希望、小二。そのさん

 リビングには、沈黙の幕が下りていた。ママとノゾミは、テーブルの椅子に向かい合って座っている。ノゾムが家を飛び出して、二時間ほどが経過していた。すると、玄関扉が開く音が聞こえ、ママとノゾミは、飛び上がるようにして玄関へと向かった。そして、カズユキの嬉しそうな顔を見て、落胆した。

「なんだ、カズユキか・・・」

 ママとノゾミは、深い溜息を吐きながら、リビングへと戻った。

「なんだって、なんだよ?」

 カズユキは、一気に表情を暗くして、玄関の鍵を閉めた。リビングに入ったカズユキは、椅子に腰かけ肩を落とすママを見て、首を捻った。

「どうしたの? お通夜みたいだな?」

「縁起でもない事言わないで!」

 勢いよく立ち上がったママに、カズユキは目を丸くした。ママが座っていた椅子が後ろに倒れて、フローリングの床に激しく打ち付けた。僕は、その音に驚いて、ソファまで逃げた。ママの後ろに居なくてよかった。カズユキが、空いている椅子に座り、ママは状況を説明した。

 ノゾムが悪さをし、説教をした。ノゾムは、家を飛び出してしまった。最初の一時間は、お腹が空いたら勝手に帰ってくると思っていた。しかし、外が真っ暗になっても、ノゾムは帰ってこない。そこから、ご近所さんに電話をかけたり、ノゾムの友人宅に電話をかけたけれど、誰もノゾムの事は知らないという返答であった。そろそろ、警察に連絡をしようかと悩んでいた時に、カズユキが帰ってきた。ママは、テーブルに肘をついて、頭を抱えている。

「ああ、私のせいだ。イライラして、きつく当たってしまった。言いすぎちゃったかもしれない。ノゾムになにかあったら、私は・・・」

 涙ぐむママに対して、カズユキが『ストップ』と手のひらを見せた。

「取り合えず、反省は後回しにしよう。僕は、紗栄子が悪いとは、思わない。まずは、ノゾムを見つけてから、皆で話し合おう。家族なんだから。僕が探しに行くから、二人は家で待機してて。一通り探し回って、もし見つからなかったら、僕が警察に連絡する。いいね?」

 ママとノゾミが、そろって頷いた時、僕は大きな目を丸くしていた。カズユキって、こんなにも頼もしかったっけ? 疲れ切った様子のママが心配で、僕はママの足元へと歩いた。カズユキが、玄関へと向かっていく。

「ホップ!」

 突然、カズユキに呼ばれ、僕は玄関に走っていく。玄関に着くと、カズユキは僕のリードを持っていた。カズユキが僕の首にリードをつけた。そして、僕の顔を両手で挟むようにして掴み、顔を寄せてきた。

「ホップ。ノゾムが居なくなったんだ。力を貸しておくれ。頼んだよお兄ちゃん」

 カズユキの真剣な眼差しが、僕の大きな目に突き刺さる。

「ホップも連れて行くの?」

 遅れて玄関にやってきたノゾミが、驚いた顔をしている。

「うん。ノゾミやママがいつも言ってるじゃないか? 『ホップは、天才犬で頼もしいお兄ちゃんだって』。二人の事を僕は信じるよ」

 カズユキは優しい笑みを浮かべ、ノゾミの頭を優しく撫でた。カズユキは、勢いよく玄関の扉を開けた。

 僕は生まれて初めて、カズユキがカッコイイと思った。全身に力がみなぎってくる感覚がする。頼られる事が嬉しい。家族内序列最下位のくせに生意気な。とは、もはや思うまい。僕は、パパと力を合わせて、弟を探しにいく。

 家の前の道路に着き、僕はご自慢の団子鼻をスンスンいわせて、ノゾムの匂いを探す。嗅覚に関しては、人間よりも優れていると自負している。邪魔な匂いを嗅ぎ分けて、鼻に意識を集中している。微かにノゾムの匂いはするけれど、明確には分からない。誰か、外にいてくれたら、僕の人脈を活用したいものだ。正確には、犬脈か。僕が道路の匂いを嗅いでいると、突然背後からカズユキの声がした。

「いやー正直、驚いてるよ。ぶっちゃけ、半信半疑だったんだけどね。本当に状況を理解してるみたいだ」

 僕は、顔を上げてカズユキを見た後、また匂いを嗅ぎだした。

「あ、ごめんごめん。どうか続けて下さい」

 カズユキは、辺りをキョロキョロしながら、僕についてくる。すると、前方の道路の真ん中に車が止まっている。二つのライトが目のように見えて、こちらを睨んでいるように見えた。どうして、あんな所で止まっているのか、僕は顔を上げて目を凝らした。周囲が真っ暗で、よく見えない。僕が首を傾げていると、カズユキが足早に車に接近した。すると、黒い影がピュッと通り過ぎた。僕はドキッとしたけど、影の正体は野良猫のクロであった。闇夜に同化して姿を消している様は、やはり不気味であった。つまり、クロは車が接近しているにも関わらず、堂々と道路の真ん中でふんぞり返っていたようだ。ふてぶてしいと言うか、図々しいと言うか。甘やかしている結果だ。僕達が車を通り過ぎようとした時、車の窓が下がった。

「こんばんは、相羽さん。助かりました。黒猫がちっともどいてくれないから、困っていたんですよ」

「確かに困りものですね。ところで、松本さん。ウチのノゾムを見かけませんでしたか?」

「いいえ、見てませんが、どうしたんです?」

「いやあ、それが遅くなったのに帰ってこなくて、ホップと探しているんですよ」

 お隣の松本さんとパパが会話をしている。松本さんは、シュートのご主人だ。シュートパパは、自分も探すと言ってくれたのだが、パパは丁重にお断りしていた。さすがにご近所に迷惑をかける訳にはいかないと、判断したのだろう。パパは丁寧に挨拶をして、捜索を再開した。僕が、地面に鼻を寄せて、歩いていると、また上から声がかけられた。

「おいおい、どうしたんだ? そんなに顔を道路に寄せていたら、潰れた鼻がなくなっちゃうぜ?」

 嫌な奴の声に僕は無視して、歩き続ける。この声は、野良猫のクロだ。

「おい! 無視するなよ。潰れっ鼻!」

「誰が潰れっ鼻だ!?」

「お、ようやく顔上げたな。どうしたんだ? 散歩って雰囲気じゃないな?」

 十字路の角にある二宮さんの家のフェンスの上に、クロは器用に乗っている。コーラとサイダーが居たら、間違いなく吠えられていただろう。だけど、こんな時間に、外にいるとも思えない。

「なんだよ、なにがあったんだよ? 俺様の力が役立つかもしれないぜ?」

 こんな奴が役に立つとも思えない。先ほどの光景を見ていたら、なおさらだ。松本さんの車が近づいているにも関わらず、道を譲ろうともしない根性悪だ。でも、万が一って事もあるし、背に腹は代えられない。

「僕の弟のノゾムが、帰ってこないんだ。ノゾムの居場所を知らないか?」

「お前、人間の事をまだ弟って言っているのか? 傑作だな! たかがペットの分際で厚かましい奴だ! 犬畜生が背伸びして、見ているこっちが恥ずかしくなるぜ!」

 やっぱりこんな奴に、話しかけるんじゃなかった。クロは、小馬鹿にするように、手を舐めて顔を拭いている。

「うるさい! お前には関係ないだろ!」

 僕は、クロに怒鳴り声を上げて、道路に鼻を寄せた。今はこんな奴の相手をしている暇はない。僕は足早に、この場を去ろうとした。

「影人間に狙われてなかったらいいけどな?」

 クロの不吉な発言に、僕は反射的に顔を上げた。今すぐフェンスの上から引きずり下ろして、その喉元に噛みついてやりたい。僕はクロを睨みつけるが、彼は何食わぬ顔で僕を見下ろしている。ダメだ、早くノゾムを探さないと。僕は、背中にクロの視線を感じながら、鼻に意識を集中する。

「ああ、そう言えば、橋の下に影人間が集まっていたっけなあ? 獲物でも見つけたのかなあ?」

「え?」

 僕が顔を上げると、クロはフェンスを蹴って、二宮さんちの庭に消えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る