銀色の狼。

御手洗孝

第1話

「何をしている! 撃て!」

 崩れ落ちたコンクリート。

 まさに廃墟という言葉がふさわしい、生き物が生活していた気配がまるでないその場所。

 地の底から空気を激動させて爆音が木霊し、土煙が視界をさえぎっていた。そしてその煙の中、揺れる黒い人影の、誰が叫んだでもない声が響き渡る。

「それは人じゃない! 迷うな、撃て!」

 叫び声は爆音の中でも透明に、そこにいる全ての人に聞こえるほど響き渡っていった。

 しかし、一番言葉に従わなければならない男は怯え震える銃口を、かつては人であった、既に人ではなくなってしまっている獣に向けて微動だに出来ない。口から出るのは荒い息。体を動かすどころか、眉毛すら動かすことは出来ず動いているのは風になびく髪の毛のみ。しかし、動かないからと言って標的が待ってくれるわけではない。男の頭上から鋭く、鈍く輝く黄ばんだ獣の牙が届こうとしていた。その時、女が男を押しのけその場に立ちはだかり二発、獣の胸と頭を打ち抜く。

 断末魔の叫び声を上げながら獣は撃ち抜かれた部分から石化し、脆く地面に崩れ落ちた。

 小さく砕けた石榑は端から更に細かい砂へと変わっていき、その場に小さな砂山を作る。砂山はさらさらと光り輝き美しく今にも飛んで行ってしまいそうに見えた。しかし、その見た目とは裏腹に己の存在を主張するように風に飛ばされる事なくそこにあり、女は獣の残骸を眺めてから地面にへたり込んだ男に視線をうつして見下ろす。

 男はようやく口を小さく動かして、声にはならない言葉を繰り返していた。女は男の口元を見つめて呟く。

「貴様、死にたいのか? 死を覚悟していたというのであれば余計なことをしてしまったことになるが」

「死にたいなど、思っていない……」

「そうなのか? だったら引き金を引くことだ。迷えば自分が死ぬ」

「それ位わかっている! だが、やはり、人を殺すのは……」

「あれは……、人ではない。人であった物だ。今日の奴は特にすっかり浸食されて見た目も変化し人としての原形を留めてはいなかった。まれに似た姿のものもあるが殆どが人と判断するのも難しい物ばかりだ」

「だが! 人だったものじゃないか。皆知っている、好き好んであの姿になるものなどいないことを」

「感情論を述べたいのなら己の世界だけでやることだ。この現実の中で己が生きるためにはどうするべきかを考えなければ生き抜く事はできない。お前は傭兵上りではないから分からないのだろうが、この仕事のほうが傭兵よりもずっとましだぞ。同じ争いだが人の形をした人間そのものを殺すよりもずっと気が楽な仕事なのだ。それすら割り切ることが出来ず、仕事が出来ないならばこの組織を辞めることを勧める。そうでなければ次に死ぬのはお前自身。いつでも誰かが守ってくれると思うんじゃない」

 うなだれたままの男に冷たく言い放った女は男を残してその場を去った。

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