第29話 誰がためにサイレンは鳴る 3

 ニシオカキミコの家は、一般的な現在の公営住宅とは違い、平屋の一軒家の賃貸住宅であったが、玄関の引き戸の鍵は壊れて、用途すら為していなかった。


「ニシオカさん、入りますよ!?」


 大きな声でケースワーカーの女性が彼女に言うが、ニシオカはニコニコと笑いながら頷くだけで、言葉は返さなかった。ユリウス達は、そのやり取りを聞いてから、中に足を踏み入れた。


「うわっ!」


 ユリウスが玄関の引き戸を開けると、どどっと白いビニール袋の塊が雪崩のように外に押し寄せて来た。次いで甘酸っぱい腐臭が辺りに漂う。

 セルフネグレクト。もしくは認知症が進み、自分の世話がしづらくなった人の特徴として、ごみが捨てられず、部屋の中にゴミをため込んでしまうというものがある。

 ユリウスも幾度かこのような現場に遭遇したことがあった。


「半月に一度片づけを手伝うのですが、すぐにこうなってしまうんです……」


 ケースワーカーの戸惑ったような言葉を尻目に、ハーフエルフ族の女性警察官であるエルミラがマグライトを取り出して、薄暗い部屋の中を見回し、壁の側にあったスイッチを入れた。チカチカ、と蛍光灯が点滅し、青白い光で部屋を照らした。


「これは……」


 辺りはゴミだらけだった。どうやって生活をしていたのかが不思議なくらいだ。押し入れは開きっぱなしで、新聞紙が紙袋に無造作に放り込まれて山のように積み上がっている。


「ニシオカさん、通帳とか大事なものはどこに入ってるか、わかる?」


 ユリウスは大きな声でニシオカに問いかけたが、彼女は微笑んだまま首をゆらゆらと上下に揺らしているだけである。


「いつもお財布はどこにしまってあるんですか?」

「あ……確かいつもはそこのタンスに……」


 戸惑ったようにそれを見つめていたケースワーカーにエルミラが聞けば、ゴミに埋もれた古い桐箪笥を指差した。


「タンス、開けてもいいですか?」


 もう一度、大きな声でユリウスが聞く。ニシオカがうんうん、と笑顔で頷いたのを見て箪笥の引き出しを開けた。


「あれ……」


 物凄く散らかっているだろうと予想していたユリウスは、整然と畳まれた着物をみて呆気にとられた。


「ごみは捨てられないけど、昔着ていた着物の整理はとても丁寧なんです。何というか、やれることとできないことにムラがあるんですよねぇ」


 ケースワーカーの女性がそう言いながらゴミを片付けようとしているのを見て、エルミラが「何も触らないでください」とぴしゃりと言った。


「貴重品は、どこにあるのかな?」


 上から順繰り引き出しを開けてゆき、畳まれた着物たちの奥底に、藤色の着物の端切れで作られた巾着が見えた。手に取って開けてみれば、保険証や通帳、キャッシュカードや印鑑が出てきた。


「よかった。あった……」

「待って、ガーランド君。通帳があっても残高があるとは限らない。今、刑事課に確認する」


 ホッとしたのも束の間、エルミラの言葉にハッと息をのむ。確かに、既に口座から引き出されている可能性だってあるのだ。


「記帳してみれば……分かるんじゃないかな」


 残高の記帳は3か月前までしかない。幸い、銀行は直ぐ近くだ。エルミラが成程、と頷いた。

 ユリウスは刑事課の応援を待たずに、ニシオカを連れて銀行へ行くことに決めた。



 ――――――


「死因は、頭部の挫滅だろうね」


 警察署から1時間半かかる大学病院の解剖室で、土井頭は司法解剖に立ち会っていた。事件性が薄ければ、遺体の検案は街中の医師に依頼する事も多い。だが今回は極めて事件性が高いため、司法解剖に回されたのだ。ちなみに、司法解剖が出来る医師は全国でも数少ない。出来る病院は限られていたが、今回は運よくすぐに滑り込むことが出来た。


「車に轢かれた?」


 解剖台の上の、砕けた頭蓋を見ながら土井頭が問いかけた。ゴブリン族の身長は、成人よりも小さい。人ならば小柄な中学生くらいの身長だろうか。折れてねじ曲がった長い腕からは痛々しく骨が突き出ていた。余程の衝撃に巻き込まれたのだろう。

 70半ばだろう男性医師は「じゃ、始めますね」と言うと、手際よくメスで腑分けし、赤黒い臓器をスケールの上に置いて、その重さを測りながら首を振った。


「いんや。車に轢かれたのも致命傷だろうけどね。後頭部見てよ」


 メスを一度置いた医師が無造作に遺体の頭部を土井頭に向ける。


「跡が棒状になってるでしょ。明らかに殴られてるよね。大腿骨が折れてるけどこれだけじゃ死なない。恐らくこれが決定打かな」

「一回轢いて、殴りに戻ったか……畜生だな」


 土井頭が手帳に医師の所見を書き込みながら唸る。それから医師が気だるげに「さて、今から胃の内容物見るよー」と言った。

 手の中のナイロン片は、バッグの取っ手ではないだろうか。と土井頭は考えていた。詳細は科捜研に送らねば分からないが、あのナイロンの編み方や厚さからして、量販されているスポーツバッグ。

 それを持って、被害者はどこへ行こうとしていたのか。

 そして、何故一度轢かれてから、もう一度口を封じるかのように殴られ殺されたのか。


「うわ。何これ」


 熱心に手帳に書きこんでいると、老医師の声で我に返った。


「どうしました?」

「見てよこれ」


 医師の血だらけのラテックスの手が何かを掴んでぶら下げている。土井頭はよく見ようと、近づいた。

 それは、小さなプレートがついた、鍵のようなもの。


「鍵、ですかね」

「そうだね。これがどこの鍵なのか調べるのは、お宅さんの仕事だね」


 医師のとぼけたような、無関心なその言葉に、土井頭は「その通りだ」とため息を吐いた。

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