第10話 籠の鳥➂
(1)
「ミラ、元気だったかい?」
二つの美しい宝石の主――、リカルドは、昨日もミランダに会っていたかのような、気安い口調で話しかけてきた。
まさか彼の方から会いに来てくれるなんて――、夢にも思っていなかった。
けれど、リカルドと会えたことが嬉しくて堪らない筈なのに。気まずい気持ちの方が勝り、彼の真っ直ぐな視線から目を逸らす。
『あの男を始末することだってできる』
ダドリーの非情な言葉が脳裏に甦る。ミランダは顎を前に突き出し、わざと高飛車に笑ってみせた。
「何しに来たのよ。店に来てお金を払いさえすれば私を抱けるとでも思ったの??やっぱり貴方もただの男だったのね」
まったくもって心外だ、と言わんばかりに傷ついた顔をするリカルドに、『ごめんなさい、ごめんなさい……。本当は、貴方にそんな顔させたくないの。だけど、これ以上私に関わると、貴方を更に傷つけることが起きるかもしれないから、それだけは絶対に防ぎたいのよ……』と、心の中でひたすら詫びていた。
「今の私は男爵家子息の専属だから他の客は取れないの。お生憎さま」
「……知ってるよ。君の事を、あの先輩から全部聞かされた」
(……やっぱりね……。あいつは男のくせにお喋りで、わざわざ話題に出さなくてもいいような下らない話もペラペラとよく喋っていたわ。今まで関係した娼婦とのベッドの中の話とか……)
ダドリーから金を握らされたことも手伝い、先輩面でこんこんと忠告する振りで自分との情事を事細かに話しただろう。聞かなくても想像がついて軽い眩暈すら覚える。頭がくらくらするのに耐えながら、一段と冷めたくリカルドに言い放つ。
「……じゃあ、私が本当はどんな女なのか、よーく分かったでしょ??私はね、貴方が思うよりずっと、狡くて汚い女なんだから」
腕を組み、少し自嘲の色を含んだ冷笑を浮かべて鋭い視線を投げかける。
「……違うよ。君は傷つきやすい、綺麗な心を守ってるだけさ」
「…………」
ミランダの強い視線に臆することなく、リカルドはいつもの優しい視線で微笑んでみせる。彼は、どうして私みたいな身も心も汚れた女に対して、こんな風に笑い掛けてくれるのだろう。
リカルドの笑顔を見れば見る程、ミランダの心は嵐の海に浮かぶ小舟のように、今にも決壊するのではと思うくらいに激しく揺さぶられた。
「……何で、笑っているの……」
「いや、流行りのドレスを着てきちんと化粧をしたミラを見るのは初めてで、よく似合ってるし綺麗だなって。でも、変に大人ぶった笑い方はちょっと無理があるかな」
「……悪かったわね……」
先程の彼の笑顔や台詞といい、何もかもを見透かされてることといい。こっちが恥ずかしくなるようなことばかりしないで欲しい。いたたまれなくなり、ぷいっとそっぽを向く。
「今日はこの手紙を渡したかっただけなんだ」
リカルドは小さく四つ折りにたたまれた紙をシャツのポケットから取り出し、ミランダに手渡してきた。
手紙を一応受け取ってはみたものの、読むべきかどうか。
手紙とリカルド、視線を何度も往復させた後、意を決して手紙を開く。そして、ゆっくりゆっくりと、文面に目を通していく。
「……悪いけど、この手紙は受け取れないわ」
内容を一通り読み終えると、ミランダは手紙をくしゃくしゃに丸めて地面に投げ捨てた。
「それと、もう二度とここには来ないでね。さよなら」
ミランダに向かって何か言おうとするリカルドに背を向け、ミランダは一度も振り返ることなく、店の中へ戻っていった。
(2)
ベッド脇のローテーブルの上、赤い炎を灯す一本の大きな蝋燭。
僅かな風で揺られた炎はミランダの姿を照らし、一人で思い出し笑いを浮かべる。
リカルドを追い返して店に戻った後、ミランダは積極的にドレスの生地選びに勤しんだ。
「ねぇ、ママ。私、あの生地が見てみたいわ」
ミランダにせがまれ、マダムは生地の山の中から一際美しい光沢を放つ、シルバーブルーの生地を手に取る。
「何て綺麗なの……」
マダムから艶々と真珠色に光る生地を受け渡されると、その美しさに思わず感嘆の声を漏らす。
「この生地、ただ光沢が美しいだけじゃなくて、厚みがあるのにとても柔らかいわ。おまけに私達の肌に最も映える色合いだし……、まさに最高級の代物ね」
「ママ!私、この生地でドレスを作りたいわ!!」
頬を紅潮させて息巻くミランダとは対照的に、マダムは何やら思案顔だ。想定外に高価な生地で、頭の中で採算を合わせようとしているのだろう。
「そうねぇ……。ファインズ様のパートナー役を務めるなら、いっそのこと大枚はたくべきかしら……」
「そうよ、ママ!せっかくだから、うんと素敵なドレスを着たいもの」
マダムはまだ躊躇している様子だったが、ミランダの勢いに押され最終的にはこの生地でドレスを作ることに踏み切った。「絶対にファインズ家の方々に気に入られるよう頑張りなさいよ??」と念を押しながら。
二人がドレスの生地選びに夢中になっている間にも、時刻は十八時ーー、店の開店時間になっていた。
「あら、もうこんな時間。急いで戻らなきゃ……」
マダムが腰を上げ、ミランダの部屋から出て行こうとした時だった。
扉が開き、ダドリーが部屋に入ってきた。
「これはこれは、ファインズ様。今日もお早いお越しで……」
「この乱雑な部屋の様子は一体何なんだ」
ダドリーは、部屋の床やベッドの上に散乱した、色とりどりの鮮やかな生地の束を目にすると、徐に眉間に皺を寄せた。
「あ……、これは失礼いたしました。すぐに片付けますわ」
「すぐに片付けることなど、いちいち口に出して言うまでのことではないだろう??私が聞いているのはそんなことじゃない。何故、こんなに多くの生地がこの部屋に置かれているのか、と尋ねている」
「貴方に呼ばれた夜会用のドレスを新調するからよ」
マダムの代わりに、ミランダがダドリーの質問に答えた。
すると、ダドリーはほんの一瞬だけ渋い表情を浮かべたかと思うと、ふっと鼻先で軽く笑ってみせた。
「その話だが……、今朝方になって、デメトリアが夜会に出席する気になったらしい、と伯爵家から連絡があってね。だから、お前が夜会に出る必要はなくなった」
「え……、そんな……!」
ミランダが言葉を発するよりも先に、マダムの方が悲痛な叫びを上げる。
「ミランダのドレスや装飾品、全て注文してしまったのですよ?!おまけに、注文の取り消しを受け付けない仕立て屋にお願いしてしまったんです!」
「で、その夜会用に注文したドレスの代金を私に支払えと??そんなこと、私に言われたところで知ったことか。どうしても新調しなくても良い物を、お前達が勝手に浮かれてやっただけに過ぎない」
「そんな……!!」
ダドリーの一際冷たい物言いに、マダムの叫びは更に悲壮感を増していく。だが、その叫びはどこか芝居がかっている。
軽い錯乱状態のマダムとは違い、ミランダはやけに落ち着き払って彼らのやり取りを眺めていた。
マダムは何を期待していたのか知らないが、所詮娼婦の扱いなどその程度。夢を見るだけ馬鹿を見る。
夜会の衣装代は全てミランダの借金に回されてしまうだろう。
ダドリーは、顔色一つ変えないミランダに気付くと、「どうやらお前は納得しているようだな」と、唇を捻じ曲げてみせた。
「えぇ、私は自分自身の価値をちゃんと分かっているもの。ただの囲われ者以上の望みなんて抱かないわ」
ミランダの返事を聞いたダドリーは、満足そうに口角を吊り上げて笑った――、ような素振りを見せた。
「私は、お前のような、身の程をしっかりと弁えている女が好きなのだ」
(要は、自分にとってどこまでも都合の良い女が良いだけでしょ??そんなの、愛でも何でもないわ)
心の中反発を覚えながら、そういう自分自身も愛を語れるような人間ではない、と、ミランダは自嘲してすらいたのだった。
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