2.違和感のある講義室

「不破、おい、不破」


 はっと顔を上げる。そこは見慣れた景色だった。無機質ないつもの講義室の、いつもの机と椅子。周りでは、ぞろぞろと人が席を立ち始めていた。


 頭のピントがうまく合わない。ええと、これは一体何だったか。


「もう講義終わったぞ。お前、ずっとここにいるつもりか?」


「え? あ、いや、」


 曖昧な返事を返す。話しかけてきたのは同じ学部の、ハセガワだかハセベだかという奴だ。金に近い茶色の髪を立てて、スタイリングしている。


 ぼんやりする頭に、少女の儚い微笑みが浮かんでくる。薄闇の中で、自分にその肉体を預けてくれた彼女。


 あれは一体なんだったのだろうか。「夢」がさらに続いていたら、自分は彼女を抱いていたのだろうか。


 いや、思考を戻そう、と頭を振り、無理やり脳内のチャンネルを現在に戻した。


 ああそうだ、今は経済統計学の講義を受けていたのだった、と彼は思い出す。電卓を手に、GDPの統計データと睨めっこをしていたのだ。


 ノートには「夢」を見る直前に書いていた数字が、今にも踊り出しそうにくねっていた。


「じゃ、俺行くからな。ぼーっとし過ぎに気を付けろよ」


「あ、ああ」


 ハセベだかハセガワだとかいう奴は、そう言い残して講義室を後にした。他の学生達の話し声も、段々と遠く小さくなっていく。


 部屋にはぽつねんと、彼一人が残されていた。


 辺りがぐにゃりと歪んだような、いびつな感覚。「夢」を見た後はいつもこうだった。


 ノートとペンケースを乱雑に掴み、バックパックに詰める。禿頭の教授がドヤ顔で表紙を飾る講義書(自分の著書を講義にかこつけて学生に買わせる辺り、ちゃっかりしているなぁと思う)も、一緒にそこへ詰め込んだ。


 チャックを閉め立ち上がろうとしたところ、ふらりとよろけた。机の足と自分の足が絡まり、バランスを崩したようだ。


 ただそれだけだった。


 だがその時に、脳内に目眩のようなものを覚えた。「夢」の後の余韻だけではない。


 何かが、今までの自分の見てきた景色とは違うという気がした。


 身体が半分になって、もう片方を何処かに落としてきてしまったような、胸の中に隙間が空いたような、そんな感覚。


 そしてその置いてきた半身は、あの「夢」の少女が持っている、そんな気がした。彼女の体の傷痕もきっと、何か自分と関係があるのかもしれない。


 あの少女は一体、どこの誰なのだろう?

あれは、これから起きる未来のことなのだろうか?それとも…


 体の中の一番意識が鮮明なところに、野の花のように可憐な彼女の泣きそうな微笑が、残っていた。

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