私の新しいご主人様 -スティールフォース・グラフィティ-

オリーブドラブ

私の新しいご主人様 -スティールフォース・グラフィティ-


 メイドたる者、主人の幸せを願って然るべきであり。自らの私情を優先してその道を阻むなど、言語道断。

 そんな在り方を己に課し、主人のために身を引く・・・・つもりでいた1人のメイドは、今。


「悪いな、クリス。俺の狙いは最初からずっと――お前だけだ」


「そっ……そんなっ……!」


 屋敷の廊下で、壁際に追い詰められ。主人の縁談相手であるはずの「英雄」に迫られ――己という花を、手折られようとしていた。


 20XX年、ベルリン。その大都市に聳えるガリアード邸にて、許されざる恋の花が。拒む余地すらなく、荒々しく開かれる――。


 ◇


 世界防衛軍は国家の枠組みを超え、外宇宙からの侵略者を迎え撃つべく結成された、この地球最大にして最強の防衛組織である。

 その組織内においても特に強い勢力を築き上げているのが、アメリカ支部と――ドイツ支部だ。


 ドイツ国内における防衛軍の地位は絶大であり、数多の軍人を輩出してきた「名門」はそのシンボルとなっていた。

 そんな「名門」の頂点に君臨し、ドイツ支部の「誇り」として戦い続けてきたのが――ゾーニャ・ガリアード大尉を輩出した、ガリアード家なのである。防衛軍きっての精鋭「駆動戦隊くどうせんたいスティールフォース」の隊長として、数多の戦場で活躍してきた彼女の名声は、ガリアード家の地位をより盤石なものにしていた。


 彼女を求める者は異星人との戦争が終結した今でも絶えることはなく、国内外を問わず多くの有力者からの縁談が殺到している。が、彼女はその全てをにべもなく断り、軍務に集中し続けていた。

 それが不吹竜史郎ふぶきりゅうしろうという青年への愛ゆえ、と知る者は少ない。彼女の妹であるレギーナ・ガリアードは、その数少ない・・・・1人であった。


 幼い頃から身体が弱く、ガリアード家の屋敷で療養の日々を送っていた彼女は、軍務で姉を支えることができないとコンプレックスを抱えてきた。

 だからこそ、せめて敬愛する姉には幸せを掴んで欲しいと祈り続けてきたのである。その姉が自分を守りたいという一心で、向いてもいない軍の道を選んでいたことなど知る由もなく。


 クリスティーネ・ヴァラハは、そんなレギーナ・ガリアードに仕えるメイドであり――幼い頃から彼女を支えてきた、家族のような存在だった。

 軍の名門として名を馳せるガリアード家の娘でありながら、小銃ライフルすら持てないほど非力で、病弱。そんな自分を恥じ、劣等感を抱えている彼女に長年寄り添ってきたクリスティーネにとって、今回の縁談は彼女の救いになるのでは、という期待があったのだ。


 今や全世界に知れ渡った「英雄」である、駆動戦隊スティールフォース。その隊員にして、ゾーニャが信頼を置く部下でもある敷島歩しきしまあゆむが相手となれば、反対する者もいないはず。

 レギーナも、ガリアード家の子女というプレッシャーから解放される。1人の少女として、女性としての幸せを求められるようになるのだ。


 これほどのハッピーエンドはないだろう。絶対にそうなるべきだ。クリスティーネは、そう信じていた。

 自分の気持ちにもようやく、見切りを付けられると信じていたのだ。


 この期に及んで、このようなことになるまでは。


 ◇


 スティールフォースの一員・明星戟みょうじょうげきの勝利によって、異星人との戦いが正真正銘の終結を迎えてから、数週間。宇宙で戦っていた軍人達が次々と降下し、地球全土は彼らを迎える歓待ムードに包まれていた。

 防衛軍の地位が高いドイツ国内においてはその傾向が特に強く、ベルリン市内は連日のようにパレードが開かれている。そんな表の騒がしさに反して、このガリアード邸の廊下だけは――まるで世界ごと切り離されているかのように、静かであった。


「や、やぁっ……ダメです、いけませんアユム様っ! お戯れを……!」

「そいつは酷い誤解だな。戯れ・・で俺がこんな真似をするような奴だってか」


 その静寂を破るように、クリスティーネ・ヴァラハ――通称「クリス」は、ダークブラウンのショートボブを振り乱して、精一杯の抵抗を試みる。透き通るような碧い瞳は動揺の色を露わにして、「英雄」の貌を映していた。

 そんな彼女を見詰める黒髪の美男子――敷島歩しきしまあゆむは、吸い込まれるような黒の瞳でクリスの眼を射抜き、決して逃すまいと片手で彼女の逃げ道を塞いでしまう。日本において、女性を誘う際にしばしば用いられる「壁ドン」という作法の一種だ。


 壁際では逃げ場もなく、片手で進路も封じられてしまっては、抵抗もままならない。それに何より、歩の胸板に触れている、クリスの白く優美な手は――彼を押し退けるには、あまりにもか弱い。

 本心からは抵抗していないことが、誰の目にも明らかなほどに、弱過ぎるのだ。無論、歩にもその胸中は看破されている。


「……お前のことを最初に聞いたのは、宇宙で戦っていた頃だ。隊長ゾーニャが任務と関係ない話をするときは大抵、お嬢かお前の話題だからな」

「ゾ、ゾーニャ様が……!?」

「妹は身体が弱いから、本当はいつも自分が付いてあげないといけない。でも、妹を守るためにも自分は戦いに行かなければならない。そんな自分に代わって、いつも妹のそばに居てくれるお前も、かけがえのない家族――なんだってよ」

「ゾーニャ様が、そんな……」


 恥ずかしがり屋で素直になれない。そんなガリアード家の長女は、使用人達にも言葉では上手く感謝を伝えられずにいた。その彼女が、メイドの自分をそのように評していたなんて。

 止め処なく溢れる「喜び」の感情が滴となり、クリスの目元に溢れてしまう。


「そいつを聞いて、俺も思うようになったってわけさ。……イイ女だ、ってな」

「……ッ!?」


 だが。妖しい笑みを浮かべてさらに距離を縮める歩の言葉が、「喜び」以上の「恥じらい」を噴き上がらせてしまう。目元を潤ませながら、耳まで赤くなる彼女の反応を愉しむように、歩は目を細めていた。


「妹に近づこうとする奴らを排除したいからってんで、隊長も俺を縁談相手に選んだらしいが……僥倖だったぜ。こうして、直にお前と会えたんだからな」

「ひ、酷いです……そんなの、あんまりです! お嬢様を口実にされるなんて! だって、お嬢様はっ……!」


 その鋭くも優しげな眼差しだけで、気を失いそうになってしまう。だが今は、その前に怒らなければならない。


 ――防衛軍のエースばかりが集まった、スティールフォース。

 その隊員としては一際破天荒で、型破りだった敷島歩と初めて出会った頃から。それ故の力強さを感じさせる彼の背に、クリスは惹かれていた。一目惚れ、と言ってもいい。


 ゾーニャがレギーナの縁談相手として彼を選んだのは、レギーナを狙う有力者達を弾くため……いわゆる「男除け」という目的が、第1にあったのだという。

 実際、ガードが固いゾーニャ本人を落とせないのなら妹から、という考えでレギーナに近づこうとする不埒な輩は後を絶たなかった。クリスや他の使用人達だけでは、拒みきれないほどに。


 そんな彼らでさえも、スティールフォースの隊員が相手とあっては流石に強くは出られなかったのか。歩が縁談相手として屋敷に訪れるようになった途端に、有力者達からの誘いが途絶えたのである。

 それでもレギーナに近づこうとする者を毅然と追い払っていた、彼の姿は――クリスの心を、完全に射止めてしまったのだ。


 しかし、彼はあくまでレギーナの縁談相手。メイドの自分ではお近付きになれるはずもなく、ただ彼と睦まじく語らう主人の姿を、遠くから見ていることしか出来ない。

 レギーナ自身も、自分を守ってくれている歩のことは憎からず思っているはず。ならば自分に出来ることはもう、縁談の成立を応援することだけ。


 この気持ちにも蓋をして、彼への想いは幸せな思い出として残しておこう。そうやって、上手くこの気持ちとも折り合いを付けられる……はずだったのだ。


 今こうして、彼に迫られるまでは。


「……お嬢が可哀想、だってか? お前らしいな」

「なにを笑っていらっしゃるのですかっ! いくらアユム様でも、こんなの……こんなの、あんまりですっ!」

「……」


 「喜び」から溢れていた滴が、「悲しみ」となってクリスの白い頬を伝う。その滴を指先で拭う歩は、やがて懐から――1枚の便箋を取り出した。

 可愛らしいハート形のシールが貼られた、その便箋を目にしたクリスがハッと顔を上げた先には。


『ワタル・ワダツミ様に、愛を込めて』


 という旨の言葉が、記されている。見間違えるはずもない、レギーナの字であった。


「あのお嬢、可愛い顔してやってくれるぜ……どうやら、ダシにされたのは俺の方だったらしい。すぐるを射止めたあおい博士といい、女ってのはいつだって男の上を行きやがる」

「えっ……? これ、お嬢様の字……でも、ワタル・ワダツミって……えっ……?」


 歩が苦笑を浮かべる一方で、クリスは訳がわからないといった表情で困惑していた。目の中がぐるぐると回っている。


 ――ワタル・ワダツミこと、海神渡わだつみわたるといえば。明星戟、敷島歩、そして彼が言及していた高天原卓たかまがはらすぐると同様、スティールフォースに所属しているゾーニャの部下だ。

 同僚にして友人でもある歩の手から、彼にこの恋文ラブレターを渡してもらいたい。それが、縁談を引き受けたレギーナからの要求だったのである。


 主人は歩と相思相愛の仲なのだと、今の今まで信じて疑わなかったクリスにとっては、青天の霹靂であった。

 つまるところ、ゾーニャはレギーナを守るために歩を縁談相手に選び。レギーナは渡に恋文を渡すために歩との縁談に応じて。歩はクリスに近づくために、この縁談に乗った……ということなのだ。


 実はレギーナにはすでに他に好きな人がいて、その好きな人に気持ちを伝えたいから歩を近くに置いていた。そんなことだとは露知らず、クリスは歩との恋を諦めかけていたのである。


「え、えぇっ……!? そ、そんなのって、じゃ、じゃあ……!?」

「俺がクリス狙いだってことを話したら、お嬢もウッキウキで勧めてくれたぜ? 今まで彼女にはずっと苦労を掛けてきたし、あなたなら信頼できる。どうか彼女を幸せにしてください、ってよ」

「レ、レギーナ様までそのようなことをっ!?」

「ウソだと思うなら言ってやろうか? お前の癖、好きな物、嫌いな物……こっちは全部予習済だぜ。『情報』は戦いの必需品だからな」

「あ、あぁあぁっ!? そ、そんなの絶対ダメ! 絶対ダメですぅっ!」


 遠くで主人レギーナが彼と睦まじく語らっていたのは、クリスが欲しいと主張する彼に「情報」を渡していたから。その真相を今になって理解した本人は、茹で蛸のように真っ赤になってしまう。

 だが、わたわたと振っていた両腕を掴まれた彼女は――照れ隠しの身動ぎさえ、封じられてしまった。


「――ってことは。もう誰にも何にも、遠慮はいらねぇな?」


「――ッ!?」


 そして、一瞬のうちに。


 抵抗も許さず。


 壁際故に、逃げ場もなく。


 眼を見開くクリスの唇は、容赦なく奪われてしまった。拒絶の言葉すら許さない、深く強引な口付けは、恥じらう暇もなくメイドの心を制圧していく。


 実際には、数秒。しかし永遠のようにも感じられる、そのひと時を経て――ようやく、互いの唇が離れた時には。

 歩に顎を持たれたクリスの貌は、すでに上気しきっていた。恥じらいの感情すら凌駕するキスの衝撃は、理性すら溶かしている。


「……ア、アユム、様」

「アユム様、じゃねぇだろ」


 上擦った声で、譫言のように呟く、薄い桜色の唇が。「お仕置き」と言わんばかりに、もう一度塞がれた。

 今度はより深く、奥まで味わうように。今は誰が「ご主人様」なのか、思い知らせるかのように。


「なぁ、クリス」

「……は、い……ご主人・・・


 そして、恥じらいを、躊躇いを、全ての「枷」を壊されてしまった彼女は。目の前の新しい主人・・を見上げ、想うがままに呟くのだった。


(クリスッ! アユム殿ッ! おめでとうイッヒ・グラトゥリーレ……ですわッ!)


 ――その惚けた貌を曲がり角から覗き込んでいたレギーナが、グッと親指を立てていることなど、知る由もなく。

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