孤高の牧場主、孤軍奮闘する

「いたぞ! あっちだ!」


「ほ~ら、鬼さんこちら、手の鳴る方へ~!」


 イナホは一人、森の中を走っていた。

 田舎を駆けていた頃を思い出して縦横無尽に動き回り、多数の兵を翻弄する。


「報償は俺のもんだ! 捕まえ――」


 兵の一人の手がイナホに届きそうになった瞬間、足元に仕掛けられていたブービートラップが発動した。


「ぐぁッ!?」


「ざーんねん」


 森に生息する植物などを使った天然素材の罠である。

 木のしなり利用した単純なもので、足を引っ掛けてしまうと自動的に殴打される。

 威力は割とえげつないが、上手く死なないように調整済みだ。


「あ、足元に気を付けろ! 罠があるぞ!」


「これが足元だけじゃないんだよね~」


 地面だけを見ていた兵は、頭に細いツタが当たるのを感じた。

 ツタは張力に耐えられずに弾けて、繋がっていた大きな丸太を兵へ送り出した。


「あがァっ!?」


 勢いが付いた大きな丸太の衝突に耐えられず、兵は面白いように吹っ飛んだ。

 他の兵たちも、落とし穴、痺れ矢と様々なブービートラップで戦闘不能になっていく。


「な、何なんだこの森は!? 地獄か!?」


「あれ~? どうしたのお兄さんたち? 獣人相手なら楽勝みたいなムードだったよね~? あ、でも、あたしみたいな小さな女の子にも勝てないんじゃ無理か~」


 再びイナホは挑発をして、兵から適度に距離を取った。


「ど、どうなってやがるんだ……。こんな罠、見たことがねぇぞ……」


 それはイナホが持ち込んだ技術だった。

 地球の発達したブービートラップの仕組みを獣人たちに教えて、森中に仕掛けてもらったのだ。

 少ない戦力でどうにかするには、こうするしか選択肢がなかったともいえる。


(もう切り札の〝アレ〟を使えるくらいの魔力は残っていない……気を付けなきゃ……)


 現在、イナホへの魔力供給は止まっている。

 身体を維持するだけで精一杯なので、スキルや戦闘などは極力避けなければいけない。

 そのためにイナホが囮となって兵を誘導して、仕掛けてあるブービートラップを使い、兵を減らしていく。

 これで領主側が割に合わないと引き下がってくれれば勝ちだ。


 非武装の獣人たちでは接敵したらひとたまりもないので、彼らには罠を仕掛けながら村まで後退してもらっている。

 リューナは、未だ意識の戻らないライトの護衛だ。

 つまり、敵兵に身を晒しているのはイナホ一人。

 ――なのだが、みんなから背中を押されているような気がしていた。


「ひとりぼっちだけど、ひとりぼっちじゃない……か。こういうのも良いかもね」


 森のブービートラップに慣れていない兵たちが面白いように減っていくのを見て、イナホは楽しげに笑っていた。

 だが――


「罠なんて鬱陶しいわねぇ……」


 強引に突破してくる召喚士――ビーチェがいた。


「蹴散らしておやりなさい、カースドシャドウ」


 ビーチェの呪いに特化した召喚獣が、呪いをまき散らして植物を枯れさせていく。

 植物由来のブービートラップは機能しなくなっていた。


「さぁ、これで進めるでしょう」


「し、しかし……もう罠がないという確証もなく、兵たちも怯えていて……」


「あら? ザコ兵ちゃんも呪いを浴びたいのかしら?」


「ひっ」


 黒い影のような召喚獣は頼もしいのと同時に、ここから逃げたら殺されるという恐ろしさもあった。


「う、うああああああ!! 死ねぇーッ!」


 兵たちは半狂乱になりつつ、一直線でイナホに斬りかかっていく。


「むぅ~、仕掛けた罠と相性が悪すぎるでしょ……!」


 イナホはオノを取りだして、斬撃を受け止めながら考えた。

 このままカースドシャドウを放置して逃げたら、村までのブービートラップがすべてダメになってしまう。

 なんとかして、アレを倒さなければならない。

 しかし、次々と襲いかかってくる兵たちもいるのだ。

 こうしている間にも、残り少ない魔力がどんどん減っていく。


「玉砕覚悟でやるしかないか……!」


 イナホは覚悟を決めて、カースドシャドウに突っ込んでいった。

 これさえ倒せば、再召喚まで時間がかかるだろうし、ブービートラップが潰される心配もなくなる。


「し、死ぬ気……!? 敵の中を一直線で向かってくるなんて――」


「誰かが死ぬのは怖いけど、自分が誰かのために死ぬのってあんまり怖くないね!」


 イナホは弾丸のように飛び込み、オノでカースドシャドウの首を斬り落として消滅させた。


「やった……」


 そのあとは全方向から兵たちが群がってきた。

 自ら、敵に包囲されることもいとわない命を懸けた一撃だった。


「さぁ、殺すのなら殺せばいいよ」


 観念したイナホだったが、ビーチェは待ての合図を出した。


「ふーん……ザコライトより根性あるじゃないの。面白いわ……この子は殺さないでアタシの奴隷にでもしようかしら」


 自分に命がけで向かってくる相手に対して、ビーチェは珍しく感銘を受けていた。

 奴隷にするというのは、歪んでいるが、それなりの敬意の証なのだ。


「奴隷か……」


「あら、不満?」


 ビーチェの機嫌を損ねたら殺されるかも知れなかったが、イナホの普段は見せない気高さが許しはしなかった。


「あたしは、自分で選んだ相手しかオーナーに選ばない!」


 そのイナホの声と同時に、村の方角から獣人たちが駆け付けてきた。

 その数、三十人以上はいるだろう。


「イナホさん! 助太刀に来ました!」


「み、みんな……どうして……」


「恩人のピンチとなったら、たとえ種族が違っても命を懸けて助けます! それに人を助けることに理由はいりません! イナホさんや、ライトさんのように!」


 ラ・トビは自慢の脚で兵を蹴り飛ばした。


 それをキッカケにして、獣人たちが雄叫びを上げながら戦い始める。


「うぉぉー! 獣人の誇りを見せろぉー!」


 ある者はツノを前にして突進して、ある者は人間以上のパンチ力で兵を吹き飛ばしていく。

 最初にブービートラップで兵の数を減らしていたのと、撹乱の効果が出たのか、戦局は獣人に有利だった。

 乱戦の中、ビーチェは後ずさっていた。


「な、なんなのよコレ……もっと楽勝だと思ってたのに……。兵を撤退させ――」


 そのとき、ビーチェの懐にあった〝黒い召喚石〟が勝手に浮き上がってきた。

 まるで『撤退は許さない』というように不気味に輝く。


「……え? ぎゃああぁぁぁああッ!!」


 ビーチェが激痛で絶叫していた。

 強制実行された召喚のために魔力を限界まで吸い取られ、衰弱死寸前になってしまった。

 息も絶え絶えで横たわり、その召喚されてしまった――黒い靄をまとわりつかせる伝説の召喚獣を見上げる。


「う、嘘……でしょ……。アタシが念のために渡された使い捨ての〝召喚石〟なのに……。どうしてコレが……ここにいるのよ!?」


『グォォォオオオオ!!』


 木々より高い巨躯、ギョロリとした眼球、喰らい砕くために発達した顎、すべてに畏怖されし強大なる王の竜――ランク10召喚獣〝キングレックス〟が立っていた。


「ザコライトから奪って、ブルーノが持ってるはずでしょッ!?」


 予想外の事態にビーチェは叫んでいた。

 声に反応したのか、キングレックスが振り向いて見下ろしてきた。

 そのままズシンズシンと近付いてくる。


「ひっ!? と、止まれ! 止まりなさいよ! あなたを喚び出したのはアタシなのよ!? 命令を――」


 衰弱して動けないビーチェの足を、キングレックスが器用に踏み付けた。

 ベギボギと足の骨が折れる音が聞こえた。


「――ッ!!」


 声にならない悲鳴をあげ、ビーチェはのたうち回った。

 キングレックスは『殺さないでおいてやるから、逃げずに静かにしてろ』とでも言わんばかりに鼻息を噴き出して、今度はイナホの方へ振り向いた。


「負け確イベントの強すぎるボスキャラみたいじゃない……」


 一目見ただけで相手の強さがわかってしまった。

 恐竜のような外見に、悪魔が宿ったような異常な魔力。

 イナホは距離を取るために、後ろへ跳ぼうとしたが――


『グォォオオオ!!』


 巨体に見合わず、一瞬で距離を詰めてきた。

 その速度は全力のリューナよりも速いだろう。

 咄嗟に斧で反撃するも、異常なまでに硬い皮膚で弾かれてしまう。


「そん……なっ!?」


 首を低くした前傾姿勢のキングレックスは、間近でイナホと目を合わせてきた。

 目だけでニヤリと嘲笑うかのような知能が垣間見える。

 次の瞬間、キングレックスの巨大な顎がバグンッと閉じられた。


「ぐぅぅッ!?」


 地面に転がるイナホの左肩が大きく噛み千切られていた。

 辛うじて皮一枚で左腕が繋がっているような状態だ。

 トレードマークのオーバーオールも破れて赤く染まっている。


「イナホさん!? 今、助けます!」


「みんな……来ないで!!」


 キングレックスはイナホの側でジッとしていた。

 まるで、餌に釣られる獣人を待つかのように。

 イナホは感じていた。

 このキングレックスは状況を楽しんでいると。


 獣人を殺すだけなら、その瞬発力を使えば一瞬で食い散らかせるだろう。

 しかし、コイツは〝見たい〟のだ。

 恩人のイナホを助けようとして、助けられない絶望の表情を浮かべる獣人たちを。


「逃げて……」


「で、でも――」


「いいから逃げて! 獣人風情がどうにかなる相手じゃないの! この人間様のあたしだって勝てないんだから!」


「そ、そんな言い方……」


「ジャマなの! 早くどっかへ行っちゃいなさいよ! 実はあたし、人間も獣人も動物も、全部大っ嫌いなの……! ダメなあんたたちがいたから、神様のような良い気分で助けただけなのよ!」


 嘘だった。

 大好きだった。

 生きていてほしい。


「だから、早く逃げなさいよ……」


 段々と弱々しくなっていくイナホの声に、獣人たちは察していた。

 すでに致命傷でもう長くは持たないのだろうと。


「イナホさん、あなたのことは一生忘れません……」


「忘れちゃった方がいいよ……。ほら、早く行くの……」


 獣人たちは涙を拭ったあと、森の中へ去って行った。

 キングレックスはつまらなさそうな仕草をしたあと、それを追おうとするが――


「待ちな。アンタの相手は、このイナホ・マルだ……! 正真正銘、最後の切り札を見せてあげる……!」


 イナホのスキルは農耕関係――それとゴールドによってアイテムを購入するというモノがある。

 ただ単純にゴールドを注ぎ込めば注ぎ込むほど、強力なアイテムが手に入る。

 今まで稼いだ分のゴールドをすべて注ぎ込んで、あるアイテムを選択した。

 それはゲームのクリア後の隠しイベントで入手できるアイテム。

 精霊の住む湖に斧を三百回捨てて、ひたすら真実のみを答えた者だけが得られる最強の精神依存神器。


「来い……湖の精霊に祝福されし、正直者にだけ許された幸運の刃――〝誠心の戦斧ゴールデンアックス〟!」


 出現した黄金の斧を手に、イナホは消えかかっている身体で立ち上がった。

 強力なアイテムを購入するという行為自体が、魔力を消費するのだ。

 その魔力の供給源を、自分の臓腑を切り崩して支払った。


「身体の中身がスカスカになっちゃったかな……ふふ、情けない。嘘つきのあたしに似合わない武器だからかもね……」


 イナホは口から血を吐きながら、辛うじて動く右手に〝誠心の戦斧〟を持ち、フラフラとしたフォームで――投擲した。

 キングレックスはつまらなさそうにヒョイッと避ける。


「当たらない……よね! でも、この〝誠心の戦斧〟には【究極アルティマスキル】がある!」


 イナホは武器の真の力を解放した。

 そのために魔力も内臓も尽きていて払えるはずもない代償――イナホは〝魂〟で支払った。

 それもただの〝魂〟ではなく、大切な思い出を染み込ませた極上の一品だ。

 儚いほどに短い時間だが、仲良くなった獣人たち、同じ幻想英雄のリューナ、それと運命の人だと思えたライトの記憶。

 それらがガラスのように砕け散った。

 さようなら……あたしの一番大切なモノ、と呟く。


『……ッ!?』


 避けられたはずの〝誠心の戦斧〟が、なぜかキングレックスに刺さっていた。

 斧が意思を持って瞬間移動したかのように。


「たとえ嘘のような状況でも、100%信じることができれば因果律を超えて運命を引き寄せられる神器! だから、あたしは嘘でも信じ切った! 絶対に当たって――お前を真っ二つにすると!」


 キングレックスに刺さった〝誠心の戦斧〟は、相手の防御力を無視して、強制的に身体を引き裂いた。

 頭部から股下まで、文字通り真っ二つに。


「どうだ……見たか……。人間不信が滅多に見せない信じ抜く力……あの人のために……アレ……誰……だったっけ……」


 イナホは満足げな顔をして仰向けに倒れた。

 キングレックスもそのまま倒れるかと思いきや――


「え……?」


『グルウォアアアアアァァァアアア!!』


 その真っ二つだった身体は融合して、何事もなかったかのように咆哮をあげていた。


「嘘……でしょ……。そんな召喚獣ありえない……。まるでこの世界の存在じゃないみたいに……」


 よく見るとキングレックスは、接合部に正方形のキューブのようなカサブタがびっしりとできており、それで無理やりくっついているようだ。

 流血は止まらず、隙間から噴き出し続けている。

 その異常な状態で、逃げた獣人たちを追いかけようとしていた。


「や、やめて……まだ、あたしがここにいるでしょ……あたしから殺しなさいよ……」


 もうイナホは指一本動かすこともできない。

 絶望の表情でキングレックスを見送るしかないのだ。

 その数瞬後には、巨大な顎で咀嚼される〝名も知らぬ大切な人々〟がいるのだろう。

 結局、命を懸けても何もできずに――また誰かを死なせてしまう。

 無力感、絶望感、それらがイナホの心を闇に染めていく。

 魂が濁り、身体から黒い靄が出始めた。

 理不尽な世界を何もかも呪いたくなる。


 そのとき――


『グォォオオン!?』


 森の奥へ消えたはずのキングレックスが、吹き飛ばされて一瞬で戻ってきた。


「よくぞ耐えました……イナホ……!」


「起きるのが遅くなった、ごめん」


「ふふ……あたしは役目を果たせたかな……〝名も知らオーぬ召喚者ナー〟」


 現れたリューナとライトの姿に、イナホは優しい笑顔を見せた。

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