第5話 お弁当と先生の秘密

 学園のアイドル(教師部門)と同じベッドで眠るのは、女性経験の全くない俺にとってかなり刺激的な出来事だった。


 だが、それ以上に俺の疲れがピークに達していたこともあり、布団に入ってものの十分ほどで俺は眠りに就いた。


 カーテンの隙間から漏れたさわやかな朝日で目を覚ましたとき、布団にはすでに俺の担任、織平さくらの姿はなかった。


「ごめんね、起こしちゃった?」


 そんな声がしたので寝ぼけ眼で六畳間を見やると、先生の姿があった。


 先生はスーツスカートに少し胸が窮屈そうなワイシャツ着て、その上にジャケットを羽織っていた。


 昨日のラフな格好からは想像もつかないフォーマルな格好だったが、俺としてはこっちの方が見慣れている。


 先生は左耳に小さなイヤリングを付けながらボサボサ頭の俺に微笑みかけた。


「昨日はぐっすり眠れた?」


「おかげさまで」


 先生は「それはよかった」と安心したように言って、腕時計を見やる。そして、驚いたように目を見開く。


「やばい。そろそろ出なきゃっ!!」


 慌てた様子で玄関へと駆けていく。が、靴を履きながらこちらを振り返るとテーブルを指差した。


「あ、そこのお弁当忘れたら先生泣いちゃうよ。それと、冷蔵庫の中に冷やしたペットボトルのお茶もあるからそれも忘れないでね」


「ありがとうございます……それはそうと先生……」


 そんな先生を眺めながら、俺は彼女の胸元を指さす。


「なに? 先生ちょっと急いでるよ」


「ワイシャツのボタン……開いてますよ?」


 実は目が覚めた時から気がついていたのだが、注意するべきか否か悩んでしまって言い躊躇っていたのだ。


 でも、流石にこのまま外に出て彼女が大恥をかくのは可哀そうだったので教えてあげることにした。


 先生は「え?」と拍子抜けしたように首を傾げていたが、自分の胸元を見て、自分のワイシャツのちょうど胸の部分のボタンが外れていることに気がつき、頬を赤らめる。


 ボタンが外れて彼女の薄ピンク色のブラが垣間見えていた。


 そのせいで彼女のブラのホックが前についているという、どうでもいい情報まで知ることになる。


「あ、ありがとう……」


 先生は恥ずかしそうに俺にお礼を言うと、すぐに俺に背を向けてボタンを留めなおした。



※ ※ ※



 学校に到着したのは始業のチャイムがなる五分前のことだった。あの後、ぼけっとケータイを弄っていたら、いつの間にか時間が過ぎていて危うく遅刻するところだった。


 何とか校舎へと滑り込み、下駄箱で靴を履き替えていると、ちょうど先生が職員室から出てくるのが見えた。


「…………」


 俺にとっては見慣れた光景だ。


 けどそんな見慣れたはずの光景が、今日の俺にとっては妙に新鮮に映った。


 その姿は昨日、大家に追い出されてホームレスになった可哀そうな女の子と同一人物とは思えないほどに凛々しく、そして、美しかった。


 やっぱり先生は大人なんだな……。


 そんなことを考えながら先生に見惚れていると、先生の視線が不意に俺の方へと向いた。


 一瞬、ピクっと先生の瞼が動いたような気がした。


 でもそれだけだった。


 先生は俺の前にやってきて何かを話しかけるようなことはしなかった。俺に向けていた視線をすぐに元に戻す。


 徐々に先生と俺との距離が近づいてくる。


 それでも先生はやっぱり俺に意識を向けることはない。


 だが、先生が俺の目の前を通り過ぎようとした瞬間、先生は不意に抱えていた英語の教科書を顔の前にやって顔を隠した。そして、俺だけに見えるように何やら悪戯な笑みを浮かべ「遅刻するよっ」と口パクをすると、そのまま俺の前を通り過ぎていった。



 ※ ※ ※



 昼休み。


 俺は弁当箱の蓋を開け、即座に蓋を閉じて教室を出た。


 初めてに誤解がないように言っておくと、俺は先生が弁当を作ってくれたことに関して心から感謝している。


 その上で言う。


 先生の作った弁当はなんというか……とんでもなかった。


 別に不味そうとかそういうことではない。むしろ美味そうなぐらいだ。


 ただビジュアルがマズイ。


 先生が作って来たのはいわゆるキャラ弁というやつだ。


 朝早くから力を入れて作ってくれたのは、きっと居候をさせてくれている俺への感謝の気持ちなのだろうが、先生には一人暮らしをしている男子高校生が、こんな洒落た弁当を作ってくるはずがないという常識が欠如していた。


 こんなものを友人たちに見られたら、不審がられるに決まっている。


 慌てて教室を出ると、ひと気のない場所を求めて校庭をしばらく彷徨った。そして、俺はふと、そういえば校舎裏の雑木林の中に小さな広場があったことを思い出した。


 俺は安息の地を求めて広場へと向かったのだが、広場の中にぽつんと置かれたベンチに誰かが座っていることに気がついて、足を止める。


 が、すぐにベンチに座っている人間に見覚えがあることに気がつく。


「先生?」


 織平さくらはこのひと気のない雑木林のベンチに一人ぽつんと座っていた。俺の声に先生は少し驚いたように肩をビクつかせた。が、声の主が俺だと気がつくと「なんだ、近本くんか……」胸を撫で下ろす。


「こんなところで何やってるんですか?」


「え、うん、まあね……」


 と先生は何やら浮かない顔で返事をする。


 先生の様子は明らかにおかしかった。何といえばいいのだろうか、明らかに朝と比べて元気がない。


「なんかあったんですか?」


 先生の座るベンチの前まで歩み寄ると俺はそう尋ねて首を傾げた。が、その答えに先生が答える前に先生のお腹がぐぅ~と鳴った。


 先生は恥ずかしそうに両手でお腹を押さえた。


「もしかして、昼食べてないんですか?」


「あ、うん、まあね……」


「朝早起きして作ったお弁当はどうしたんですか?」


「あ、あぁ……作ったのは近本くんのぶんだけだよ……。昨日の夕食の残りで作ったお弁当だから、一人分しかなかったしね」


「じゃあ、学食にでも行けばいいじゃないですか?」


「う、うん……」


 と、中途半端な返事が戻ってくる。


 そんな先生を見て俺はようやく状況を理解した。


「もしかして、お金ないんですか?」


 先生は恥ずかしそうにこくりと小さく頷いた。


「実はさっき大家さんから、せめて滞納分だけでも払ってくれないかって連絡が入ったの。それで慌てて振り込みに行ったら――」


「一文無しになっちゃったんですか?」


「あ、うん、でも明日にはお給料が入るからそこまで心配しなくても大丈夫だよ」


 そう言って俺を安心させようと微笑みを浮かべる先生。


 なんだ。そんなことなら初めからそう言ってくれれば良かったのに。俺は先生の隣に腰を下ろすと膝の上で弁当箱を広げた。


「そう言うことなら一緒に食べましょうよ。俺、今日はあんまり腹が減ってなくて少し困っていたんです」


 とでも言えば先生も気を遣わなくて済むだろう。


「私も食べてもいいの?」


「いいですよ。ってか、これ作ったの先生なんだし」


「そうだけどさ……」


 何やら申し訳なさそうな顔をする。


「別に全部食べてもいいんだよ? 本当はお腹減ってるんでしょ?」


 まあ、確かに腹は減っている。


「俺はお腹を空かせている人の隣で、お弁当を独り占めするような酷い男ではないんです」


 そんな俺の言葉に先生はしばらく俺をじっと見つめていた。


 が、不意になにやら嬉しそうに微笑むと人差し指で俺の頬を突く。


「知ってるよ。近本くんは優しい子だもんね」


「そういう風に素直に肯定されると、ムズ痒いんですけど……」


 俺は照れ隠しするようにお箸と弁当を掴むと先生に差し出した。


 それは要するに先に好きなだけ食べてくれという意思表示だった。


 が、その意思表示は上手く伝わらなかった。


 先生はお箸とお弁当を手に取って少し困惑したように俺の顔を見やった。


「どうかしたんっすか?」


「近本くんって、結構大胆なことするんだね……」


「は、はあ? どういうことっすか?」


 先生の言葉が理解できずポカンとしていると、先生はお弁当から煮物を器用に箸で掴むと、それを徐に俺の口の中に入れた。


「ん…………」


 その不意打ちに俺は虚を衝かれた。


 どうやら、先生は俺が痛いカップルみたいに、あ~んをして欲しくて箸と弁当を渡したと勘違いしたようだ。


 俺が「そういうことじゃないです」と言うと、先生はようやく俺の意図を理解したようで「私バカだから、そういうのはちゃんと説明してくれないとわかんないよ……」と顔を真っ赤にした。


 なんだか先生に酷く申し訳ないことをしたような気がしてきた。


「なんかこの二日間で私の初めて全部、近本くんに取られたような気がするんだけど……」


「え? 先生、男の人と付き合ったことないんですか?」


「だって青春時代はアイドル一筋だったから……」


「ってことは先生もしかしてまだ――」


 と、そこまで言って、自分が思わずとんでもないことを聞こうとしたことに気がついた。


 が、幸いにもその前に、先生が俺の口を人差し指で塞いでくれたからそこで止まった。


 先生は目を大きく見開いたまま、今まで見たこともないほどに真っ赤な顔で俺をじっと見つめていた。


「そこから先を聞いたら、先生うまれて初めての体罰を近本くんに捧げちゃうよ……」


 いや、今の失言未遂は体罰に値するかもしれない……。


 が、先生は当然ながら本当に体罰なんてするはずはなく、唇から手を放すと「クラスの女の子には絶対そんなこと聞いちゃダメだからねっ」と頬を膨らませた。


 

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