12 三つの質問(3)

 


 塔子は石のように固まった。

 言葉の衝撃が大きすぎて、身動きがとれない。

 良司が気恥ずかしそうに目をそらす。



 そうなんだよなあ、と壮平が声をあげる。

「篠崎さんって、最近テニス部の子と一緒にいるでしょ。あのポニーテールの……」

「……織部おりべですよね。織部おりべ紗也加さやか

 硬直する塔子を見やり、代わりに良司が返す。

 壮平はにこにことうなずいた。「そう、織部さん」。


「あの子、人気だよな。一年生のなかで一番かわいいって評判だろ。元気で明るいし」

 一樹が割って入る。壮平は鷹揚おうようにうなずきを返した。

「そうなんだよ。柔道部うちのやつらも色めき立っててさ。――そして最近、そんな美少女のとなりに、もうひとり美少女が現れたって噂になっててな」


 ――ああ。


 一同が納得したように、大きくあいづちを打った。


「というわけで。篠崎さん、ひそかに有名人なんだよね」

 壮平がにこやかにこちらを向く。

 全員がいっせいに注目し、塔子は顔から火が噴きそうな思いをした。

「……じょ、冗談ですよね。そんなはずないです、ぜったい……」

 あわてて首をふる。


 かつがれているとしか思えない。


 志津香がくすりとわらったので、塔子の身体はさらに熱くなった。正真正銘の美人の前で、こんな話をされるなんて。物笑いの種じゃないか。


「冗談じゃないさ」

 榊葉が紅茶をすすり、そして顔をあげた。落ち着いた顔つきで、ふわりとわらう。

「篠崎さんの数年後を見てみたいものだね。自分を知ったら、きっと化けると思う」

 そうそう、と一樹。

「前髪が長くて、もったいないなって思ってたんだよね。自覚がないから、そんなに自信がないのか」


 塔子は目を泳がせた。

 信じがたい言葉を矢継やつばやに浴びせられ、もういっぱいいっぱいだ。


「……おれはさ」

 ふと榊葉が身を乗り出した。

 あぐらをかいたひざの上に、片ひじを乗せ頬杖をつく。興味深そうに塔子を見る。



「美少女がたどる道は、ふた通りあると思ってるんだよね」



「道?」。良司だ。

 榊葉が優しく笑む。――うん。



「かぐや姫か、灰かぶりシンデレラか。どちらかだと思うんだ」



 塔子は思わず榊葉を見た。


「これはあくまでおれの持論だけどね。

 ――美少女はただそこにいるだけで、多くのひとから注目を浴びる。彼女のうつくしさに、他者は様々な感情を掻き立てられる。本人の意思とは関係なく、勝手にね。

 だから美少女はたいへんなんだ。うつくしさを賞賛されるのか、妬まれるか。それによって、美少女の運命は変わってしまうのだから」



 ――まず、かぐや姫っていうのは、うつくしさが良い方に働いた例だ。



「あれは、悲しい話じゃ?」

 一樹が言いさす。

「そうだね」。榊葉は首肯した。


「でも“少女”の頃はじつに幸せだったろう? 

 生まれ落ちた頃から、特別な子だと認識されて、両親から蝶よ花よと育てられる。彼女がいるだけで家には福が舞いこみ、周囲のひとからはちやほやされて、どんどん美しさに磨きがかかる。美人の噂は都じゅうに知れわたり、求婚者が続々とやってくる。

 しまいには、時の最高権力者まで腰をあげる。――どう?」


 にやりとわらって全員を見渡す。

「現代でも、こういう美少女っているだろ?」


「いるな、となりに」

 壮平が即座に左を見た。

 あら、と志津香がおっとりと声をあげる。

「なるほど。荒巻はまさしく“かぐや姫”だな。に見初められるってところも」

 にや、と榊葉がわらう。


「織部も、そういうタイプかも……」

 良司がつぶやき、塔子もそれにはうなずいた。

「紗也加ちゃんは、いるだけでまわりを明るくするから……」

 な、と良司がわらう。


「ご納得いただき幸いだ」

 榊葉が芝居がかった口調で笑みをこぼす。

「そして、もうひとつのルートが――」



 ――灰かぶりシンデレラ。これはうつくしさによって、不幸になる例。



灰かぶりシンデレラの少女時代はじつに不幸だ。父親を早くに亡くした彼女は、意地悪な継母と義姉にいじめを受けて育つ。シンデレラのそのうつくしさに、継母たちは嫉妬しているんだ。

 下働きをさせられ、身体じゅう灰だらけだから、外見はみじめこの上ない。輝くばかりのうつくしさを、まるで発揮できないんだ。

 魔法使いと出会い、ドレスとガラスの靴を身に着けるまでは、ね」



 全員がこちらにふり向く。ふと、無意識にという風情だった。

 塔子は身を縮めた。



「篠崎さん」

 榊葉がこちらをまっすぐ見つめる。

「――きみは灰かぶりシンデレラだったんじゃない?」

「…………え?」


「はい、そこまで」

 すばやく志津香が割って入った。

直哉なおや、踏み込みすぎ」

「失礼」

 榊葉が口をつぐむ。

 塔子は肩で大きく息を吸いこんだ。


 ランタンの明かりが不安定に揺れている。



「ごめんね。直哉なおやは夢中になると見境みさかいがなくなるから」

 志津香がやわらかに塔子に微笑む。ただそれだけで、華が咲いたように場があかるくなった。


「悪気はないんだ」

 榊葉が首をすくめる。

灰かぶりシンデレラはハッピーエンドだ。それだけは言わせてくれ」

 志津香がゆっくりとうなずいた。

「もしそうだとしたら、じきに王子様が迎えに来るわね。ガラスの靴を持って。……迎えに来る王子が沢山いたりしてね」

「……それに、これはあくまで“美少女”の話。“美女”に成長すれば、話はまるでちがってくる」

 榊葉はにこりとわらった。


「自分のうつくしさをわかっていて、そして、それを上手に扱えるようになったら“美女”。おれは、そう思う。そういう風に成長すれば、周囲に振り回されず、自分の意志で運命をきっと変えられる。意地悪な継母たちに復讐できるかもしれないし」

「男を翻弄する悪女にだってなれるかもしれない」

 史信がうたうように榊葉のあとを引きとった。意地悪そうな笑みが顔に浮かんでいる。

 

「……ずっと少女のままでいるひともいますけどね」


 つぶやいたのは柊一だった。しかしあまりにも小さな声音だったので、その声は塔子にしか届かなかった。

 かたい表情の塔子と、複雑なまなざしの柊一をのこして、みながさざめく。


 夜のしじまにわらい声が響く。



「――では、質問タイムといこうじゃないか」

 榊葉が気を取り直して声を発した。


「……篠崎さんは、質問する側では?」

「そうだけど、彼女だけ質問しないのもつまらないだろ?」

 史信の問いに、榊葉はニイっと口の端をあげる。


「ここからは早い者勝ち。だれでもいいし、なんでもいい。篠崎さんにみっつ質問して」



 はいはい、とすぐに手を挙げたのは一樹だった。

「好きな人はいますか?」

 おおーっ、と座が沸く。

 両隣の良司と柊一が露骨にふり向くものだから、塔子はぎょっとして身体を縮めた。

「……い、いないです」

 蚊の鳴くような声で返答する。

 良司がふ、と息を吐いた。



「じゃあつぎの質問」

 榊葉の声かけに、史信が手を挙げる。



「――獅子の娘になったご感想は?」



 優しい声色。にもかかわらず、とたんに周囲はしんと静まる。

 塔子は動揺した。

「驚いたろう、突然ふしぎな伝統に巻き込まれて。“いつかきみは女王になる”といわれるんだから。きみの高校生活が――もしかして人生の一部が、一変する出来事だ」

 史信はしずかにこちらを見る。


「でもきみは引き受けてくれた。こうしてこの場にいて、名推理を披露して、この伝統に立ち向かう勇気を見せてくれた。

 でもきみを見ていると、意欲的という言葉がふさわしくない気がするんだ。なんだか消極的な、暗い表情も見受けられるから。――ふしぎなひとだと思う。

 いまはどんな気持ちなの? どういう気持ちでこの伝統を受け止めているの?」


 さやさやと銀杏の葉擦れの音が聞こえる。

 塔子はブランケットの上で両手を揉みしぼった。


 それはそうだろう、と思う。

 自分だってうまく理解できないくらい、気持ちは中途半端なのだから。


 口を引き結び、そしてひらく。

「……いま、確かに言えるのは……やらなくてはいけない、ということだけで……」

「義務感?」

 うまく言葉がでない。

「まあそうだよね」

 史信はあっさりとあいづちを打つ。


「はじめはそんなものだよ。大丈夫。きみの気持ちが知りたかっただけだから、気にしなくていいんだ」

 安心させるように微笑んでみせる。ふだんのクールな表情を笑み崩したその顔は、とても感じがよかった。

 皆の表情も和やかで、気分を害した様子はない。

 塔子はすこしだけ安堵して、小さく頭をさげた。



「じゃあ最後の質問」

「写真を撮ってもいいですか?」

 間髪入れず、彼方が口をだした。

「え?」

 榊葉が驚いたように彼方を見る。

 彼は足元に置いた一眼レフを持ちあげて見せた。どっしりと重量感のある、本格的なカメラ。

 塔子はぎょっとして固まった。


「今井……それ質問じゃなくね?」

「――ずっと撮りたかったんだ」

 一樹の呆れ声に、しずかに応える。


「彼方はいわゆるカメラオタクでね。四六時中カメラを持ち歩いてて、気づけば何でも撮ってる変な奴なんだ。……そういえば、なんでいままで撮らないんだろうって、ふしぎに思っていたんだよね。許可が取りたかったわけか」

 榊葉が眉を上げ、当人はこっくりとうなずいた。


「被写体には、敬意を払わなくてはいけないと思ってるから」


 と、こちらをじっと見る。中性的な色白の顔が、塔子をまっすぐ向いている。



 ――本当にわたしを撮りたいんだ。



 塔子は目をみはり、そして眉根をさげた。しばらく考え、やがておずおずとうなずく。

「……はい」

 写真を撮られるのはとても苦手だ。おまけに、なぜ撮りたいのかもわからない。けれど、彼方のつよい申し出を断る理由は特になかった。


 ありがとう、と言って彼方がカメラを構える。

 フラッシュはない。シャッターだけが数回切られる。


 塔子は恥ずかしさに顔を伏せ、また目をさまよわせ、戸惑って周囲を見やった。その間もシャッター音が続いている。みなが笑んで見守っている。

「ほら、前を向いて」

 榊葉がそっと言う。

 しばらく迷って勇気をだして、塔子はおもむろに顔をあげた。大きなレンズがこちらを向いている。レンズ越しに、彼方と相対する。


 カシャ、と光景を切り取る音がした。


 やがて彼方がカメラを下ろす。その顔には微笑みが浮かんでいた。




「ねえ、おれたちも撮ってくれないわけ」

 一樹が朗らかに言うものだから、その場で集合写真の撮影会がはじまった。

 ランタンの明かりのもと、みなで肩を寄せ合う。微笑んだり、ひょうきんに百面相をしたり、かたい顔のままでいたり。それぞれの個性的な表情が、フレームの中に収められていく。


「今井先輩は入らなくてもいいんですか?」

 千歳が気を遣って声をかけたが、彼方は首をふった。

「おれもちゃんと参加しているから」

「え?」

 カメラをかざしてみせる。

「これはおれのまなざし。おれの目なんだから。じつはおれが、いちばん参加しているんじゃない?」

「面白いね、そういう考え」

 榊葉がわらう。



 身を寄せあった集団のなかにいて、その喧噪を聞きながら、塔子はなんだかふしぎな気持ちになった。



 ――わたしはひとりじゃないのかもしれない。



 ふと、そう思った。


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