第二章

第13話 そうめんと海

 ある休日の昼、俺と先生はテレビを眺めながらもう五日は連続で食卓に並んだそうめんをうんざりしながら食していた。


「先生、聞いてもいいですか?」


「なにかな?」


「そうめんって、あとどれぐらい残ってるんですか?」


「あと五日分ぐらいかな……」


「はぁ……」


 そうめん生活を始めた初日、先生がお裾分けでそうめんを貰って来た時は、それはもう夏がいよいよ始まったかとわくわくしたものだ。が、二日目三日目と食卓にそうめんが並ぶにつれて、その喜びは地獄へと変わっていく。俺は本気でループ世界に迷い込んだのではないかと勘違いするほどに、来る日も来る日もそうめんを食べ続けている。


 そんなにそうめんが嫌なら他の物を食えばいいじゃないか?


 きっとみんなはそう思うかもしれない。が、俺たちは月末の金欠生活を送っているのだ。米櫃はついに底をつき、パスタもなくなった。今、我が家の炭水化物はそうめんを置いて他にないのだ。ついに昨日は弁当にまでそうめんが出て、泣きながら食ったのを覚えている。


「ほ、ほらそうめんを貰っていなかったら、今頃お腹を空かせて倒れてたかもしれないよ。むしろ、そうめんを貰えてラッキーだったね」


 と、先生は俺にプラス思考を迫って来るが、今の俺はそうめんという単語を聞くだけで軽く吐き気がする。どうやらそれは先生も同じようで、昨晩は「そうめんでお米を売ってください」とわけのわからない寝言を言っていた。


「先生、それ本気で言ってますか?」


 と聞くと先生は「えへへ……」と苦笑いを浮かべてから、しばらくしてため息を吐いた。


 とにかく、そうめんそうめんそうめんの毎日に俺たちは辟易していた。今、そうめん以外の物を食わせてくれる人が現れたら俺は喜んでその人の靴を舐められる自信がある。


 俺は一時間ほどかけてなんとか、先生が持っていた流しそうめんセットで流れるそうめんを食べきった。流しそうめんにすれば少しは食べるのが楽しくなるかと思ったが、あくまでそうめんはそうめんだった。


 お腹が膨れた先生と俺はそのままバタンと床に倒れこみ各々ゴロゴロし始める。


 それにしても暑い。


 窓を全開にしても外からはほとんど風は流れてこないし、扇風機を回したところで生温かい空気が流れるだけでちっとも涼しくない。もちろんエアコンなんて近未来兵器はこの家にあるわけもない。ただただ先生がつけていたラジオから昨日、熱中症で高校生が死んだというニュースが部屋に響き渡るだけだ。


 いや、全然他人事じゃない……。


 こんな日は寝るしかない。もちろん遊びに行くお金なんてないしレンタルビデオ店で映画のDVDを借りるようなお金もない。ただただラジオを聞きながら時間が過ぎるのを待つだけだ。


 いつもならばこのまま先生も俺もお昼寝をして夕方ごろに活動を再開するのだが、今日は少し違った。


 俺が瞳を閉じて、うとうとしていると、我が家のドアがどんどんと力強くノックされた。


 が、俺も先生も居留守は心得ており、しばらく無視していたのだが、ノックは鳴りやまずしまいには「おい、いるのはわかっているんだっ!!」と、なんとも物騒な言葉が聞こえてきて、さすがに俺も先生も飛び起きる。


「ち、近本くん、怖いよ……」


 と、先生は俺のもとへと寄ってくる。


「ま、まさか借金取りとかじゃないですよね……」


「そ、そんなはずないよ。今月もちゃんとお金返したもん」


「じゃ、じゃあ誰なんですか……」


「誰かな……女の人みたいだね……」


 俺と先生は抱き合いながら突然の訪問者にがくがく体を震わせる。が、しつこくドアを叩かれそろそろ居留守を続けるのもキツくなったところで、俺は立ち上がる。


「近本くん、殺されちゃうよ……」


「いや、さすがにそれはないでしょ……」


 とは言ったものの、足はガクガクと震えている。


 俺は玄関へと歩いていくと、もはや目隠し以外の役割を担っていないベニヤ板の扉を開いた。


「お前は誰だっ!!」


 と、玄関の前に立っていた女はそう言って俺を見やった。


 いや、こっちのセリフだよっ‼︎


 が、そこで俺は気づいた。その女が何故かビキニの薄手のカーディガンを羽織っただけという大胆な出で立ちだということに。ひまわり柄のビキニはEカップかFカップはありそうな豊満な胸を窮屈そうに支えており、パレオからは真っ白い太ももが伸びていた。そして、女は陸地だというのにお腹に浮き輪を巻いている。


 そのグラマラスな身体に思わず見惚れていると、女は何やら悪戯な笑みを浮かべる。そして、妙にいやらしく俺のあごを人差し指ですりすりと撫でる。


「女ってのは案外男の視線がどこに向いているのか、しっかりとわかっているものなんだぞ?」


 俺は慌てて女から顔を背ける。そんな素直すぎる俺の反応に女はくすくすと笑っていた。


「で、何か用ですか? ってか、あんた何者ですか……」


 至極当たり前の質問をすると女は何故かため息を吐く。


「少年、今日は何の日かわかるかね」


「はあ? え、え~と、海の日だったと思いますけど……」


「そう今日は海開きの日だ。実は海辺に私が所有するペンションがあるんだ。そこに三人で行って思う存分海を満喫しようではないかっ!!」


 と、見ず知らずの相手に勝手に話を進める女。いや、これは本気で警察に通報したほうがいい気がしてきた。


 俺はポケットからスマホを取り出そうとした。が、その時。


「あれ? 弥生がどうしてこんなところにいるの?」


 背後から先生の声がするので振り向くと、先生は不思議そうに訪問者を眺めていた。


「あれ? 先生、この人のこと知っているんですか?」


 先生はコクリと頷く。


「知ってるも何も、弥生は先生の幼馴染だよ。廣神グループっていう財閥のお嬢様で大金持ちのお医者さんなんだよ」


 と、ニコニコしながら俺に答える先生。


 いや、知り合いなら最初からそう言えよ……。


「ってか弥生はどうして私がここに住んでるって知ってるの?」


「ああ、実はさくらが引っ越したって情報が上がってきてな。それで引っ越し先を調べさせたら、どうやら隣の家に住んでいるってことがわかって、こうやって出向いてきたのだ」


 弥生さんはそう言ってガハガハと笑った。どうでもいいけど、この人さらっととんでもないこと言ってないか?


 俺は内心この女に俺たちの同棲がバレていることに、危機感を抱いていたが、先生の方はそうでもないらしい。住所を特定されているにも関わらず「へぇ……そうだったんだね」と納得していた。


「まあそんなことはどうでもいい。お前たち、今すぐに着替えと水着を持って下のガレージまで来いっ!!」


 俺と先生は顔を見合わせる。


 どうやら弥生さんは俺たちを海へ行きたくてうずうずしているようだ。が、俺は生憎そんなアクティブさは持ち合わせてはいない。


「えぇ……私やだよ……部屋でゴロゴロしてたいよ……」


 どうやら先生もそれは同じだったようで、そう言って、むっと頬を膨らませる。


「二人してつれない奴らだな……。夜は海を眺めながらバーベキューだぞ? 最高な夏の過ごし方じゃないかっ」


 バーベキュー?


 そんな単語が耳に入った瞬間、俺と先生は再び顔を見合わせた。


 バーベキューってそうめんは入ってないよな。つまり、この女について行けばそうめん以外の物が食える。


「「行きますっ!!」」


 同時に返事をする俺たちを、事情を知らない弥生さんは不思議そうに眺めていた。



※ ※ ※



 二時間後、俺と先生は弥生さんの運転するオープンカーで海沿いの国道を走っていた。


 のだが……。


「先生……大丈夫ですか……」


「だ、大丈夫じゃないかも……」


 弥生さんの荒い運転に、先生は車酔いをしてしまったようだ。さっきから俺は先生の手首を握って酔い止めのツボを指圧してあげているが、先生の顔は真っ青だ。


 俯き加減で俺の服にしがみついて気持ち悪そうにする先生。サイズの大きいTシャツの襟元からは胸の谷間と下着が俺から丸見えだが、それを隠す余裕もないらしい。


「しばらく寝ててもいいですよ」


 そんな俺の言葉に先生は「ごめんね……」と謝って俺の肩に寄りかかって瞳を閉じた。


「乗り物酔いは昔からちっとも変わらないなあ……」


 そんな先生をバックミラー越しに見やって弥生さんは呆れたようにため息を吐く。


 海を眺める。バーベキューに惹かれて渋々出てきた俺だったが、こうやって一面の真っ青な海を眺めていると中々気分がいいものだ。


 そう言えば先生と一緒に遠出をするのはこれが初めてだっけ……。


 俺は先生の水着姿を想像して少し心が躍った。


 ふと先生をみやると、彼女は俺の肩で寝息を立てていた。が、不意に笑みを浮かべると「近本くん、お肉を見たのなんて一週間ぶりだね……」と気の早い寝言を呟いた。

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