第18話 星だけが見ていた③

(1)


 この街の中流以下の建屋は概二種類に分かれる。

 一つは赤い煉瓦造りの二~四階建てのコテージ風のもの。もう一つは白い石造りのもの。

 赤と白の二色に彩られた街並みは歓楽街も例に漏れず、目当ての店に入るには立て看板をよく確認しなければならない。

 似たような建物の群れの中の一軒、やや小洒落た雰囲気の小さな酒場へ二人は足を踏み入れる。


 玄関から見て左奥には黒檀製の五角形のカウンター席。真ん中で仕切られた柱を間に挟む形で椅子二脚と、様々な種類のグラスや酒瓶がずらりと並ぶ棚。

 右側にはカウンター席よりやや低めの、白木で作られた八角形のテーブル席には椅子が五脚。更に右奥にはカウンター席と同じ材質の硝子扉付きの酒棚。


 簡素な内装、十名足らずで満席となる手狭さだが、静かに酒を嗜みたい者には打ってつけで隠れ家的な場所だ。

 リカルドとシャロンはカウンター席に座ったものの、特に会話を交わすでもなくお互い黙って酒を飲んでいた。


 ミランダの前では饒舌だったが、かつて彼女に話していたようにリカルドは余りお喋りな質ではない。

 その上で着慣れないスーツを着用していること、シャロンに少なからず苦手意識を抱いていることなどから、どうにも居心地の悪さを感じていた。自分から連れて行けと頼んだ癖に勝手だとは思うけれど。


 体調を考慮してライトエールを注文したリカルドに対し、シャロンは度数の強いスコッチ、しかも氷割りを注文していた。

 若いのに随分と強い酒を飲むんだなぁ、などとぼんやり考えていると、新たな客ーー、若い女性二人組が入店してきた。二人の女性客はリカルドとシャロンの姿に目を留め、意味ありげに目配せし合う。


「ねぇ、お兄さん達。良ければ、こっちの席で私達と一緒に飲まない??」

「やぁ、こんな素敵なレディ達にお誘いいただけるなんて光栄の極みです。勿論、喜んでそちらに参りましょう」

 シャロンが女性達に向けてこれ以上ないくらい、爽やかに微笑む。余りの変わりようにリカルドは少々引いてしまったが、女性達はシャロンの笑顔に思わずほぅっと見惚れている。

「リカルドさん、貴方も僕と一緒にレディ達と同じ席へ」


 穏やかながら有無を言わさぬ威圧感を含むシャロンの口調に、リカルドは重い腰を上げて席を移動した。その間にもシャロンは女性達とにこやかに談笑している。

 おそらく、いや間違いなくシャロンは女好きで、女性には好かれやすいが同性には嫌われる質であろうことを、この時リカルドはようやく悟った。


 男女一組ずつに分かれて白木のテーブル席に座り、リカルドは相方となる女性の話に適当に相槌を打っていた時である。


「そうそう、年末から歓楽街でこんな面白い噂が流れているの」


 女性が一段と目を輝かせながら話し出した内容に、リカルドは凍りつく。


「男爵様のご子息ダドリー様の囲い者が情夫と共に逃げ出したけど、ダドリー様が差し向けた追っ手によってすぐに捕まってしまって。で、情夫は広場で制裁を受けた末に行方不明なんですって!人の女、それもダドリー様の女に手出すなんて馬鹿な男よねぇ??でも、その囲い者の女はもっと馬鹿。娼館の雇用娼婦らしいけど、逃げ出さなければ行く行くは愛人くらいには納まれたかもしれないのに……、って、大丈夫??顔色悪いわよ??」

「大丈夫。少し酔いが回っただけだから。それよりも話の続きを聞かせてくれないかな??で、その囲い者の娼婦はどうなったの??」


 心配そうに顔を近づけ、リカルドの肩に手を置こうとする女性をさりげなく制して先を促す。ミランダを「囲い者の娼婦」と言ってしまったことに一抹の罪悪感を覚えながら。


「その事件の噂が男爵様の耳にまで届いてしまったから、ダドリー様が体面を気にして事もなげにあっさりと捨てた、って話よ」

「何だって?!」


 大声を上げたリカルドに気圧され、女性は目をまんまるにして口を閉ざしたが、そんなことはどうでも良かった。


 身分差を考えればダドリーがミランダを正式な妻に迎えることはまずない、とはリカルドも薄々感じてはいた。

 だが、自分との仲を引き裂いてまでミランダに執心していたのだから、せめて愛人くらいには迎えるつもりかもしれない。

 もしそうであれば、少なくとも彼女が身を売る必要はもうなくなるし、生活面に限っては一生保証される。


 ならば、辛い事には変わりないもののリカルドは大人しく身を引くつもりだった。どんな形であろうとダドリーが彼女を愛し、しっかりと庇護してくれるのであれば。


 しかし、現実はリカルドの予想をあっさりと覆した。

 きっと今もミランダは、偽りの気取った笑顔を浮かべて嘘の愛を売っているに違いない。


「噂の真偽は分からないけど。新年迎えると同時に、ダドリー様はかねてから婚約していた伯爵家のご令嬢デメトリア様とのご結婚の日取りを発表されたわ。ということは、彼が爵位を引き継ぐ日も近いということかしらね」

「……そうなんだ。それは、大層喜ばしいことだね」


 感情が伴わない相槌を打ちつつ、リカルドは今にも張り裂けそうな胸の痛みに耐えていた。







 (2)


「話が盛り上がってきたところですが、連れが疲れてきたみたいで。そろそろお暇しようと思います」


 程なくして、リカルドの様子がおかしいと察したシャロンが女性達に帰宅する旨を告げた。

 途端に女性達は不満げに表情を曇らせたが、「もし宜しければ、連絡先を教えていただけますか??そうすれば、あらかじめ日にちを指定してまたこちらで一緒に飲むことが出来るでしょうし」と、シャロンが笑いかけるとすぐに機嫌を直し、揃って彼に連絡先を教え始めた。


「では、後日改めて僕の方からお二人に連絡を差し上げますね」

 シャロンは連絡先を手帳に書き記すと、とどめと言わんばかりに最高に爽やかな笑顔を浮かべる。

「では、お先に失礼します。リカルドさん、行きましょうか」

 女性達に笑みを見せる一方で、シャロンは強引にリカルドの腕を取って店を後にした。


 杖をついて歩くリカルドに合わせてシャロンもゆっくり歩く。

 辻馬車の停留所に辿り着いた二人は、その中の一台に乗り込む。

 そう広くない車内で、シャロンと向かい合わせに座ったリカルドは杖に体を持たれかけさせ、呟くように言った。


「……シャロンさん、君は、あの噂のことを知っていたんだね……」

「えぇ」

「じゃあ、僕が噂でいうところの、情夫だという事も気付いていたんだね……」

「あれだけ派手な暴行事件が発生したのに警察が犯人を逮捕した、という話を全く耳にしない上に、そんな噂が流れてきたのですよ??貴方が渦中の情夫だというのは大して考えなくても見当がつきます。僕はあくまで貴方の怪我を治すことに興味があるだけで、貴方個人の問題には全く興味がないのであえてその話をしなかっただけです」

「……君らしい考えだね。いくつか訂正させてほしい。僕は彼女の情夫なんかじゃないし、彼女が娼婦だということも、次期男爵に囲われていることも全然知らなかったんだ。知った時には、もう引き返せないくらい彼女を愛してしまっていたから、どうしても手放したくなかったんだ。だから……」

「危険を承知で、この街から逃げ出そうとしたのですか??その女性を想う愛情と情熱は尊敬に値しますが……、それにしては取った行動が余りにも浅慮ですね」

「なっ……」


 思いがけない厳しい言葉に絶句する。


「貴方はダドリー様がどういう方か、ちゃんとよく調べたのですか??いずれは伯爵家のご令嬢と結婚するのだから、身分の低い娼婦などいずれは手放すことくらい目に見えているじゃないですか。どうしてそれまで待とうとしなかったのです??大方、事実を知って混乱した貴方が、焦って行動に出てしまったのでしょうが。まぁ、今まで好き勝手生きてきた貴方には蓄えもありませんし、待っていたところで彼女の身請け金を用意するだけの財力もないので余計に焦ったのかもしれませんね」


 シャロンの見下しきった物言いに、さすがにカチンと頭にきたが、言い草はともかくとして正論なのは間違いない。


 確かに、ダドリーについて情報をもっと得ていれば、行動する前にもう少し様子を見てみようと思ったかもしれない。

 今まで真面目にコツコツと働いてさえすれば、その貯えと様子を見ている間に働いて得たお金を持ってして、彼女を身請けできたかもしれない。


 今のこの状況は、己の甘さや無鉄砲、引いては、何にも縛られず自由に生きてきたと言えば聞こえはいいが、様々な責任を放棄し、楽をして生きてきたことのツケが回ってきたに違いない。


 まだ偉そうに講釈を垂れるシャロンの声すら耳に入らず、ただ愕然としていたが、ふいにこう呟いた。


「……自分の今までの生き方を変えてでも、例え夢を諦めてでもいいから傍にいたい、そう思える人と出会ったら……、君にも僕が取った愚かな行動の意味が分かるだろうね……」


 シャロンは僅かに眉間に皺を寄せた後、いつものように高慢そうに鼻を鳴らす。


「僕だったら、僕の人生と夢の枷になり得る人など、絶対に愛したりしませんよ」


 あぁ、実に彼らしい言葉だ、とリカルドは妙に納得した後、シャロンに向かって弱々しく笑った。

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