10.エルフィラの悩み
市場で警備をした日以来、エルフィラの様子が少しおかしい。いつもだったら、どんな下らない2人の会話を聞いてもケラケラ笑っているのに、最近はあまり笑わなくなってしまった。訓練にもあまり身が入らないようになり、今日もベアトリゼ隊長からしこたま怒られた。
怒られるエルフィラを遠くで見ながら、ミリアーネとサリアが話していた。
「私は恋患いだと思うね。もしかして、同期エースのエルブラッドくんだったりして!ライバル多いから彼を射止めるのは大変だぞ~」
「なんで楽しそうなんだよ。でも私も心配だな。今日あたり聞いてみようか」
遠くから隊長が怒鳴った。
「貴様ら、ボーっと突っ立ってるんじゃない!腕立てでもしてろ!」
夕食時の食堂。最近はベアトリゼ隊長の訓練にもだんだん馴れてきて、食事の時に会話をする余力も残るようになってきていた。今日はミリアーネが、先日読んだ騎士道物語に今までにないモブキャラの殺害シーンを発見し、自分の研究がまた1つ進歩したことについて熱弁をふるっている。
「――――で、その本を読んで私の頭が保有するモブキャラ死亡パターンがさらに1つ増えて、78通りになったわけ。いや、この作者はモブキャラの殺し方考えるのだけは一流だと思ったね。その物語ではさ、モブ騎士を大釜に突き落としてスープのダシにしちゃうの。すごくない?作者はどんな頭してたらこんな陰惨なこと思いつくんだろうね?」
そして隣に座るエルフィラを、目だけ動かして見た。エルフィラはうつむいて、無心にパンをかじっている。
「食事中にそういうこと話すのやめろよ……食欲なくなるだろうが」
スープを啜っていたサリアは顔をしかめ、向かいに座るエルフィラを見た。やっぱりエルフィラはうつむいて、無心にパンをかじっている。2人の話はまるで耳に入っていないようだ。
「ていうかその死亡パターンっていうの、半分くらいドラゴンだとか火炎魔法だとかが死因になるものだろ?ここはファンタジーの世界じゃないんだぞ。モンスターや魔法なんて存在しないの。そんな事例集めても意味無いんだよ」
「意味あるもん!どっかの山奥で、不老不死の魔女がドラゴンを眷属にして公国侵攻を企んでいるかもしれないじゃん!」
その間も、エルフィラはもくもくとパンを食べ続けている。2人は目を見合わせ、(これはちょっとマズいね……)と思った。
「エルフィラさん?起きてます?」
サリアに目の前で手をひらひらされて、エルフィラはようやく我に返った。
「食事が済んだら、ちょっと中庭で涼もうか」
◆
初夏とはいえ、日が沈めば涼しい風が吹く。3人は中庭のベンチにエルフィラを真ん中にして座り、サリアが切り出した。
「最近ちょっと、元気がないように見えたから。もし何か悩んでて、私たちに言えることだったら聞かせてくれないかな」
「恋患いでしょ?相手は誰なんだい?私は口が固いから言ってごらん」
「茶化すんじゃない。エルフィラが話しにくくなるだろうが」
エルフィラは俯いてしばらく黙っていたが、やがてポツリと呟いた。
「私、騎士に向いてないんじゃないかって」
すかさずミリアーネが茶々を入れる。
「そんなことないよ。サリアだって剣はへなちょこだけど、なんとかやっていけてるし」
「お前もう帰れよ!だいたいミリアーネだって私よりちょっとうまいくらいだろ」
「いえ、剣が上手とか下手とか、そういうことじゃないの」
エルフィラがぽつぽつ話し始めた。
先日、市場の警備で泥棒騒ぎをしているときのこと。泥棒が自分たちの方に逃げてくるのを見て、ベアトリゼ隊長が剣を抜くように命じた。当然それは威嚇のためで、泥棒を斬ることまでは想定していなかった。エルフィラもそれは承知していた。しかし剣を抜いたとき、エルフィラは自分が震えているのに気付いたのである。
「もちろん、剣を抜いて初めて敵と対峙した、その恐怖もあった。だけど一番怖かったのは、『自分に人が斬れるのか』って考えてしまったことなの」
さすがのミリアーネももう茶々は入れなかった。エルフィラは話し続ける。
「泥棒が抵抗してきたら、もしかしたら斬ることになっていたかもしれないじゃない。私にそんなことができるのかって。私、昔は父が狩ってきたウサギを捌くのすら、泣いて嫌がってたのよ?」
貴族の父は、暇を見つけてよく狩りに行き、捕らえた獲物を召使いに捌かせて食べた。父が戯れで娘に「捌いてみるか?」と言ったとき、エルフィラは泣いて嫌がったものだった。
成長するにつれ、彼女は貴族のあり方に疑問を抱くようになった。王宮での出世を目指してごまをすったり賄賂を贈ったり、暇ができたら狩りに行ったりダンスパーティをしたり、そんなことが貴族の務めなのだろうか。もっと直接、人の役に立てる生き方がないのだろうか。そこまで考えて、騎士として生きることにしたのだった。どこかの貴族に嫁入りさせることを考えていた父は反対したが、最終的には娘の情熱に押され、同意してくれたのだった。
「だけど結局、私は甘ったれだったのかしら。剣をとって震えるなんて、騎士失格よね。やっぱり人の役に立ちたいなんて、そんなぼんやりした理由で騎士を目指したのが間違いなのかもしれないわ」
「私はそう思わないけどな」
サリアが言った。
「私なんか、騎士だった父のようになりたいって、それだけが理由だったんだ。貴族があえて騎士を選ぶなんて、なかなかできることじゃない。エルフィラはすごいよ。それにミリアーネを見なよ。騎士道物語と現実の区別がつかなくなって騎士を目指したなんて理由、後にも先にもミリアーネだけだ」
「私を引き合いに出さないでよ」
ミリアーネがぷりぷりしている。
「でも真面目な話、私も『人を斬ることへの躊躇』って大事だと思うな。それが無くなったら、人を守るはずの剣が、人を傷つけるための剣になっちゃう。騎士道物語にもたまにあるんだけど、主人公がなんのためらいもなく人を斬っていくんだよね。そういうのは剣の魔力に呑まれちゃってるように思えて、私は好きじゃない」
「途中までいいこと言ってたのに、なんでいちいち騎士道物語を引き合いに出すわけ?」
2人のやりとりに、エルフィラがふふ、と笑った。
「あ、久しぶりの笑顔いただきました!やっぱりお嬢は笑った顔が一番かわいいよ!」
「おい、夜に大声出すんじゃない」
いつも通りの2人の会話に、エルフィラは朗らかに笑いながら思った。この悩みはすぐに解決できるものじゃないだろう。でも、なんとなくだけれど、この2人と一緒なら乗り越えていける気がする。
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