第19話 ウミガメのスキップ

 女の話は途中だったがのそのそと砂浜を歩く物体を見つけたので話はそこでお終いだった。


 俺が立ち上がると「えっ? どうしましたか?」と女は慌てた様子で尋ねてきた。

 俺はそれを無視した。答える必要のない問には答えない――それがハードボイルドの基本だった。俺はいつだってハードボイルドだった。その姿勢は授業参観の先生の問いを前にしても揺らぐことはなかった。答えられなかったんじゃない。答えなかったんだ。


 クツアはまだメトロノームのように揺れながら眠っていた。


 歩く物体に近付いてみると緋色の甲羅を付けた体長五十センチメートルほどのウミガメだった。

 どこから来たのか、どこに向かっているのか、波打ち際を孤独に歩いている。

 ウミガメって奴は自分の歩みが遅いことを気にしていないところがいい。

 栄螺さざえに対するコンプレックスさえなければウミガメは世界一クールな生物だった。


 俺はウミガメを何とか持ち上げ、ヒィヒィいながらクツアのもとへ運んだ。


「クツア! クツアー! クッツアー! クッアッアー!」

「クツア! クツアー! クッツアー! クッアッアー!」

「クツア! クツアー! クッツアー! クッアッアー!」


 喉が痛くなるほど叫んでいるとようやくクツアが目を覚ました。

 でもまだ寝ぼけていて俺を見ながら「ここどこ?」と言い出すポンコツさ加減だった。


 そんなクツアに

「ウミガメ、食べるか?」

 と尋ねとぎょと目を覚まして首を振った。

「そうか……」

 ウミガメは解放することにした。


 のそのそと歩いていくウミガメを見ながら「宿でも探そうか」とクツアに提案した。

 俺は野宿してもいい。けれどクツアは明るい場所でないと眠れないのだ。

「あてはあるの?」

 クツアは眉を八の字にして私は不安です、みたいな表情をした。

「ない」

 あるはずがなかった。

 犯罪者の手は借りたくなかったが背に腹はかえられない。

 仕方無しに鳥籠ドームを見ると男も女も両手を合わせ祈っていた。


「二人を出そう」

 クツアは頷いて杖で『ごにょごにょ』した。鳥籠ドームはスーツケースに戻る。

 女は「クツア様――申し訳ございません」とすぐさま膝を付いた。「謝って許されることではないと分かっております。このまま首をおね下さい」

「えっ? 何の話?」

 クツアは女と俺を交互に見て最終的に俺に視点を固定した。

「ちょっと頭がおかしいんだ」俺はそう説明して「でもお客様だから」とフォローを入れた。


「そうなの? あなた頭がおかしいの?」

「どのように受け取って頂いても構いません」と女は言う。

 男は女の前に立ち「俺はどうなっても構わない。だからどうか彼女だけは助けてくれ」などと言う。

 俺はクルクルパーのジャスチャーをクツアに見せてウィンクした。

 狂人の相手はするだけ無駄だという合図だった。

 クツアはそれを理解しのたかうんうんと頷いて「あのね、やどを知らない?」と男に尋ねた。


「宿? 宿ならうちの屋敷が近くにあるが……」

「馬鹿野郎! 悪党の巣窟で寝泊まりできるか!」

 俺が怒鳴ると男は「ひぃ、す、すまない」と言って「それならポルックス街が近い」

「どっちだ」

「あっちだ」男は指差した。

 この世界でも太陽が東から昇るなら東の方角だった。


「行こう」

 俺はクツアの頭をポンポンと叩いた。

「うん!」とクツアは大きく頷いてスキップした。

 クツアの動作に合わせるかのようにスーツケースもスキップした。

 だから俺もスキップした。

 するとウミガメもスキップした。

 愉快だった。

 このままスキップしながら街まで向かおうと思った。


「待って下さい!」

 それを女の声が引き止めた。

「アンコールなら……」

 女は俺の声を遮って、

「どうして――私はヴァンパイアです。気付かれていますよね? それなのにどうして私を見逃すのですか?」

 クツアを俺を見る。俺はクルクルパーする。何を言っているか意味不明だった。

 クツアは団栗どんぐりのような黒い瞳を細めて五秒間ほど女を見つめた。

 そして「お客様だから」と言って笑ったのだった。

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