第拾捌話 浸り耽る
今、俺の目の前には熱湯が
事情を知らない者が見ればいったい何だと思うだろうが、これが
普段からこうではなく、間の悪い事に風呂場が壊れてしまっているらしい。
修理屋は街からわざわざ呼んでこなくてはならず、
街に住んでいた頃ではまず体験出来ないものだろうな、これは。
少々熱めの
昨日も今日も色々な事が起きた。この村に来こうと決めた時点で決心は固めていたつもりだったが、いざ来てみれば予想外の出来事に振り回されて目的を果たせずにいる。
一度情報を整理しよう。
まずは鬼面の怪人だ。
燃え盛る
あの場にいたのはただの偶然や見物な訳がない。奴こそ御神木を焼いた張本人であり、その目的は御神木に封じられていたガランを呼び起こす事だったのではないか。
村の中で強烈な悪意を乗せた視線を送ってきたのも、恐らくはこいつだろう。
その正体で有力なのは、この村にいる俺とソラを除く御八家の面々。
そして未だ姿を見ない
理由としては彼らが異能使いであり、ガランを視認出来る事だ。
ガランが炎から現れた時、鬼面の怪人は確かにガランに気づきその姿を見ていた。
異能使いでなければガランは視認出来ない事を知れた事は大きい。その正体を大分絞り込む事が出来た。
純士の可能性も考えていたが、先程のやり取りでそれはないと確信した。
異能も持たず身体も不自由なただの人間では、あんな超人じみた動きは出来まい。
あとは俺の知らない何者か、御八家のいずれかが差し向けた刺客という可能性もあるが、それは考えだすときりがない。
次に、御館様一派は何を目的として行動しているのか。
この村で何か良からぬ事を企んでいるのは間違いない。俺を監視しているのはそれが本家に知られては拙い事だからだ。
本家の意志に反する事。もしや謀反かとも思ったが、すぐに頭から除外した。
各家の異能使いは本家分家含めればゆうに三百は超えるだろう。とてもではないが戦いにならない。
今のところ村の中で起きている出来事といえば、御神木の炎上とガランの出現くらいなもの。それとも、これ以外にも何かが起きているのか。
あの鬼面の怪人が御館様一派の誰かだとしたら、ガランには重大な何かが秘められているのではないか。
未だ姿を見せない簾縣家の者の動向も気になる。
もしかしたら簾縣家の者だけは本家側の人間で、それを疎ましく思った御館様によって消されたのかもしれない。
それならば一日目の集まりに姿を見せていない事にも納得がいく。
本家の行動も不可解といえば不可解だ。
俺宛に送りつけてきた奇怪な刀の事、俺が村へ来る事を御館様へ連絡していなかった事。この二つは本家から御館様一派への
俺を本家の刺客と思い込ませ、その暗躍を阻止する為の、だ。
だがそのやり方はどうにも不確実な上に遠回しすぎる。俺が消される可能性もなくはないのだ。
やるなら本家の戦力を動員するか、御館様を本家の方へ呼び出せばいい。
そして何より全ての謎の中心にいるのは、ガランだ。
純士から聞いた伝承の通りなら、御神木の場所には
ガランこそが人鬼なのはほぼ間違いない。もしそうだとしてあの鬼面の怪人、ひいては御館様一派は人鬼という存在を用いて何事かを為そうと企んでいるのだろうか。
ならば人鬼とは一体何なのか、どういう力を持った存在なのか。
長い長い溜息を吐く。分からない事が多すぎる。考えが纏まならない。
この村で何かが起きているの確かだ。だが真相が見えない。
空を見上げ、そして星明かりに照らされた己の体を見た。
心臓の辺りを中心にして胸に広がる亀裂のようなどす黒い
この痣が現れ始めたのは確か、一年程前だったか。《切替》を連続使用でもしない限り、目立った異常は起きない。
今はまだ、だ。
だが痣は少しずつ着実にこの体を蝕んでいる。いずれ全身へと行き渡るだろう。
そうなれば、いやそうなる前に――。
「誰だ、そこにいるのは」
不意に何者かの気配を感じ、胸元を隠して湯船から立ち上がる。
「クオン殿、クオン殿、拙者で御座るよ」
そう言いながら囲いの上からひょっこり顔を見せたのはガランだった。
その姿を見て思わず半眼になる。
「お前、本殿から出てきたのか。何を考えているんだ」
「まぁ良いではないか良いではないか。それよりもクオン殿、先程ソラ殿の父君と話しておった事、詳しく聞かせてはもらえぬかな」
「なんでそんな事を」
「いやほれ、単なる興味……ああいや、ソラ殿の事が気になってので御座るよ。何やらソラ殿の事で何か隠し事があるのではないかとな」
先程の会話を聞いていたのか。いや、聞くなとも言っていなかったし、聞かれていても仕方がないか。
「……お前はソラの事をどう思う。どこかおかしいと思った事はないか」
「ほ? どう思うかで御座るか? ふぅむ、特段おかしなところがあるようには見えぬが。優しく、模範的で、ただ少々間が抜けておるというか、おっとりとした印象で御座るな」
予想通りの答えだった。ソラを見る者の大半はそういう印象を受けるだろう。もっと長く深く接していれば気付けるかもしれないが、まだ一日程度の付き合いのガランでは分からないのも無理はない。
だが、次にガランが発した言葉は予想外だった。
「故に、そのような良い娘っ子を相手に何故クオン殿が時折怯えているのかが解せぬ」
「――――」
息が止まるかと思った。正直侮っていた。ガランに見透かされていたなどと、想像もしていなかった。いや、ガランが見ても分かるくらいに、俺はソラに対して怯えを見せていたのかもしれない。なんて未熟さだ。
「なぁ、ガラン」
「うん? 如何なされたクオン殿」
「ソラの事をもっと知れば、お前もいつか気づく事になる。ソラの、異常の事を」
「異常? それは何ぞ?」
その問には答えなかった。これは言葉で語るより、実際に見て気づくしかないし、あまり口外したくもない。
「もしそれに気づいたとしても、ソラの事を嫌いにならないでくれ」
「はっはっはぁ、いきなり何を言い出すのかと思えば。安心なされよ、拙者がソラ殿の事を嫌いになる訳ないで御座るよ」
本当にそうだろうか。だがそうであってほしい。ソラの傍にいてやれる者が少しでも多くなるのなら。
「おぉそうだクオン殿、拙者明日も学校に行っても良いで御座るかな」
「また暇潰しの為か」
「退屈しのぎだけが理由では御座らん。もっとソラ殿の事を知りたいんで御座るよ。それにクオン殿とももっと一緒にいたいで御座るしな」
ガランが神社に潜伏している事を御館様一派は既知のはずだ。知らない間に何事かが起きるよりは目の届く範囲にいた方がいいか。
「まぁ、大人しくしているならな」
「おぉさすがはクオン殿、話が分かる」
調子のいいやつめ。湯船から上がり、そこである事に気づいた。
念の為釘を刺しておくか。
「おい、ソラが入っている時には覗くなよ」
「ほ? も、もちろんで御座るよ?」
「声裏返ってるぞ」
大丈夫だろうなこいつ。
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