Red Hand Day

一条 灯夜

第1話

 安全なヨーロッパの事務所で、快適な空調の中で依頼書に許可のサインをしたお偉いさんは、二月十二日のメモリアルデーに合わせたような仕事に、満足げに頷いていたことだろう。

 まあ、世の中はそういうもんだ。

 現場で汗水流す連中より頭脳労働していると連中が、高い金もらって、良いスーツ着て、高級車乗り回して、病院で十分に手を尽くされて長生きする。志や理念がどうのといわれても、所詮は別の世界の話で、ビジネス以外の接点があるわけじゃない。

 そして、多分、逆もまた然り。有力者に媚売って尻を持ち上げて、潔白のイメージを保つことに胃をキリキリさせてる連中は、気ままに世界中をうろついて仕事するノーマッドに冒険やロマンを感じ、その自由に憧れるのだろう。

 結局は隣の芝生ってやつだ。

 そして、俺にしてみれば神様に割り振られた先が、たまたま少しばかり政治理念的には多少なりともクリーンな団体だったってだけの話だ。


 日本じゃ余り知られていないが、二〇〇二年の二月十二日に【武力紛争における児童の関与に関する児童の権利に関する条約】の選択議定書が発効された。

 非常に簡単に内容を説明するなら、十八歳未満の児童に対する徴兵の禁止(例外的に、国軍への志願者に対しては条件付で許可されてはいるが)と、国軍以外の武装集団が十八歳未満の児童を採用した場合、それを犯罪と定義することとされている。

 そして、少年兵の問題を周知するために、二月十二日をRed Hand Dayとして国際的な記念日に認定している。

 とはいえ、そんな条約ひとつでいきなり全ての問題が解決されるわけでもなく――。

 難民認定にも難がある少年兵や元少年兵の大人が、負のスパイラルを抜け出すのは容易ではない。無論、それは、紛争国のSecurity Sector Reform(治安部門改革、略称SSR)のDisarmament Demobilization Reintegration(武装解除・動員解除・社会復帰、略称DDR)の難しさと直結しており、紛争で荒廃した国の復興に、濃い影を落としている。


 兎にも角にも、メールで受け取った依頼書には、どんなものでも溜息ひとつで頭を掻いて応じるしかない。

 文句を言うのは自由だが、なにを言った所で、稼がなけりゃ食っていけない。依頼主がどんなお題目を掲げても、俺の動機は金のためだ。

 てか、逆に考えれば、金抜きで人は動かない。無償の善意は、俺の肌には合わない。金を出さない国や役人に振る尻尾は、生憎持ち合わせていない。


 ガタガタ喧しいポンコツプリンター――先進国の廃棄家電の再利用だが、日本メーカーのだし、ここでは先進国のゴミでも高級品だ――で書類を出力しながら、持って行く荷物を荷物を整理し始める現場の俺。


 一口にアフリカといっても、気候は様々だ。が、とりあえずここは、日本で広く流布しているイメージ通りに年中暑かった。

 もっとも、サハラからの風による乾季のおかげで、二月の今は湿度だけは下がっているが。ただそれも、雨季のような蒸し暑さ――この地域の雨季は、日本の梅雨を、湿度そのままに最高気温を五~六度上げたような、恐ろしく不快な季節だった――が、ごく僅かに和らいだというだけで、気温そのものは変化していないんだけどな。

 この場所は、赤道に近いせいで、四季なんてありはしない。最高気温はどの月も三十五度前後だ。測定地点によっては、体温を余裕で越えてくる。

 まあ、つまるところ、こんなクソ暑い日に仕事なんてするべきじゃないんだが……。

「こんなところが日本人なんだよな」

 どんな災害の中でも出社してしまうサラリーマンよろしく、契約終了間際のこの時期の無茶な追加オーダーに応えるため、身支度を整えた俺は、多少なりとも空調が存在していたホテルを背に、雇い主のNGOから貸与された古い型の日本製の軽トラに乗り込んで、エンジンを掛けた。


 信号が日本ほどしっかりと整備されていないので、街中ではゆっくりと車を走らせる。途中、勝手に荷台に乗ってくる連中は基本的には放置するのが一番だ。大多数は自分の目的地に近い適当な場所で勝手に降りていくし、追い払おうとすると銃口やナタがこちらに向く場合がある。強盗目的は……まあ、二十件か三十件に一回程度だし、それもこちらがきちんと自衛のための武力を有していると解れば大人しく諦めるケースが多い。

 妙な言い回しになるが、向こうも強盗慣れしているのだ。戦う力のある人間と事を構える面倒さは、熟知している。

 とはいえ、そうした犯罪も傾向が最近は変わってきたと思う。

 町並みは、この国に来て以来常に変化し続けていた。

 でも、まあ、それもそうかもしれない。アフリカでエボラが猛威を振るったのは、比較的最近のことだし、他の完全治療薬の存在しない難病もこの地には多い。

 エボラの終息宣言後に仕事でこの国に入った時には、まだちらほらと仮設・増設された医療関連の設備が見られたが、もうその痕跡は感じられない。乾季に入って、雨季よりは動きやすくなったおかげで、都市の再開発が進んでいる。

 ただ――。

 アスファルトで舗装された道は、郊外に近付くほどひび割れが目立つようになる。町から二~三キロ離れれば、草が生えていないということだけで、野原とかろうじて区別出来る程度の道に変わった。

 もしこの光景が日本のテレビで報道されるなら、きっと、地方との格差! なんて苦労して無そうな女子アナが叫ぶんだろうな。んで、したり顔の専門家だか評論家だかのわけの分からない肩書きの爺さん婆さんが、都市部の住民がいかにも地方から搾取しているように、口角泡を飛ばして口々に政治家を批判する。ここの都市部の連中は、欧州の銀行からの借金を返すために、工場やインフラ整備、輸出入の管理と、地方とは違う仕事をしているだけの、同じかそれ以上の貧者なのにな。

 ただ、そうした興味や感傷も、次の番組が始まるまでの精々一時間にも満たない娯楽で終わるんだろうけどな。

 もしかしたら、その中のひとりふたりは、本気でなんとかしたいと考え――海外にボランティアで行くのかもしれないが、大半は逆に現地に迷惑を掛けて終わる。災害時の対応と一緒だ。自分の世話さえきちんと出来ない人間が来たところで、困っている人間の手助けなんて出来るわけ無いだろ。

 人を助けたいなら、知識や技術を身につけ、金を貯め、組織を作り……それでも、やっぱり、動機が善意だけだったら高確率で失敗する。ナイチンゲールの時代で既に、その事実が有名な言葉で残されている。それは現代も変わらん。人の作る社会システムとは、完璧には程遠い。少し考えれば、誰にでも分かることだ。

 子供の頃、正しいことをしようとした所で、現実は思い通りにいかないことばかりだったじゃないか。進学で妥協がどういうものかを学んだし、最後に会社勤めで正しいことと合法であるとのギャップを理解し、組織に取り込まれ、自分で判断することを止め、誰かの命令で動くことに慣れていく。

 ……ふん。

 ま、自分が特別だ、なんて言うつもりも無いけどな。

 むしろ、どこにも属さずに、気に入った仕事を請けて世界中を流離ってる俺みたいなのは、社会不適合者として後ろ指差される程度のものだろうよ。

 もう一度だけ、ふん、と、鼻を鳴らし、国境に向かってアクセルを踏み込んだ。

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