第23話 ワークショップ

「お役に立てなくて申し訳ないです」

 江木はすまなそうに頭を下げた。


「とんでもないです。現場の方にしかわからない貴重なお話が聞けました」と多村は礼を言ってから壁の時計に目をやった。18時20分を過ぎたところだった。

「お時間は大丈夫ですか?」


「まだもう少し大丈夫ですので、何かあればどうぞ」

 江木も時計を見て、余裕があることを示すように微笑を浮かべた。


「演劇ワークショップとはどのようなものですか?」

 多村は訊ねた。刑事には馴染みのない言葉だった。


「簡単に言うと、演劇の体験講座です」

 江木は丁寧に説明してくれた。演劇ワークショップには、演技力向上の実践的なものから、初心者向けの気軽なもの、子供向けのものまで、さまざまな種類がある。今日の講座は演技や身体を使って表現することの楽しさを知ってもらう初心者向けのもので、計4回のレッスンの2回目。受講生は初心者中心だが経験者もいて、子育てが一段落した元劇団員の主婦も参加しているという。


「時間がおありでしたら見学していかれますか?」


 何かヒントになることがあるかもしれない。多村は是非と頼んだ。江木は準備のために一旦場を離れた。


 江木の背中が見えなくなると、多村は頭の後ろで手を組んだ。

 芝居は上手だった、柳田に似ていた、それが江木の舞台俳優としての滝沢の印象だった。プライベートでは、面識はあるが挨拶を交わした程度だという。滝沢に対してさほど関心を持っていない様子だった。主宰者の死がニュースになったところで低迷している劇団に興味はないのか。

 電話で言ったせいか江木はなぜ滝沢を調べているのか訊いてこなかったが、実際は親しい仲で刑事に隠している、ということもないだろう。不自然さは見られなかった。


 これはあくまでも江木の話で、滝沢の絶対的な評価とはいえない。先日の舞台の後滝沢と会話していた関係者らしき二人は滝沢を演劇人として相応の評価をしているようだった。逢友社に近い、都内の演劇関係者に話を聞けばまた違った評価が聞けそうだ。そうすると探っていることが滝沢の耳にも入るだろうが。


 江木がジャージ姿の女性をつれて戻ってきた。「ウチの団員です」と紹介した女性は大山と名乗った。歳は江木と同じ30過ぎぐらいで、江木と同じくジャージ姿のすらっとした細身の長身で背筋も伸びていた。やはり声が大きくてはきはきしている。嫌みのない笑顔が、講師経験の豊富さをうかがわせた。並んだ二人はお似合いに見えるが恋人同士だろうか。


 多村は二人についてGルームへ向かった。ドアのガラス越しに中を覗くと、開始10分前の教室に20人ほどの受講生の姿があった。若い女性ばかりだと思っていたが、3分の1ほどが男性。男女とも中年の姿も見られた。


 江木が入室すると、教室内に挨拶の大きな声が響いた。江木と大山も笑顔で挨拶を返した。演劇界は時間と同じぐらい礼儀にもうるさいというのが知識として多村にあったが、こういう場も同様のようだ。

 江木に向けられた女性受講者の笑顔が、演劇だけを楽しみにしているわけではないことをうかがわせた。


 多村は教室の片隅にあるパイプいすに座り、正面にいる江木と大山に向かった。一人スーツ姿は違和感があるものの、受講生たちは気にするそぶりも見せず、視線は講師に集中している。


 2回目と言っていたから受講生も勝手が分かっているようで、簡単な挨拶を済ませるとすぐにレッスンが始まった。まずは準備運動から。

 小林美恵子は「演劇は身体が資本」と言っていた。江木はストレッチをしながら受講生に「しっかりと身体をほぐして、リラックスしましょう。『怪我をしない、させない、物を壊さない』が演劇のルールです」と説いた。


 体育の授業でやるような標準的な柔軟体操で、体育の時はだらだらやっていた記憶があるが、ここでは若い女性も中年の男性もみな真剣に取り組んでいる。ジャージやスウェット姿が多いせいで、この場面だけ見れば体育会系の集団のようだった。


 続いて発声練習に移った。おなじみの「あえいうえおあお」から始まり、腹式呼吸を身に付けるためという、仰向けに寝そべっての発声まであった。江木と大山の声は一際大きくテンポよく、部屋中に響き渡っている。

 野球選手のキャッチボールのように、ボクサーの縄跳びのように、俳優は発声練習が日課なのだろう。柳田優治は基礎練習も一切手を抜かなかったと小林美恵子が話していた。そういう姿を見て後輩たちがついて行った。発声練習は滝沢も西野も、そして国村里沙も日々続けているに違いない。



 発声練習の後は『シアターゲーム』だった。


 最初は『名前鬼』というもので、受講生たちが鬼ごっこを始めた。通常の鬼ごっことやや異なるものだが前回もやったようで、受講生たちは互いをニックネームで呼び合いながら、ところ狭しと教室を駆け回っている。


 続いては『ZIP ZAP』というもので、受講生が輪になって「ジップ」「ザップ」と声を掛け合っている。


 『シアターゲーム』だけあって、どちらもゲーム感覚のもので、小学生の頃のお楽しみ会を見ているようだった。江木が初心者向けだから楽しんでもらえるように、と話していた通りみな楽しそうで、最初の緊張が解れ場が温まるのを感じた。


 一見遊びのようでも、江木はイメージを膨らませたり、コミュニケ―ションを深めたりするのに役立つと説明した。自分のセリフだけ覚えてもいい芝居にはならない、と倉本が言っていたが、実際ゲームを終えると、受講生に一体感が生まれているのを感じた。


 一口に演劇と言っても、様々な能力を必要とし、それを高めるための訓練がある。

 面白そうだな。

 それまで他人事だった演劇を多村は初めてそう思った。

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