第27話 星屑の欠片が降ってくる➂

  それからもリカルドは、ミランダが仕事に出掛ける日は終業時間を見計らって迎えに行くようになった。

 夕暮れ時の寒空の下、店の正面のベンチに腰掛けてミランダを待つリカルドの姿が日常的な光景となりつつあった、ある日のこと。


 仕事を終えたミランダが、いつものように店の裏口の扉を開けて外へ出て行く。

 今日は忙しかったせいで終わるのが少し遅くなってしまい、寒い中でリカルドを長く待たせてしまった。身体をすっかり冷やしてしまっただろうし、冷えで足の痛みも悪化してしまう。

 だから、急いでリカルドの元へと駆け寄ろうとした――、が、その場で足を止めてしまった。


 なぜなら、若い娘がリカルドに絡んでいる光景が目に飛び込んできたから。


 身なりや雰囲気から判ずるに娘は街娼の類。リカルドに自分を買ってもらおうと彼にしなだれかかろうさえとしている。

 リカルドは娘に身体を触れさせないよう、さりげなく動きを避けながら丁重に断りを入れていた――、にも関わらず、しつこく言い寄り続ける娘にミランダの怒りが徐々に込み上げてくる。


 憤然と近づいてきた妻にリカルドの顔色が青くなる。対照的に、娘はミランダを面白がってか、挑発するようにわざとリカルドの腕に寄り掛かってさえしてみせた。(リカルドはすぐに避けたが)


「この人、私の亭主なの。悪いけど他当たってくれない??」


 ミランダは自分よりも頭一つ分以上は背の高い娘を鋭く睨み上げ、腕組みをしながら努めて冷静な口調で告げた。

 しかし、娘は小さいけれど獰猛な山猫を思わせるミランダの眼力に一切臆さない。肩を竦めてみせる程の余裕を見せつけてくる。


「やだやだ、そんなムキになって目くじら立てんなよって。これだから、とうが経ったババアは面倒くせぇなぁ」


 娘はスラリとした長身でしなやかな身体つきだが、頬や鼻ら辺に雀斑が散っている顔は意外に幼い。せいぜい十三、四歳といったところか。

 大人ぶった蓮っ葉な口調も、どうにも背伸びしている感が否めない。


 娘が成人女性ではなく年若い少女だと見抜くと、まともに相手をするのが馬鹿馬鹿しくなってきた。それまでの怒りが嘘のように落ち着きをみせる。


「私からしたら、まだ乳臭いほんの小娘が無理して大人ぶっている方が面倒臭い……、というより、とてつもなく滑稽よね。どうせまだ十五にも満たない子供でしょ。悪いこと言わないから売春なんてもう辞めな。あんた程度の器量じゃ余程の物好きか、子供狙いの変態くらいしか相手してもらえないだろうし」


 ミランダが溜め息交じりに突きつけた辛辣な言葉。少女はカッとなり、怒りで頬を紅潮させながらミランダの頬を張り倒した。


「ミラ!」


 勢いで身体のバランスを崩しかけたものの、すぐにリカルドが手を伸ばして支えてくれたので何とか倒れずに済んだ。

 妻に暴力を振るわれたことで、普段は温厚なリカルドも怒り心頭、少女を怒鳴りつけようとした。


「あの娘にはどうしても分かって欲しいの。一度娼婦に身を堕としたら最後、一生娼婦として生きなきゃならなくなる。売春地獄から抜け出したくても抜け出せなくなることをね……。だから、貴方は黙ってて」

「おばさんは良いよね!そうやって庇ってくれて、面倒見てくれる優しい旦那がいてさ!!アタシなんて、父ちゃんも母ちゃんも死んじまって誰も助けてくれる人がいなかったから、こうやって身を売るしかなくなっちまったのに!!分かったような口利いてんじゃねぇ、くそばばぁ!!」


 少女は先程の余裕などどこへやら、ミランダに対して口汚い罵声を叫び散らしている。


(……やれやれ、こういうところが子供なのよ……)


「そうね、確かにあんたは可哀想な娘よね。でも、身を売ろうと考える前に、他に生計立てる方法がないのか、ちゃんとよく考えてみた??ウィーザーは割と開放的な街だし、女一人でも充分生活できるだけの給金が貰えるような仕事は探せばいくらでも見つかるはず。例えば、今目の前にある、私が働く洗濯屋もそう。私は週に四日しか働いていないけど、安息日を除いて毎日ここで働けば売春するよりは高い給金が稼げる。それなりに仕事内容はきついけどね。娼婦、特に街娼なんかが身を売る理由で生活苦が挙げられるけど、私からすると本当に??単に、根気に仕事を探すよりも身体を売る方が手っ取り早いからじゃないの??って疑問に感じるのよね。真面目にコツコツと働くよりも身体を売る方が楽だって安易な考え方をしていると、その内痛い目に遭うから」


 これは、ミランダが十九年に及ぶ娼婦生活を送ってきた経験に基づいたもの。

 ミランダのように自分の意思とは関係なく身を売らされていたならともかく、自ら進んで娼婦となる以上、それなりの覚悟が必要。


 しかし、まだ子供とはいえ、この少女にはその覚悟が全く足りていないように思う。その証拠に、先程までの威勢はどこへやら。ミランダの言葉に反論の余地がないのか、苦々しげにつぶらな青い瞳で睨んでくるのみで黙り込んでしまっている。


 だが、ようやく口を開いた少女が発した、俄かに信じがたい言葉に、ミランダは耳を疑った。


「……身を売るのは確かに嫌だけど、それ以上に堅気の仕事なんかしたくねぇ。だってよ、ここは港町だぜ??船の乗客の中に金持ちや貴族様がいる場合もあるし、そういう連中がアタシを買ってくれることだってあるかもしれない。で、アタシに同情して囲ってくれるかもしれないじゃないか。そうすりゃ、三食昼寝付の贅沢三昧な生活が送れる。堅気の仕事なんかしてたら、金持ちに気に入られる機会自体恵まれないだろ??」


 この娘は、正真正銘の大馬鹿者か。


 少女の、どこまでも安易で軽率で愚かな考えに、鎮まったはずのミランダの怒りは再び頂点に達した。


 ミランダは無言で少女の腕をガッと勢い良く掴み取ると有無を言わさずその場から引っ張っていく。腕に爪が食い込んでいるような気もするが、この際どうでもいい。


「放せよ、ばばぁ!どこへ連れていく気だよ!!」


 少女は当然のごとく抵抗し、ミランダの手を振りほどこうとするがびくともしない。それどころか掴む力が益々強まっていくばかりで、足を踏ん張って見せてもあえなくズルズルと引きずられていく。

 子供と見紛う程の、この小さな身体のどこに、自分よりも大柄な人間を強引に連れ去るだけの力があるのか。


「いい加減にしろよ!人攫い!!」

「うるさい!!!!!」


 ミランダの鬼気迫る形相、酒焼けが原因によるしゃがれた声での恫喝。

 さすがの少女も大人しく引っ張られるがままとなった。


「ミラ、もしかして……」


 ミランダと少女の歩みにようやく追いついたリカルドが、機嫌を伺うように恐る恐る尋ねようとした言葉。

 いち早く察したミランダは、その言葉に被せるようにぶっきらぼうに答える。


「この小娘を家に連れて帰るわ。甘ったれた性根をここぞとばかりに叩き直してやりたいの」

「……多分、そうだろうとは思った……」

 リカルドは杖をつきつつ、フゥ、と息を吐く。

「……ごめんなさい。勝手なことをして……」

「もう慣れっこだから、今更気にしてないよ」

「……うっ……」


 リカルドの諦めたような、それでいて痛烈な言葉に、ミランダは気まずそうに目を逸らす。


「……小娘じゃねぇ……」

 ふいに少女が、ぽつりと呟く。

「何??何か言った?!」

「小娘じゃねぇ、つったんだよ!アタシには、スターって名前があるんだよ!!分かったか、くそばばぁ!!」

「私もくそばばぁじゃないわ。ミランダって名前があるの。名前を覚えてもらいたかったら、そっちも人の名前をちゃんと覚えなさいよ、ねぇ??スター」


 唐突に名を呼ばれた少女ーー、スターは気恥ずかしかったのか、言葉を詰まらせてしまう。その姿が、妙に可愛くてミランダは微かに笑みを漏らした。

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