18 三つの質問(9)

 



 ――入寮式の日、女子のトンネル通過儀式の間、どこにいましたか。




 “三つの質問”の段になって、一樹かずきはとたんにそれまでの勢いを失くした。凛々しい眉をわずかにひそめ、ややあって、やっと声をおしだす。



「……池にいた」



「池?」

 塔子に彼はむっつりとうなずく。

「そう。……いま話した、鷺沢池さぎさわいけにいた」

「え、そうなんだ」

 良司がつぶやき、塔子と目を見合わせる。



 意外な返答だった。一樹はにぎやかなイベントが好きそうだと思っていた。だから、てっきり入寮式に参加しているものと予想していたのだ。


「そんなところで何をしていたんです? 真っ暗でしょう」

 良司が首をひねる。形式的な質問でなく、純粋な興味を持って、思わず尋ねたといった風情だった。


「何をするって……ねえ」

 一樹の反応はさらに鈍った。目をそらし、気まずげに渋面をつくる。

 しばしの逡巡があった。やがて、はあ、と大きなため息をついて、彼はこちらに向き直る。



「……彼女と池にいたんだ」



 ぶっきらぼうな口調。

「何をしてたか、知りたい?」

 塔子はみるみるうちに赤面した。


「あ、結構です」

 すぐさま良司が固辞し、榊葉が思いきり噴き出す。

「なんだよ一樹、ずるいな。おれたちが式の運営に駆けずり回っていたときに、よろしくやってたわけ?」

 うるさいな、と一樹は唇を尖らす。

「いいんだよ。入寮式なんて、おれの出る幕じゃないんだから。何してたって勝手だろ」

「そうだけども」

 くっくと榊葉が笑い続けるので、一樹は彼の肩を軽く小突いた。



「――と、いうことは」

 さざめく場のなかで、柊一が冷静な声をあげた。

「高橋先輩のアリバイの証人は、その”彼女”ですね。だれですか?」


 ずばりと訊く。


 一樹はぽかんと口を開けた。

「知ってどうするの」

「もちろん」。柊一がちらと塔子に目をやる。

「アリバイのんです」

「それは……おれの彼女に、話を聞きに行くってこと? 入寮式の夜、何をしていたかって?」

 柊一が澄ましてうなずくと、一樹は頭を抱えた。

「うわあ、勘弁して。言わない。ぜったい言わない。彼女に関してはノーコメントで」

 柊一が眉を吊り上げる。と同時に榊葉がすばやく身を乗り出した。



「三年一組、相沢あいざわ菜保なほ



 一樹が飛び上がる。

「ちょっと! 言うなって!」

「そうは言ってもねえ」

 心底楽しそうに榊葉がにやつく。

「だって周知の事実じゃない。隠しようがないでしょ」

「榊葉!」

「おれと志津香のこともずけずけ話したくせに。自業自得だよ」

「くっそ」

 両手で後ろ頭をがりがりと掻く。本気でうろたえる様に、良司が噴き出し、史信と壮平が遠慮なく笑った。


「頼む」。と一樹が手を合わせる。

「おれは潔白だ。信じてくれ。菜保かのじょには言わないで」

「それ、よけい怪しいでしょ」

 指さして笑う榊葉の腕を、一樹がべちりと叩く。


「怪しいですね」と柊一がもっともらしく言い、良司もそれにならって重々しくうなずいた。

「うん、怪しい。ますます確認しなきゃならないなあ。ね、とーこさん」

 良司が笑いをこらえてこちらを見る。塔子はまばたきし、そしてすぐにはにかんだ。


「――うん」


「篠崎さんまで!」

 一樹が大仰に落胆の声をあげ、さらに座があかるく賑わう。


 ――そうは言っても。

 たぶん一樹の言うとおりなのだろう。と塔子は微笑みながら思った。

 なにやらずいぶんアリバイに信憑性がある。柊一や良司もそう思うからこそ、逆にからかっているのだろう。





 彼はきっと――獅子じゃない。







【8】高橋たかはし一樹かずき → 榊葉さかきば直哉なおや






 他己紹介もいよいよ最後となり、榊葉の番となった。が、紹介する側の一樹は思いきりふてくされていた。



「みなさんご存じの榊葉直哉」

 憎たらしい口ぶり。

「いやみなやつ。以上」


「それはないだろう」

 榊葉が苦笑し、みなが笑う。

「だってそれしか思い浮かばないんだもの」

 一樹がつんとする。

「ほんと仲が良いよね、あなたたち」

 志津香が頬を緩めた。


「でもさ、一樹。さすがに一言で済ますのはよくないんじゃないの? このゲームの主旨を考えてさ、もう少し何かないのか?」

 壮平に快活に訊かれ、彼は言葉に詰まった。すこしためらい、何を思ったか塔子の顔を見る。そうして見つめたまま、じっと考え込みはじめた。


 無言。その間、二十秒ほど。


 榊葉が苦笑しきりで口を開く。

「ええと、一樹」

「待って考える」

 頑なな口調。真剣そのものだ。

「そう」。榊葉は意外そうに眉をあげ、そして一樹と同じく塔子に目を向けた。


「じゃあ篠崎さん。一樹が考えているあいだに、三つの質問に答えようか」

 にっこりと笑いかける。身を縮めながら、塔子はうなずいた。




 とはいえ、榊葉のアリバイは疑いようがないのだ。

 それを十分にわかっている榊葉は、みじかく、淡々と質問に答えていく。




 ――入寮式の日、女子のトンネル通過儀式の間、どこにいましたか。



「トンネルの出口にいた」



 ――そこで何をしていましたか。



「入寮式の祭司役をしていた。トンネルから出てきた新入生の子達に、誓約を結ばせた。その儀式を執り行っていた」



 ――あなたがそうしていたことを証明できるひとはいますか。



「その場にいた全員。何よりも――篠崎さん本人が証人だ。――ね?」





「そう、ですね」

 首肯する。

 トンネルの出口で榊葉は待ちかまえていた。だから彼がトンネルの中にひそんで、塔子と接触することはまず不可能なのだ。




 ――榊葉は、もちろん獅子ではない。




「あ、そうか」

 この段になって、一樹がぽんと手を叩いた。

「榊葉が獅子じゃないってこと、明白だもんな」

「……それがどうしたの」

「なら紹介しやすいってこと」

 不意をつかれた榊葉に、不敵にわらう。そして一樹は塔子にまた向き直った。



「篠崎さん。榊葉はまぎれもなく――“表”の王だ。右向きの獅子だ」



 塔子はぎょっとした。

 その場にいる全員がハッと息を呑む。

「でも、榊葉は“裏”の王じゃない。――つまり、獅子じゃない。こんなに偉そうで王様っぽいのにさ。ね、どうしてだと思う?」


 一樹は核心に触れている。何の前置きもなく、一足飛びに。


「一樹」

 榊葉がいつになく逸ったように口を出す。しかし一樹は片手をあげ、簡単にいなした。

「これ以上は言わないよ」

 塔子の揺れる瞳に、一樹はニッと口の端をあげてみせる。



「彼は“表”であって、“裏”ではない。“裏”になることはあり得ない――そういうやつなんだ。そういう性分なんだ。榊葉ってやつは」



「以上、紹介終わり」。と、彼は清々しい顔つきでクッキーを手に取った。



 沈黙が降りる。



 一樹を取り巻く面々は、あ然としてしばらくものも言えなかった。

 良司が眉根を寄せて塔子を見る。柊一もむっつりと押し黙り、三人は煙に巻かれた気分でいる。

 上級生の反応はさまざまで、彼方が苦笑をこぼし、志津香と千歳は目を見交わしあう。史信はじっと考え込み、壮平は何かわざとらしく、紅茶を口に運んだ。

 数瞬のあと、声をだしたのは榊葉だった。

 くすくすと笑いだす。



「なんだよ」と一樹。

「いや、含蓄がんちくある言葉だなと思って。一樹にしてはめずらしく」

 ふん、と鼻で笑って、一樹は二枚目のクッキーを口に押し込んだ。







 *




 全員の他己紹介が終わった。


 風が止んでいる。微かな虫の声が聞こえ、夜は暗く静かに沈んでいた。午後九時を過ぎた頃合いだった。

 榊葉は塔子、良司、柊一を見回し、そして微笑んだ。


「というわけで。館の住人とその友人の紹介でした。あらためて、これからどうぞよろしく」

 全員が「よろしく」と小さく頭をさげる。


「今夜の茶会、有益なものになったかな」

 尋ねられ、塔子は榊葉に二回うなずいた。最初はおずおずと、二回目はしっかりと。獅子の候補者がずいぶん絞られたのだ。これ以上ない収穫だろう。

 ならよかった、と彼は破顔する。


「これからは自由に、みんなにどんどん質問して、おおいに捜査してくれ。そのための協力は、一同惜しまないから。夏至までに獅子を見つけ出して――その系譜を継ぐんだ」


 背すじがヒヤリとして、塔子はわずかに身を引いた。


 何も言えなかった。代わりにうなずこうとするが、それもまた中途半端な動作になる。



 課せられた将来をあらためて示されると、たじろがないではいられない。獅子を見つけ出したその先。それこそが、塔子にとっては大問題なのだ。



 ブランケットの上に置いた手を強く握りこむ。

 獅子を見出す日――その日が来るのはきっと遠くない。刻一刻と近づいてくるだろう。

 やらなくてはいけない――。頭ではわかっている。




 でもまだ何も、覚悟はできていないのだ。







 撤収はあっけないほど早かった。さざめくように談笑しながら、皆で茶菓子や紅茶を片付け、ブランケットを倉庫に押し込み、ラグを巻きとって仕舞う。

 あとはランタンを外すばかりになると、全員が名残惜しく銀杏の木を見あげた。

 まだ青い銀杏をやわらかに照らしたランタンの光。夜の底に、星のように灯るあたたかな光。


 枝からそっと外して、ぱちり、ぱちりと明かりを切る。

 夜闇の帳がすべり落ちる。


 ぱちり。ぱちり。ぱちり。





 暗転。





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