7時限目 進まない授業



 魔導学。

 数ある先達によって開拓された知識の量は膨大で、この世界で、全ての魔導を理解しているものはいないと言われている。


 ゆえに貴族学校において生徒たちが学ぶ課程は、千ページを超える魔導理論とその変遷へんせん、さらには実践。時の研鑽けんさんを経た、ありとあらゆる知識を、この魔導学で学ぶ事になっている。


「先生、そこのページ、さっきも読みましたー」


「あ、本当か?」


「はい、十五分前に」


 シオンの言葉に、ダンテは教科書を改めて見直した。砂つぶのように小さな単語群。書かれている言葉は難解で理解しがたいものだった。「だめだ分からん」とぶつぶつ言いながら、ダンテは次のページをめくった。 


「えーと……魔導における転換期は十六世紀に訪れた……ハインツ卿による魔導大系の確立は、人間と神秘の分離意識の変革と、さらに高度な干渉能力への道筋を示していた。すなわち神秘を意のままに操ることが魔導と呼ばれるようになったことは読者も知る通りである。しかしこれに意を唱える魔導師も現れた……パラドクス派の、アイセブリッチ・バ……バ…」


「バンバーニンガムです」


「……そのバンバー何ちゃらが提唱したのは……神秘を操るのではなく、神秘と交渉を行う。つまり一方通行的な神秘への接続ではなく、より還元的な方へと人間を置く、のちに現れる神秘主義者的な一側面を持っていたのである……ということだな、よし分かったか」


「分からないニャ。先生はただ教科書を読んでるだけニャ」


 教壇にに立ったダンテは肩を落とした。分厚い教科書を放り投げると、イライラしたように机を叩いた。


「俺も分かんねえよ」


「先生って勉強はからっきしなんだね」リリアはおかしそうにクスクスと笑いながら「面白い」と言った。


「リリア……先生、馬鹿にするの良くない……」


「そうだ、マキネスの言う通りだ。第一、こんな魔導学なんて学んだって、なんの意味もない。机上きじょうの空論だ、こんなもん」


「先生はどうやって魔導を覚えたんですか?」


「ノリと気合だ。こんなもん。例えばなぁ、ベリウス!」


 そう言うと、ダンテは教卓を叩いた。ポンという音とともに、机が輝いてウサギのような形をした一つ目の小動物が現れた。


「真名を口にして、神秘を手元に吸い寄せるんだ。来いと思ったら、消えろと思ったら消える」


 ダンテが宙で手をひねると、小動物は跡形もなく霧散した。


「簡単だろ?」


「分からニャい。先生は天才型ニャ」


「みなまで言うなよ。そうだ俺は天才だ」


「でも、これじゃあ学科試験を突破できません」


 悲しそうな顔でシオンはうなだれた。ペンを机に置くと、ダンテに言った。


「学科試験は非常に難しいんです。教授の授業をまともに聞いていても、なんとか合格できるほどです。授業が受けられないとなると、とても困っちゃうんです」


 シオンの言うことはもっともだった。


 学科試験は一学期に一度行われる。

 赤点を取れば、補習と追試コース。さらにはクラス落ちまであり得る。ナッツクラスの彼らにとっては退学すら起こりかねない重大案件だ。


 もちろんダンテもその重要さを理解していた。


「どうにかしなきゃいかんが、さすがに俺の力じゃあなぁ……」


 ダンテはまともな学校に行ったことがない。


 田舎から出てきて、王都兵団に入って以降は任務に次ぐ任務で、まともに勉強したことは一度もなかった。こんなに文字を読んだのも、何年ぶりか分からない。


「ちなみに前回の点数はいくつだったんだ」


「僕は200点満点中184点でした」


 シオンが誇らしげに言った。


「すごいじゃないか。リリアは?」


「私は98点」


「まぁまぁか。マキネス」


「……103点」


「どっこいどっこいだな。ミミは?」


「3ニャ」


「さん?」


「3点ニャ」


 要は一問しかできていなかった。


「選択問題ニャ。たまたま合っていて、とても嬉しかったニャ」


「頭がいたくなってきた」


「じっとしているのは嫌いニャ。今も耳の後ろがこそばゆくてしょうがないニャ」


 ぴょんと机の上に飛び乗ると、ミミは脚を曲げて自分の耳の後ろをがしがしと掻いて、大きくあくびをした。


「学科系の科目か。とんだ難点だ。実技なら少しは教えられるんだが」


「……先生、私、眠くなってきた」


 後ろの方でリリアもあくびをしていた。隣に座るマキネスもうとうとしている。始まって30分ほどしか経っていないが、すでに授業崩壊が始まっていた。


 ダンテも限界だった。文字を追いすぎて目が痛い。


「これはダメだな。学科試験は後で考えよう。ようし、外に出るぞ。実践授業だ!」


「やったニャ!」


 嬉しそうに飛び跳ねたミミは、教室の隅っこの壁板を蹴り上げて、外に飛び出した。続いてリリアたちも嬉しそうに後に続いていった。


「さて、何から教えようか」


 学生を教えた経験はないが、兵団の小隊長として何人もの部下を教育してきた。やることはそこまで変わらない。


 校庭の中心に、ダンテは生徒たちを集めた。旧校舎の校庭はやけに広くて、校旗を掲揚するポールがある以外は雑草の生えた荒地と変わらなかった。


 邪魔になりそうな小石を取り除きながら、ダンテは言った。


「まずはお前らの実力を見ておきたい。どれくらい運動能力があって、どんな魔導を使うのか、実際に試すのが一番だ」


「テストってことだね」


 リリアの言葉にダンテは頷いた。


「模擬戦闘を突破するくらいの力は付けてもらいたい。学科よりずっと点数の比重が高いし、分かりやすい」


「どうやってテストするんですか?」


「当然、実践だ」


 そう言うとダンテは本校舎から拝借した小ぶりな模擬剣を、生徒たちに投げ渡した。当たってもさほど痛くない物質でできた模擬剣は木刀よりも重宝されている。


「これってつまり……」


「お前らの武器だ。四対一。俺に一撃でも攻撃を食らわせられたらテスト合格だ」


「……先生が怪我しちゃう……」


「心配しなくて良いぞ、マキネス。手加減は無用だ。もちろん模擬剣を使わなくても構わん。魔導でもなんでも、俺に当てれば勝ちだ」


「面白そうですね。四対一ならいける気がします」


 目を輝かせながらシオンは、ダンテを見上げて「合格したら何があるんですか?」と言った。


「そうだな……下の街に行って欲しいものを買ってきてやるよ」


「ミミは生魚が良いニャ」


「僕はクリーム団子が良いです」


「良いぜ、団子だろうが、生魚だろうが勝ってやる。本当に当てられるもんならな」


 ダンテは着ていた上着を脱いで、模擬剣を構えた生徒たちに向かい合った。もっとも簡単で分かりやすい測定方法。今の彼らがどれくらいの実力を持っているかが一瞬で分かる。


(ようやく身体が動かせる)


 校舎に取り付けられたチャイムの音を合図に、二時限目の実践訓練が始まった。

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