷く嫌になる。ノゾムに視線を向けると、彼は僕の存在に気が付いていないように、虚ろな目をしていた。僕は、ノゾムの足元に向かい、頬を寄せた。僕に気が付いたノゾムは、僕を持ち上げた。

「ホップの散歩行ってくるね」

 ノゾムは、ママからの返事を待たずに、玄関へと歩いていく。

「遅くならないように、気を付けてね」

「うん」

 ノゾムは、僕の首にリードを通して、外に出た。西日に照らされて、目が眩みそうになった。ノゾムを見上げると、彼はまるで光が見えていないように、ただ前を向いていた。

 以前は、ノゾミやママと散歩に行く事が多かった。ノゾミが入院してからは、ノゾムが率先して僕を外に連れ出してくれた。昔のように、遊びに夢中になって、僕を置き去りにする事もない。ノゾムはノゾムなりに、ノゾミの代わりを果たそうとしているように見えた。昔のように僕をいじめたり、悪さをする事も少なくなった。それは、単に成長したのか、少しでもママやパパに迷惑をかけないようにしているのかは、分からない。きっと、ノゾムにはノゾムの考えがあるのだろう。嬉しいような寂しいような複雑な気持ちだ。無理に背伸びをしていないだろうか? 色々と我慢している事も多いだろうけど、無理をしていないか心配だ。

 二宮さんの家を折れて、橋の横にある階段を下る。川沿いの広場を歩いていく。ノゾムは、今でも橋の下を秘密基地にしているのだろうか? 昔、ノゾムが家出をした時に、僕が基地を発見してしまった。秘密を暴いてしまったから、別の場所に基地を作っているのかもしれない。秘密じゃなくなったら、秘密基地ではないだろう。ノゾミは、色々と僕に話しかけてくれていたから、よく知っている。でも、ノゾムはあまり教えてくれないから、家以外で誰と何をしているのか、ほとんど知らない。もっと、ノゾムの事を教えて欲しいけど、伝える手段がないのがもどかしい。僕には、話してくれるのを待つ事しかできない。

「おーい! 望!」

 前方からの声に顔を上げると、木村さんちのタクミ君が大きく手を振っていた。反対の手には、柴犬のランクが繋がれている。ランクは、何やら大声を上げて、暴れていた。ノゾムとノゾミの同級生であるタクミ君もランクの散歩をしている。元気いっぱいのランクの相手をすると、身が持たないので腰が引けた。僕達の前で立ち止まったタクミ君は、ランクの首輪と繋がれているリードの根元掴んだ。ランクの行動範囲を極限まで狭めてくれた。ランクは不服そうだけど、僕はホッと胸を撫で下ろす。

 学校の事や漫画の話をしているノゾムとタクミ君に聞き耳を立てていた。すると、タクミ君が、思い出したように気まずそうに口を開いた。

「ところでさ、希の様子はどう? 良くなってきた?」

「どうだろうな? まあ、その内良くなるんじゃねえの?」

「なんだよそれ? 望も寂しいんじゃないのか?」

「は? そんな訳ねえよ。いない方が、家が広くて快適だよ」

 ノゾムは、大袈裟に笑い飛ばしている。タクミくんは、『ふーん』と興味なさそうであった。タクミ君も察しているのだろう。

「ま、早く退院できると良いな。五年になって、希と同じクラスになったからさ。クラスの奴等も心配してるって伝えといてくれよ」

「拓海が伝えに行けば良いじゃん? 病院に」

「じゃあ、一緒に行こうよ。一人じゃ気まずいって」

「ヤダよ。面倒臭い」

 ノゾムは顔を歪めて、追い払うように手を振っている。その後、一言二言かわし、タクミ君は歩いて行った。ランクは、心残りがありそうに、何度も振り返っていた。ノゾムは、暫くタクミ君の背中を見つめ、大きく溜息を吐いた。川の手前まで歩を進め、腰を下ろす。タクミ君と話していた時の顔から、急激に熱が下がった表情で川を眺めている。ノゾムの隣に腰を下ろして、僕は彼の横顔を眺めていた。いったい何を考えているのだろう。どうして、あんな嘘を付いたのだろう。必死に虚勢を張っていたように見えた。

「・・・今日さ、希の奴、また痩せてたんだよね。顔色も悪くてさ・・・まるで、まるで・・・」

 ノゾムは声を詰まらせ、唾を飲み込んだ。水面に反射した光が、ノゾムの瞳を捉え輝かせていた。

「あいつ、いつ治るのかな? 後何日我慢すれば、帰ってくるのかな? 僕に出来る事は、ないのかな?」

 独り言のように、ノゾムから漏れ出た声は、川に流されていくようだ。ノゾムは、鼻を啜り大きく息を吐いた。

「ママもパパも、家では希の話をしないんだよね。たぶん、僕を不安にさせない為なんだろうけど、なんだか、なんだかさ・・・もう希がいなくなったような気がして・・・まるで、希がいなくなった時の予行演習をしてるみたいで・・・」

 とうとう、ノゾムの瞳から涙が零れ落ちた。ノゾムは、僕を抱き上げ膝の上に置くと、背中に顔を埋めた。声が漏れないように、僕に顔を押し付ける。昔、ノゾムは、ママに叱られると、よくこうしていた。だけど、呑気に懐かしんでいられない。あの時とは、違うのだから。ノゾムの泣き声が、悲痛な叫びが、背中から伝わって、胸が締め付けられる。

「もし、希が帰って来なかったら、どうしよう」

 ノゾムは、溜まっていたものを吐き出すように、僕にしがみついている。

 僕は、ノゾムの想いを、ただジッと受け止める事しかできない。

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