第2話

 政府の要人が集まる船上パーティの会場。

 

 そこでは、ドレスとタキシードに身を包んだ何組もの男女が優雅にダンスを踊っている。皆がそれぞれに舞を楽しんでいるその中で、一組の男女だけがそうではなかった。

 

 二人は身体を密着させ、時々恋人同士がするように視線を絡ませている。ごく自然な笑みを浮かべて周りの客に溶け込む二人だが、実際のところ、その心中は表情とは対照的に冷え切っていた。それもそのはず、彼らは宣戦布告の為にこの会場へと侵入した月影の幹部。人工スキルホルダーの運用成功を祝うこの会で、良い気がしているはずがなかった。


 女の方は、身体のラインを際立たせるような赤のマーメイドドレス。深いスリットから覗く右脚は白く、適度に筋肉がついて引き締まっている。長い黒髪は一つに結い上げられていて、綺麗なうなじを惜しげなく晒していた。彼女はスカートの裾を広げて、くるりと一回転する。


 男の方は黒のタキシード。赤い髪に金色の瞳の、なかなかの美丈夫である。服の上からでも分かる筋肉は、女の護衛と言われても違和感がないほどだった。


「美しいお嬢さん、次は私と」


 曲の最中、女の美貌に惹かれてか一人の若い男がそんな言葉と共に手を差し出す。女は嫌悪感を押し殺して優しく笑み、その手を取ろうとした。しかし手と手が触れる直前、それはパートナーの男によって阻止される。


「悪りぃな。こいつ、俺のなんだわ。な、燐」


 男は女の腰に手を回して不敵に笑った。


 「綾人」と窘めるような声が、燐と呼ばれた妖艶な美女……というには少々歳若い女から上がる。


「こいつは俺以外とは踊らねえよ」


 尚も挑発的な言葉を口にする綾人に、若い男は気分を害したようだった。


「あなたの意思は聞いていない。お嬢さん、どうですか」


 燐はため息を吐き、「彼が怖いので」と首を横に振る。若い男は残念そうな顔をして、「それではまた、次の機会があれば」とその場を離れた。


「怖い? 好きの間違いだろ」


「あんまり調子に乗ってると刺すわよ」


「おいおい。俺ら、一応今は婚約者の設定だぜ」


「反吐が出そうだわ」


「酷えな」


 愛を囁いているようにすら見える表情と仕草で、二人はそんな会話を交わす。


 それから暫くして、綾人は「燐」と彼女の耳と自身の口が接近した一瞬で囁いた。


 燐が微かに頷く。そんな単純な仕草ですら、匂い立つような色香があった。


「分かってるわよ」


 彼女が少し背伸びするようにして発したその言葉の直後。重たい湿った音がして、人々は皆そちらに目を向ける。それまで奏でられていたクラシック音楽が止まり、会場はしんと静まり返った。それから立て続けに同じような音が六つ鳴って、誰かの絞り出すような悲鳴をきっかけにその場は喧騒に包まれる。


 会場の七箇所でみるみるうちに広がっていく赤を確認すると、燐は微かに目を細め、満足そうな表情を見せた。


「綾人、次はあんたよ」


「任せろ」


 その言葉と同時に綾人を中心として大きな立体が展開され、会場にいた人々を飲み込む。我先にと扉に手を伸ばしていた者たちは、それが半透明の障壁に阻まれて目を剥いた。パニックは一層大きくなり、人々の怒号が飛び交う。


 そんな中でも、燐と綾人は非常に落ち着いていた。


 足元から小さな立方体に押し上げられて、二人は宙に浮かびあがる。燐はそれに腰を下ろすと長い脚を組み、おもむろにスリッドからスカートの中へと手を伸ばした。スカートの中から再び現れた燐の手に握られていたのは、小ぶりな黒い拳銃。


「一回やってみたかったのよね。ドレスの中に拳銃。格好いいでしょ?」


「どこに付けてたんだ?」


「左足の内腿よ」


「内腿? 外じゃねえのか」


「馬鹿ね。私が着てるのはスリッドが入ったマーメイドドレスよ。外っ側じゃどう足掻いても隠せないわ。取り出しづらいけど、今回は用途が用途だからアリなのよ」


 ぱん、と乾いた音が響く。その銃口は天井に向けられていた。


 突然の銃声に客は皆静まりかえり、それが鳴った方……つまり、宙に浮かび上がっている燐と綾人を見つめる。しかし二人にそれを意に介した様子はない。


「あっぶねえな。ちゃっかりシャンデリアの留め具狙ってんじゃねえよ」


「よく気がついたわね」


「気がつかなかったら今頃真っ暗闇だぜ。パニック大きくさせてどうする」


「いいじゃない。あのシャンデリア、私の趣味じゃないんだもの」


「女王様かよ」


「うるさい」


 燐の放った弾丸は小さな立方体に覆われており、その中では今も放たれた鉄塊が暴れ回っていた。


「……あら。こんばんは、皆さん」


 燐は今更になって自分たちへの視線に気がついたかのように、その場の雰囲気にそぐわないような極上の笑みを向ける。


「自己紹介が遅れてごめんなさい。私たちは月影……あなたたちに仇なす、スキルホルダーを構成員とする非合法組織」


 よく通るその声は普段のそれより少し低い。会場全体に響かせるために、多少張っているのか。


 燐がそう名乗ると、会場にはざわめきが波のように広がっていく。


「月影?」「聞いたことあるか……?」「月華の間違いじゃない?」


燐は「月華」という言葉を聞いた途端、それに反応して声を上げた。


「いいえ。私たちは先日あなたたちが人工スキルホルダーとやらで壊滅させた組織、月華の意思を継ぐ者。月華とは別の組織よ」


 綾人は燐に目をやり、その表情を伺う。燐は……まだ冷静でいるようだ。


「そこに倒れている大臣たちは、私たちからの宣戦布告の証とすると良いわ。私としては嬲り殺しにしたかったのだけれど、首魁の厚意で痛みを感じる間もなく瞬殺よ。感謝なさい」


 会場のあちこちで、人々が囁き合っている。


「これから自分たちはどうなるのか」「まさか、人質にでもされるのではないだろうか」「いや、殺されるのかもしれない」と。


 燐はそれが気に食わなかったのか、銃を二回、先ほどと同じように撃った。


「黙りなさい」


 その震え声に、綾人は思わず彼女を静止するように「燐」と名前を呼ぶ。


「……これから先、私の許可なく声を発した者は殺す」


 息を飲む音があちこちから聞こえる。綾人は燐の伏せられた瞳をじっと見つめていた。


 憎しみと、怒りと、悲しみと……ありとあらゆる負の感情を綯い交ぜにしたそれは、心なしか潤んでいるようにも見える。


 燐は一度目を閉じ、ため息をついた。再び開かれたそれには、既に先ほどまでの感情は見えない。彼女はまた、不気味なほど完璧な笑顔を作り上げる。


「私たちも馬鹿じゃない。人質が必要なら、地位の高い大臣たちを殺さないで使うわよ。あなたたちには伝言を頼みたいの。……録画の準備をしてもらえるかしら?」


 綺麗に撮ってね、と燐は戯けたように言う。綾人は燐の座っていた箱をゆっくりと降ろし、彼女の視線が客と合うようにした。


 燐は組んだ脚の上に肘を乗せ、頬杖をつく。小指で頬を数回叩き、彼女は向けられた端末に目を向けた。


「私たち月影は明日の午後九時、内閣総理大臣官邸に伺います。良かったら、少しお話がしたいの。警備体制を整えるも人工スキルホルダーを設置するもそちらの好きにして頂戴。でもそちらが武力行使に出ない限り、私たちも手を出さないことを……そうね、これまでに流された、我が同胞の血に懸けて誓うわ。賢い判断を期待していてよ____」


 燐は不敵に微笑み、「以上。もう録画はやめて良いわよ。ご苦労様」と二回手を叩く。


「それじゃあ綾人、後はよろしくね」


「ああ、分かった」


 指を鳴らす音と共に、客を閉じ込めるために作られていた立方体が消えていく。燐は座っていたそれの上に立ち上がり、相変わらず静まり返っている客に背中を向けた。


「伝言、忘れないで頂戴ね。……ああそう、もう喋っても良いわよ。さようなら」


 彼女は上方から降りてきた綾人に抱き上げられ、巨大な立方体の中に入る。半透明のそれは、窓ガラスを割って海の上を飛んで行った。

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