第弐拾話 ガラン、跳ぶ

 目が覚めた。


「……なんだ、今の夢は」


 夢の内容に覚えはない。あんな光景を見た事などない筈だ。

 筈なのだが。

 夢というにはあまり異様で現実味があり、まるで実際に起きた出来事を体験しているようだった。

 ガランに触れた時に見た光景といい、この村に来てから何かがおかしかった。

 奇妙な幻覚や夢を見るようになったのは、何か原因があるのだろうか。


 布団から起き上がろうとして少し体がふらついた。

 あんな夢を見たからだろうか、身動き出来ない程ではないがまるで異能を連続発動でもしたような疲労感があった。

 とは言っても、昨日の今日でガランとソラだけを学校に送り出す訳にもいかない。

 ついでに言えばガランとの約束もある。


「……ガラン、か」


 夢の中で父上はガランの事を悪鬼と呼んでいた。

 御神木から出てきた時のガランと、今のガラン。

 どちらが本当のガランなのだろうか。

 もしかしたら、俺は恐ろしい怪物を匿っているのではないか。

 そんな事はない、と思いたい。短い期間ではあるが、ガランが悪しき者だなととは思えなかった。


 これ以上考えていても暗い方向にしか思考が向かわない。

 思考を中断して布団を出ると、ふと気になって窓から空を見上げる。

 当然そこには、黒い穴など見えはしなかった。


        ***


 その後朝食を早めに済ませ、昨日より早い時間に家を出る事にした。

 朝とはいえガランの影を見られると面倒だったからだ。日が登りきるより前にガランを学校まで連れていきたい。


 ソラは普段通り弁当の準備をしていてまだ時間がかかるらしく、ガランと俺の二人で先に学校に向かう事になった。

 昨日の出来事もあり、念のため父上が送りつけてきた刀を持参して。


「クオン、如何なされた。体調が悪いなら家で休んでいた方がいいで御座るよ」


「いや、いい。奇妙な夢を見ただけだ。多少ふらつく程度だから問題ない」


「ほう、夢で御座るか。それはどのような」


「それは……まぁ、後でな」


 そばで支度をしているソラを一瞥いちべつする。

 あの夢の事をソラの前で話すのはやはりはばかられる。話すにしてもソラのいない所でだ。


「クオン、大丈夫なの」


「大丈夫だから。ガランと先に出ている」


 心配そうな様子を見せるソラにそう言ったものの、実際のところ足がふらつくほどに疲労していた。

 あるのなら自動車にでも乗って向かいたい気分だった。

 そう考えて人一人乗っても問題なさそうな奴がいる事に思い至った。


「ガラン、俺をお前の背に乗せろ。その図体なら俺一人乗ったところで苦でもないだろう」


「ふぅむ、仕方がないで御座るなぁ。今日だけで御座るよ」


 了承を得たので遠慮なくガランの背中に乗る。

 武者鎧の如き外観のガランの体はあちこち出っ張りや溝がある為、登ったりしがみついたりする事に苦労しない。

 さすがに学校までは人目についてしまうから、乗れて木々の多い場所までだ。

 今の俺を村人が見れば宙に浮いているように見える事だろう。


 俺を背に乗せ、のっしのっしと進んでいく。

 しかし、遅い。軽い小走り程度の速度しか出ていない。


「ガラン、こんな牛歩では学校につく前に人に見つかるぞ。ちょっと本気で走ってみろ」


「おお、任されよクオン殿。本気で走れば良いので御座るな」


 こいつの身体能力がどれほどのものかも気になっていたところだ。とは言ってもこの見るからに鈍重そうな図体では走っても大した速度は出せないだろう。


「……炎?」


 ガランが地面を強く踏みしめると同時に、その体から炎のような赤い光が揺らめいたのを見た。熱くはない。風に吹かれたように揺らめいている。

 その炎に似た何かが何であるのか訊ねようとした時、ガランは走り出した。


 走り出したのだが。


「は、あ!?」


 走り出した瞬間、急激な加速に危うく舌を噛みそうになった。振り落とされそうになり思わずガランの首にしがみつく。

 想像以上に速い。速すぎる。

 自動車並か、それ以上の速度が出ているんじゃないのかこれは。


「おぉ、クオン殿拙者結構早いのでは御座らんかなこれ」


「が、ガラ、ガラン! とばえ、止ま、おい!」


「お、なに、跳べとな?」


「ちが、お前!」


「とぉう!」


 訂正する間もなくガランは跳んだ。

 いや跳んだなどという比喩では収まらない。目前まで迫っていた石階段どころか木々や畑さえも飛び越え、学校までの道のりが一望出来る程の高度まで跳んでいた。

 とんでもない跳躍力だ。

 訓練を積んだ御八家の者でさえこれほど高くは跳躍出来ない。

 それと同時に猛烈に嫌な予感がしてガランに問うた。


「おいガラン、ちゃんと着地出来るんだろうな!?」


「ほ? ちゃ、着地?」


 いかん、これは駄目だ。

 早々に見切りをつけるとガランから手を放し、身を投げ出した。

 地上までかなりの距離がある。どう着地しても無事では済むまい。

 普通の方法であるなら、だ。


 重力に手繰り寄せられ落ちていく。

 落ちていく。

 落ちていく。

 迫る地面を見据えながら機を見定める。あと少しで地面に激突する。

 

 その瞬間を狙い《切替》を発動した。

 

 体がぶれるような不思議な感覚と同時に特に危なげなく着地する。

 《切替》は自身の今を切り替える異能。言ってみればその瞬間、刹那を切り取り入れ替える能力だ。

 《切替》を行ったら直前の運動力は引き継がれない。それを利用して落下の速度を無にしたのだ。

 機を見誤れば無様に地面に激突していただろう。冷静に判断を下せたのは普段の修行の賜物か。


 そういえば村に来てから修行を全くしていないなと思いながら、ガランを探す。

 着地の瞬間『みがぬい!』とかいう珍妙な悲鳴と相当な重量物が落ちる音が聞こえた気がしたが。

 周囲を見渡していると、道端の田園に太い二本足が飛び出しているのが見えた。

 し、死んでないだろうな。

 一瞬そんな危惧を抱いたが時折動く足を見るに大丈夫そうだ。


「おーいガラン、抜け出せるか」


「ほあー、体中泥だらけで御座る……。泥に足を引っ張られて上手く抜け出せぬ」


 全身泥まみれになったガランが泥の中をのたくたと這い回る。田園の中とはいえ、あれだけの高さから落ちて無傷なのかこいつ。


「何をしているんだ、早く抜け出せ」


「いやいやクオン殿、そう簡単に言うで御座るがな、これがなかなか抜け出せぬので御座るよ本当に」


 ガランがもたついている間に、何やら遠くから人の声が聞こえてきた。

 何か慌てているような声だなと思ったところで気がついた。

 あれだけ相当な音が響いたのなら村人達に聞こえていない訳がない。

 しかもガランは今泥だらけ。異能の有無に関係なく見えているだろう。

 さすがにこれでは見つかってしまう。


「まずい、伏せろガラン!」


「は、お、応」


 泥の中に突っ伏すガラン。一見して泥が盛り上がっているようにしか見えない。

 これなら誤魔化せるか。

 それを確認すると俺も近くにあった空家に隠れた。

 隠れたのだが。


 なんだこの家は。

 玄関が取り外されているうえ、誰の気配もないので空家だと思っていたが、よくよく見ればつい昨日まで人がいたかのような生活感がある。

 だが畳や障子のいくつかは取り外され、家具も所々無い。虫食い状態だ。

 何かが起きて、家を空けざるをえなくなったのだろうか。


 いや、今は不審な空家の状況に首を捻っている場合ではない。

 様子を見に来た村人は田園の中に突然出来た泥の山に驚いていたが、暫くすると家の方へと戻っていった。恐らく農具を取りに行ったのだろう。


「よし、今のうちに逃げるぞ!」


「はひぃ~!」


 結局学校まで二人して全力疾走し、余計に疲労感が増す羽目になった。

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