第4話 正しいことに立ち向かえ

「キミなら、仁義を貫き通す? それとも探偵としての宿命を全うする?」

「え?」

 突然の質問だ。仕事を優先か、それとも人として正しいことを優先させるのか、と聞いてきた。

「それは……」

 一度目は、探偵業を優先させた。無人の家に勝手に忍び込み、本を一冊持ち出した。これは仁義の欠片もない行いだ。

「本屋に用みたいだね。漫画かな?」

「参考書って可能性もあるよ」

 なけなしのフォローは一応してみるが、彼がまともに教科書を開いたところは見たことがない。

 大きなショルダーバックを肩にかけ、奥に入っていく。

「北野さんはここで待ってて」

「あの……杉野君も忙しそうだし、別の日にしようかなって……」

「それがいいかもしれないね。もしかしたら、テストに向けての問題集かもしれないし、これから家に帰って勉強の可能性もある」

「はい。じゃあまた……」

 あっさりと帰ってしまった北野さんを見送る。

「いいの? せっかくのチャンスだったのに」

「不穏を察する能力は、女性の方が備わっていたりするからね。リンは反対側から回って。俺はこのまま彼の通ったルートを行く」

 一度店を出て、隣にあるアクセサリーショップの隣から回った。まっすぐ進めば漫画のコーナーだ。

 棚に隠れ、適当な本を選ぶふりをして尻目に彼の動向を注意深く観察する。特に欲しい漫画がないのか、ジャンルの違うものを手に取ったり戻したりを繰り返している。

 通路に誰もいなくなったときだ。持っていた漫画を半開きファスナーの中に突っ込んだ。手にはもう何もない。これは。

 二、三度同じ悪行を重ね、杉野は本屋を出ていく。店員は気づかない。気づいていても、手出しはできないのか。

 誰かに背中を叩かれた。

「水瀬……」

 一言で言うなら、寂寥感だ。同じ気持ちでいるのか分からないが、俺も水瀬も、探偵としての高揚感は消え失せた。

「ちょっといい?」

 奢るよ、の一言に、水瀬に連れられるままエレベーターに乗った。素直になったのは、何も考えられないからだ。目の前にいる人が善人だったから良かったものの、悪人でもついていったかもしれない。それほど、俺の精神状態は危うかった。

 レストラン街に到着し、ハンバーガーショップに入るものだと思っていたらチェーン店のドーナツショップだ。毎度奢ってもらっては悪いので俺が出そうとしたら、端末を押し当てられてしまった。

 俺はシンプルな柔らかい触感のドーナツとコーラ。水瀬は砂糖を目いっぱいまぶしたドーナツとマフィン、それとホットコーヒー。

「甘いもの好きなの?」

「好きだよ。卵焼きも砂糖がたくさん入ってた方がいい」

 そのわりにはコーヒーには何も入れない。

「それじゃあ、反省会といこうかな」

「……俺さ、探偵を名乗るの恥ずかしくなってきた」

「どうして?」

「解決もできないし、仁義も通せない。何もかもが中途半端で」

 ふわふわのバナナマフィンを見ていると、俺も頼めば良かったと少し後悔する。気持ちを悟ったのか、水瀬は半分にすると俺に差し出した。皿を持ち上げると、不服そうになりながらもすぐに笑顔になり、半分置いた。

「好きな心理学の話でもしようかな」

「心理学?」

「人の感情なんて、コントロールできないんだよ。それともできるって自惚れているの?」

「自惚れてなんかないよ……」

「俺は待っていてと言ったのに、帰ったのは彼女の意思だ。ラブレターを渡さなかったのも。だから、これはキミの問題じゃない。問題点を分離して考えてみて」

「それなら、仁義は?」

 正直、これはかなり堪えている。自分自身は道理を外れないで生きてきたつもりだし、そこは厳しく教えられた。今までの生き様が真っ向から否定されたようで、心が沈みきっている。

「リンがなんと思おうが、正しい選択だった」

「捕まえなかったことが?」

「今時、店員でも手を出すなと指導を受けているよ。本職の人がいるのに捕まえるのなんて店員の仕事じゃないし、逮捕できる権限は探偵にもない。相手は道を外れた人間だよ? 何を持っているか分からないし、手を出してくる可能性も考えられる」

「それなら、どうすれば……」

 黙っているわけにもいかない。かといって明暗は何も浮かばない。とりあえずもらったマフィンを食べた。水瀬は一口食べたものを渡せば良かったと呟いている。何なんだ、この人は。

「探偵の仕事はまだ続きがある。メモ帳は持ってる?」

「あるよ」

「ひとりでは莫大な量だ。ふたりで分けよう」

 宝物を見つけた子供の顔だ。彼の言ったことをメモし、俺は分かる範囲で杉野の情報を彼に伝えた。どんな些細な情報でも必須で、趣味や普段の成績、誕生日、血液型、好きな食べ物など。

 俺たちは駅前で別れ、帰宅した。

「今日は遅かったわね」

「ドーナツ食べてきたんだ」

「うそ、お土産は?」

「ないよ。奢ってもらったし」

 がっかりした妹の顔を見ていると申し訳なくなる。バナナマフィンがとても美味しかったとは、言わないでおこう。

 夕食はメンチカツ。エビフライにドーナツときて、今日は揚げ物が多い日だ。

「奢ってもらったって、誰に?」

「クラスメイトだよ。転入してきた人」

「今度、必ず連れてきなさいね」

「……うん、誘ってみる」

 誘えるかどうかは俺の勇気次第だ。頑張ってみよう。

 未だに胃に残るドーナツが圧迫して、結局ご飯は半分ほど残した。美味しいのにもったいない。

 風呂に入って疲れごと落とした後は、探偵業の続きだ。メモ帳に残っている文は、杉野の個人情報とネット上のオークションサイトの数々。無料登録さえすれば誰でも利用できるものや、月額料金を支払わなければ購入できないものと様々だ。

 アカウントのIDは、個人情報から拾ってみる。名前と誕生日が怪しいが、あだ名でもヒットするものはない。

 名字も試してみようとしたら、水瀬からメッセージが届いた。『SUGINO1130』は、そのまますぎる。続いて、サイトのURLもすぐに送られてきた。

「さすがにまんますぎるでしょ……」

 呆れて頭を抱えてしまった。窃盗した本を、ビニールに覆われた状態で写真を載せているのだ。

 他にも漫画やゲームなどもあった。すべて新品だと書いてある。新品というのは、すべてイコールにすることはできないが、あの犯罪行為を見てしまっては、疑いの目を向けてしまう。

──見たよ。ほぼ決まりかな、これ。

──俺もそう思う。後のことは任せて。よく頑張ったね。

──任せて? どうするの?

──明日また学校でね。

 そこでメッセージは途切れてしまった。俺にできるのはここまでだ。今日はおとなしく寝よう。体力の回復できるときも、探偵として必要なこと。そう思ったが、鞄に入れっぱなし立った水瀬からの本が気になりすぎて、寝つけなかった。

 淡い明かりだけをつけ、綺麗になった本をめくる。

「え…………」

 これはどういうことだ。内容に驚愕しているのではなく、登場人物にだ。

「……水瀬葵?」

 主人公の名前は、水瀬葵。漢字の間違いもなく、俺のクラスメイトと同じ名前だった。

「な、なんで? どうして……」

 わけが分からない。謎の多い男だと思っていたが、まさか本が彼の名を借りたわけでもないだろうし、偶然の一致とも考えられない。

 可能性が高いのは、クラスメイトの水瀬葵は偽名であるというそと。明日、彼と話し合うことが増えてしまった。


 翌朝、山ほどあった聞きたいことが行方をさまよう羽目になった。水瀬が休みだと担任から伝えられ、言葉を飲み込むしかなかった。休み時間などそれほど話すわけではないが、彼がいないとこうも心に穴が空くのか。

 悶々としたまま昼休みを迎え、教室にはいたくない気分だったので部活の空き教室で昼食をとることにした。

 おにぎり一個と、豪華なおかず。冷凍食品をほとんど食べたことがないなんて、贅沢かもしれない。母は料理上手だ。お菓子も作るし、朝食からテーブルを彩る。俺も少しは母に習っている。

 昨日のメンチカツのたねでロールキャベツが入っている。メインででかでかと陣取り、他にはひじきの煮物やほうれん草の和え物、卵焼き。

 ノックの音がして、俺が返事をするより先にドアが引いた。昨日会ったばかりなのに、今の今まで北野さんのことを忘れていた。

「あの……一緒に食べていいですか?」

「え? 俺と?」

 別に構わないので、横に置いたふたを片づけると彼女は隣に腰を下ろす。

「昨日の話なんですけど、」

「うん」

「ごめんなさい。やっぱり……ラブレターを渡すの止めようと思って」

「そっか。そう決めたんならいいと思う」

 そうしてもらえると有り難い。こちらとしては、君の好きな人は犯罪者だなんて例え口が裂けても言えない。

「でもなんで急に?」

「……探偵クラブって、人募集してたりします?」

 この流れは。背中に変な汗が滲む。

「人手は……足りてるかな」

「そうですか……水瀬君って彼女いるのかな」

「な、なんで? 杉野が好きなんじゃ」

「ちょっと気になっただけです」

「水瀬はダメだよ」

「どうして?」

 怪しい目を向けられてしまった。

「今日、水瀬君はいないの?」

「休んでる。事情は知らない」

 なぜ女子は心変わりが激しいんだ。男には一生理解できない生物だ。

「ともかく、北野さんの依頼は解決したってことでいいんだよね? ラブレター渡す気がないなら杉野に彼女がいるかどうかも調べなくていい?」

「それは……構わないけど」

「よし、なら解決」

「また依頼してもいい?」

 嫌な予感がしたが、断るわけにはいかなかった。

「水瀬君に彼女かいるか確認してほしいの」

 そうきたか。

「確認はできる。でも協力はできないよ」

「どうして?」

「人の気持ちはコントロールできないから。北野さんにも心はあるし、当然水瀬にも心がある。無理やりくっつけようともしない」

 本人に言われた問題点の分離だ。依頼は受けても協力はしない。この言葉を俺はけっこう気に入っている。

 はっきり告げると、北野さんは諦めてくれた。

 ふと気になって端末を見るが、水瀬からメール一つ届いていない。

 昼食の後、教室に帰るついでに職員室に寄ってみた。担任はパソコンと向かい合っている。

 水瀬について聞くと、風邪だと本人から連絡があったのだそうだ。

「家に何か届けるものはありますか?」

「いいのか? それじゃあ頼む。もし仲が良いなら気にかけてやってくれ。一人暮らしで、頼る人はいないらしいからな」

 一人暮らしだから気ままだと言っていたが、親は近くに住んでいないのだろうか。

 茶封筒に入った資料は、思っていたより重かった。それと住所を受け取り、地図アプリに入力する。最寄り駅の反対側だ。

 ホームルームが終わっていざ向かうと、本人の了承も得ずにいいのかと立ち止まった。

 電話は無理だ。電話恐怖症なのではないかというほど、手が震えてかけられない。メールを打つが、既読にはならなかった。

 残る選択肢は二つ。電話をかけるか直接向かうか。俺は後者をとった。

 真新しい白い外壁と年季の入った階段はミスマッチな建物だ。外側だけを綺麗に塗り替えたのだろう。

 ドアについている番号を確認し、一度深呼吸をする。クラスメイトの家に訪ねるなんて、生まれて初めての経験だ。

 インターホンを押すが、返事はない。いつ読んだのか、俺が送ったメッセージには既読がついていた。読んでもらえたのに、なんだかさみしい。

──部屋にいる?

──いる。

 単文すぎて、これもさみしい。

──開けてほしいな?

 ちょっとだけかわいこぶって送ってみた。中がどたばたと騒がしい。

 内側から鍵を開けられ、家主が顔を出した。Tシャツにジャージというラフな格好の水瀬は、肌が高揚している。勢いよく抱きしめられれば、こもる熱も加わり息苦しくなった。

「本当に熱あったの? 先生は風邪としか言ってなかったよ」

「リン……来てくれると思わなかった……」

「ごめん、勝手にお邪魔して。ちょっと一回戻る」

「ええ? なんで?」

「コンビニに行って、何か買ってくるから。何食べたい? 今日はご飯食べた?」

「お茶は飲んだ。食べるものならあるから行かないで。お願い」

 水瀬の手が震えている。俺も背中に手を回すと、ほっとしたように震えは止まった。施錠の音が聞こえ顔を上げると、水瀬は赤い顔のままにっこりと笑った。

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